世界に貢献する
強い日本をつくるために
在シドニー日本国総領事
紀谷昌彦
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doq®代表
作野善教
日系のクロス·カルチャー·マーケティング会社doq®の創業者として数々のビジネス·シーンで活躍、現在は日豪プレスのチェア·パーソンも務める作野善教が、コミュニティーのキー·パーソンとビジネス対談を行う本企画。第3回となる今回は、駐南スーダン大使、外務省中東アフリカ局アフリカ部・国際協力局参事官を務めた後、19年10月より在シドニー日本国総領事を務めている、紀谷昌彦氏にお話を伺った。
(監修:馬場一哉、撮影:伊地知直緒人)
PROFILE
きやまさひこ
1987年に外務省入省。2003年在バングラデシュ日本国大使館参事官、06年外務省総合外交政策局国際平和協力室長。12年在ベルギー日本国大使館参事官、同公使を経て、15年駐南スーダン大使、17年外務省中東アフリカ局アフリカ部兼国際協力局参事官。19年在シドニー日本国総領事に。著書に『南スーダンに平和をつくる』(ちくま新書)、『私たちが国際協力する理由』(共著、日本評論社)
PROFILE
さくのよしのり
doq®創業者・グループ·マネージング・ディレクター。数々の日系ブランドのマーケティングを手掛け、ビジネスを成長させてきた経験を持つ。2016年より3年連 続NSW州エキスポート・アワード・ファイナリスト、19年シドニー・デザイン・アワード・シルバー賞、Mumbrellaトラベル・マーケティング・アワード・ファイナリスト、移民創業者を称える「エスニック・ビジネスアワード」史上2人目の日本人ファイナリスト。
作野私が紀谷さんと初めてお会いしたのはちょうど1年ほど前、エスニック・ビジネス・アワードの授賞式の時でした。紀谷さんはその頃、オーストラリアに着任された直後でしたが、僕はすぐにこの人は、良い意味で「ちょっと違うな」って思いました。1つは当日、会場で早速ツイッターを使ってライブ配信されていたそのスピード感。これは政府関係者には珍しい行動だと思い印象に残っています。また、もう1つは、紀谷さんから当日列席していたスコット・モリソン首相のところに行きましょうとお声掛け頂いたことです。あのあと押しがなければ、僕は首相を遠くから眺めていただけだったと思います。
紀谷それは当然の役割です。私たちの仕事は日本代表として、主賓であるモリソン首相に日本をアピールすること。作野さんはあの場で日本のヒーローです。モリソン首相は、功績を収めた人に祝福の気持ちを伝えるために、忙しい時間を割いて来ているわけです。彼にとっても、会場でファイナリストと話すことができなければ、成果を出す折角の機会を逃してしまいます。ここは突っ込んでいくべきです。
作野その判断力とスピードでこれまでアフリカ、バングラデシュ、ヨーロッパ、アメリカ、それぞれの土地でさまざまなことを実行されてきたと思います。印象に残っているご経験、そしてオーストラリアで生かされたものなどがあれば伺わせてください。
紀谷たくさんありますが、最も印象に残っているのは開発途上国の現場です。南スーダンで、彼らの国が直面する国家建設や経済・社会開発、国際社会との協調といった課題を解決するために、大統領や大臣とどう話せばうまくいくのか考えるのは、全力投入の真剣勝負でした。ただ、時間を巻き戻すと私の原体験には、このような現場での経験に先駆け、自分が育ってきた環境への疑問がありました。両親がいて、学校に行けて、好きな物を買ってもらえる生活をしてきた一方で、世の中にはすごく貧しい人や困っている人がいるわけです。その差をおかしい、と感じていました。ただ、だからといって、私が恵まれた環境を投げ打ったところで、世の中の問題が解決するわけではありません。あれこれ悩んだ結果、恵まれた環境を最大限に生かして、未来の社会に向けて恩送りをすること。それが使命だと考えるようになりました。
これまで開発途上国に対して、日本が蓄積した豊かさや技術を還元しながらともに発展する最前線にいて、感謝もされてきましたし、自分自身手応えを感じてきました。それだけに、オーストラリアのシドニーに赴任して来た時は驚きました。本当に豊かでゆとりのある社会だと体感しました。綺麗なビーチと洗練された都会がすぐ近くにあり、経済も順調で人々はワークライフバランスを大切にしています。一方、ここ数十年間は、オーストラリアを含め多くの国が発展していく中、日本は経済が横ばいで人口も減り続け、社会もさまざまな課題に直面しています。そんな中、私もこれまでの「日本の良さを世界のために」という人生の大目標を、これからは「世界に貢献する強い日本をつくる」にしようと考え直しました。日本は世界に恐れられるほど急成長を成し遂げた国です。日本はまだまだ豊かになれる。そして更に世界に還元できる。日本の底力をもってすれば、これからも一層頑張れると思います。
作野そういう意味では新しい挑戦ですね。僕はインドに行った時、スラム街を回るというツアーに参加したことがあります。貧困や苦労など、同じようなイメージを皆さん持たれると思いますが、実際にツアーしてみると、そこに住んでいる人が皆輝いているように見えてびっくりしました。仕事もコミュニティーも成り立っていて、学校もあって子どもの目もきらきらしている。それを見てすごくショックを受けました。その後東京に帰って電車で乗客の多くがぐったりとしているのを見て豊かさとは何だろうと思いました。開発途上国に対してオーストラリアは対極にあると思います。そんなオーストラリアに、日本はどのようなことができると思いますか。
紀谷まず1つは文化的な面白さや楽しさの提供です。茶道や武道などの伝統、京都の町並みなどの歴史文化、アニメや漫画、北海道でのスキーなど、日本の文化はたいへん魅力的で、それらを提供することは、ビジネスの面でも双方にメリットがあります。モリソン首相が14日間の自己隔離をしてまで日本へ行く決断をしたのは、政治・安全保障の要因も大きいと思いますが、いずれにしてもオーストラリアにとって日本の重要性が高いということを象徴しています。
開発途上国で直面したさまざまな困難
作野紀谷さんがどのような思いから、外交官のお仕事を始めようと思われたのか、そのあたりのお話をお聞かせください。
紀谷世の中の大きな利益のために役立ちたいという思いが前提にありました。当時は世の中をよく知らなかったので、民間企業より政府、政府より国連の方が、より高次の利益を追求できるのではないかと感じていました。大学時代は模擬国連のサークルにも入っていました。でも国連に入ることは非常にハードルが高く、外務省なら世界について考え、留学もできるし国連にも出向の可能性があるということで入省した次第です。
作野若い頃から外交など国際関連の仕事を考えていたのですね。
紀谷はい。入省1年目に国連政策課という部署に所属した後、イギリスの大学での研修が2年間あり、海外の生活はそれが最初でした。そこからナイジェリアへ行きました。ナイジェリアという国は石油が出るので国自体に相当のお金は入ってくるのですが、それが貧しい人たちに広く行き渡るか否かは別の課題です。国際的な資金の流れや経済のみならず、国ごとの政治や社会の制度や文化が極めて重要であり、それを変えるのは一筋縄ではいかない、ということを実感しました。帰国後は防衛庁へ出向してカンボジアPKO派遣に関わり、外務本省で欧州、会計、国際経済・金融などの業務を経て、入省して13年目にアメリカに赴任し、開発・環境問題を担当しました。その頃から20年間近くにわたり、主に開発・平和構築・国連関係の仕事に従事しました。バングラデシュ在勤を経て帰国した後は、国際平和協力室長、国連企画調整課長として、国連PKO、国連総会や国連事務総長、国際機関選挙などを担当しました。
作野開発途上国で直面し乗り越えてきた、さまざまな経験が紀谷さんの人生に大きなインプットを与えたのですね。
紀谷そうですね。2010年に防衛省に出向して米軍基地関係、2012年にベルギーに赴任して日NATO関係の仕事を担当し、2015年からは独立後間もない南スーダンで、大使として2年半の間、平和構築と国連PKO、人道・開発支援に取り組みました。それまで積み上げてきたものを、スティーブ・ジョブス氏の言うコネクティング・ザ・ドッツ(点と点をつなぐ)のように後付けでフル活用した2年間でした。
作野紀谷さんの過去の対談記事などを読ませて頂きましたが、その中で「実務に生かすには経営学と歴史が大事」とお話しされていました。非常に興味深かったです。僕も経営学にはかなり没頭しましたが、歴史というのは新鮮でした。過去に起きたことを理解することで、適切な課題を理解できるのだと僕は解釈しました。オーストラリアの課題は見え始めていますか。
紀谷着任から1年ということもあり勉強中というのが正直なところですが、オーストラリアをひと言で説明せよと言われたら、「ラッキー・カントリー」であり続けることを自己変革により実現してきた国、と答えると思います。理由は、白豪主義から多文化主義、保護主義から自由貿易主義といった国家運営方針の大胆な転換を平和的に実現し、それにより平和で豊かな社会を維持してきたからです。
経営学と歴史が大事という考えは私の根幹にあります。例えば、オーストラリア国民の成功体験、失敗体験の歴史をきちんと理解しなければ、いかに経営学のツールがあっても、日本とオーストラリアの関係や協力で何を目的にし、何をすべきなのか見えてきません。そのために、日豪両国や世界の歴史を理解して、さまざまな射程のビジョンを示す必要があります。ただし、歴史の流れが見えていないところで、いきなり抽象的なビジョンを立ち上げても、そこには迫力がありませんし伝わりません。将来に向けて説得力を持たせるためには、個人の体験や思い、国の体験や思い、歴史の重みが伴ってこそだし、それがなければ自分の言葉を周りの人に信じてもらい、動いてもらうことはできません。
若い頃は国連という世界の枠組に目が行っていましたが、仕事をしていく中で、個別の国がどのように思っているのかを1つ1つ理解して1つ1つ答える必要があり、それをすることで初めて全体を束ねることができると考えるようになりました。国際機関選挙はその典型です。「マルチ」と「バイ」は連動しており、それぞれが大事なのです。
作野紀谷さんのお話を伺っていると考え方に非常に柔軟性があることが垣間見えます。要は、綺麗ごとだけではなく、実働につなげなければ意味がないということですね。
紀谷はい。実働の段階では、経営学が重要になってきます。ワシントンDCにいた頃は毎週開発問題の勉強会を企画・開催して、知見や情熱を共有し深化しながら、それを政府という組織の中でどのように生かしていけるのかを考えてきました。コミュニティ・オブ・プラクティスの形成、情報プラットフォームと人事プラットフォームの構築など、経営学で学んだ手法を積極的に取り入れました。
オーストラリアを強くするための日本人社会
作野開発途上国に対する活動は、現在はひと区切りということだと思いますが、次のステップはありますか。
紀谷いろいろな活動をして感じたことは、その時々でできることには限りがあるということです。こだわりを持って始めても、成功することも失敗することもあり、続くことも続かないこともあります。成功したと思っていても、振り返ってみると大きなピースの一部でしかなかったと感じることもあります。途上国開発に関しては、これまで自分自身ができることは全力でやり切ったと思います。世界中で多くの人が途上国開発に携わっている中で、自分の貢献はごく限られたものでした。しかし、世界は大きいし、世界の課題は無限大にあるし、やりたいことはいくらでも見つけられます。今回オーストラリアに来て新たに強く感じたことは、そもそも日本自体を強くしなければいけないということです。巡り合わせがあってこの地に来たわけですから、自分の立場で何を最大限にやりきれるかを今は考えていますし、それが自己実現にもつながります。Yahoo!アカデミア学長の伊藤羊一さんの言葉ですが、「自分の生き様を乗せて仕事をする」ことが大事で、そのような姿勢で仕事に取り組みたいと思っています。
作野個人にとってもそれが1番の幸せですよね。
紀谷はい。あれこれ将来の夢だけを語ってもだめで、まずは与えられた場所で最大のインパクトを出せる人間でありたいと思います。世界は1つ、自分は1人。与えられた場所で世界をより良いものにできるよう、私自身、引き続き頑張っていきたいと思います。
作野過去の経歴、個人の思いを持って仕事をされているのですね。紀谷さんのような方が総領事としてシドニーにおられることは、オーストラリアにいる私たちにとって、とてもラッキーなことだと思います。
紀谷私は当地に日本政府の代表として来ています。当地で日本の利益を増進することが当然求められますが、それとともにオーストラリアの利益や世界の利益も増進すれば、幅広い関係者から支持と協力が得られます。そのために、まず何をやるか。当地には日本政府関係機関の事務所や日本企業が多くありますし、日本人団体や日本文化団体、日豪プレスのようなメディアもあります。どうすればそれぞれの組織や団体に一層活躍してもらえるかを考えた時に、私の立場でできることの1つは、いわゆる「横串を刺す」仕事だと思いました。現在それぞれの分野で活躍されている人びとを共通の目標の下で結びつけることで、相乗効果や付加価値を生み出すことができると今は考えています。
作野当地に点在する日本人を政府というプラットフォームでマッチングする役割を担われる。そのようなファシリテーションを紀谷さんが行うわけですね。個々が1つの大きな個体になるために、強いリーダーシップが必要なのか、それとも横のコミュニケーションが必要なのか。それともビジョンの共有が必要なのか、考えさせられますね。日本人は国民性もあると思いますが、他のエスニック・コミュニティーに比べて活動が控えめだと個人的に思います。日本人には良いものがたくさんありますし、もっとアピールしたら良いのにと思います。それを変えるためには何が必要なのでしょうか。
紀谷限られた経験に基づいた仮置きの答えではありますが、「多文化主義を掲げるオーストラリアをより強くする日本人社会を作ること」だと思います。私の役割は日本の利益を増進することです。そのためでないと国のお金は使えないし、発言もできません。そういう存在である日本政府の力を使って、出先のオーストラリアで相手が喜ぶことは何かを考えなければなりません。日本政府にとっても、日本企業にとっても、日本人団体にとっても、そしてオーストラリアの政府・企業・団体にとってもハッピーとなる定式化を考えると、やはりオーストラリアが国是とする多文化主義というキーワードが浮かびます。この国は多文化主義、多文化社会を誇りとしているので、それに日本が貢献しているとアピールすれば、歓迎・評価されるのみならず、それが受け入れられてオーストラリアの一部となって定着していきます。この信頼関係を基盤に、日豪両国が連携してリーダーシップを取れば、環境・エネルギーや安全保障、文化・スポーツ交流といった幅広い分野で世界や地域に貢献できます。オーストラリアにとって、日本との関係を深めることは世界のためになる、そう思ってもらえるように活動していくことが大切だと思います。
作野マルチ・カルチャーの社会だからこそ、そこに日本社会の強みを取り込んでもらうという考えは斬新ですね。
紀谷その辺りは、経営学と歴史の双方が必要だと思います。どういう定式化が最もしっくりきて、持続可能で、歴史の中で受け入れられるのか。どうせなら、ガンジーやマザー・テレサのような歴史に残って末代まで語られるほど良いことがしたいじゃないですか。そういう意味で、オーストラリアの多文化社会に日本を振り込むという定式化をどのように活用し、実現していけるのか、今後もう少し考えを深めていきたいと思います。
作野その辺りは空気を読むという社会性を持つ日本人は得意そうです。オーストラリアの空気を読んで、必要な役割を担っていきたいですね。
紀谷日本人の典型として、セミナーや会議の場での質疑応答時間に誰1人言葉を発さないということがあります。それが国際的な場では損してしまうところですし、コミュニケーションを阻害する要因だと思います。完璧主義と呼ぶべきか、リスク回避と呼ぶべきか。問題意識を持っている人は、そういう場面でもきちんと質問や発言をしています。
作野西洋文化からすると理解のされにくい部分だと思います。ミーティングで発言しない時点で相手に受け入れてもらえません。ミーティングへの参加はコストであり、貢献しないのであればミーティングに参加しないでほしい、という教育を私もかつて働いていた外資系の企業で教え込まれました。
紀谷シドニーでできることの1つは、当地から少しずつ日本社会を変えていくことかもしれません。海外にいるからこそ、日本を客観視できますし、いくら日本を出て海外で生活していても、日本で起こったことなどは少なからず自分にも影響があり得るわけです。当地でできることは2つあります。1つはオーストラリアを変えていくこと。そしてもう1つは日本を変えていくこと。オーストラリアはなぜ成功し続けているのか。日本はどこに課題があるのか。そこを特に日本の若い世代にも伝えたいですね。
作野オーストラリアと日本を比べた時、オーストラリアの方が優れていて、学べると感じる点はライフ・スタイルだと思います。仕事をしっかりしながら、家族との時間や趣味の時間もしっかり作り、経済が成長しているのはすごいと思います。決して昼間からビーチでお酒を飲んで、仕事をさぼっているという国ではありません。家族も自分も豊かにしながら、仕事での生産性を確保しているのが、オーストラリアが優れている点で、日本が今後学んでいける部分だと思います。
紀谷20年後の社会というのは、今既に存在していると思います。筋が良く、熱意と潜在性のある若い人たちが、20年後の社会を担っていきます。そうした人たちを発見し、応援していくことが重要です。
私は、来豪直後、「開かれた総領事館」として、世界に誇れる取組を皆様と一緒に進めたい、と着任挨拶に記しました。誰が見ても評価される成果をあげ、それを再現可能な形にして世界に共有したいと思っています。そうすれば、いろいろな人が情報や知恵を効率よく使えるようになりますから。また、後任者にしっかりと引き継げる仕組みも作るつもりです。当地の日本企業の皆様も、社内外への情報共有をどんどん行い、前線だから分かるオーストラリアの良い点や日本の課題を分かりやすく伝え、日本を強くして頂ければありがたく思います。日本社会も、外とつながりがあるところから変わっていくと思います。
作野オーストラリアでこれから果たしていくべき役割をしっかりと意識し、日本に新しい刺激を届ける。これらをわれわれが担い、実現していきたいですね。
紀谷まさしく、そのための役割として日豪プレスにも期待しています。「オーストラリアのコミュニティー誌」から、「オーストラリアと日本をつなぐマルチメディア」にぜひ発展してください。
作野大きな課題をありがとうございます。本日は有意義なお時間をありがとうございました。
(12月1日、在シドニー日本国総領事公邸で)