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母として、女性リーダーとして/Wendy Holdensonさん

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母として、女性リーダーとして

豪州三井物産株式会社CTO
Wendy Holdenson

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doq®代表
作野善教

日系のクロス・カルチャー·マーケティング会社doq®の創業者として数々のビジネス・シーンで活躍、現在は日豪プレスのチェア・パーソンも務める作野善教が、コミュニティーのキー・パーソンとビジネス対談を行う本企画。今回ご登場頂くのは、2014年に三井物産の豪州法人(メルボルン)の副社長(現CTO)に就任したウェンディ・ホルデンソン氏。同社の海外拠点で初となる女性の副社長就任。2人の子育てを行いながら、どのようにキャリアアップを実現してきたのか、お話を伺った。
(監修:馬場一哉、撮影:伊地知直緒人)

PROFILE

ウェンディ・ホルデンソン

ウェンディ・ホルデンソン
豪州三井物産株式会社取締役CTO。上智大学文学部卒業後、民間企業を経て福岡オーストラリア総領事館総領事、オーストラリア貿易促進庁の州代表などを務める。2014年、豪州三井物産株式会社の取締役副社長に就任。BCA(豪州経営者評議会)のイノベーション・タスクフォース及びエネルギー気候変動作業部会の同社代表メンバー。豪州外務省「新コロンボ計画」の同社代表を務める。豪日基金メンバー

PROFILE

さくのよしのり

さくのよしのり
doq®創業者・グループ·マネージング・ディレクター。数々の日系ブランドのマーケティングを手掛け、ビジネスを成長させてきた経験を持つ。2016年より3年連 続NSW州エキスポート・アワード・ファイナリスト、19年シドニー・デザイン・アワード・シルバー賞、Mumbrellaトラベル・マーケティング・アワード・ファイナリスト、移民創業者を称える「エスニック・ビジネスアワード」史上2人目の日本人ファイナリスト。

作野:本日はお越し頂きありがとうございます。本日はウェンディさんがこれまで日豪両国での経験を通じて感じられた日本とオーストラリアの違い、女性としてのリーダーシップ性などについてお話を伺えればと考えております。日本での生活を経てオーストラリアに戻り、その後日本の大企業での重要なポジションに就かれておりますがどのようにキャリアを積んで来られたのですか。

ウェンディ:高校卒業と同時に、交換留学生として日本へ行く機会を得ました。当時はオーストラリア人にとって日本はまだ良く知られていない国という印象だったと思います。私が滞在したのは山形県鳥海山の膝下の遊佐という小さな町でそこで農業について勉強しました。お米を植えて世話をし、稲刈りをして、更にその米で餅を作るなどという活動を通して日本のカルチャーに触れました。自分で育てたお米を食べる経験は格別でしたね。また、鳥海山が町の北にあったことから登山クラブにも参加しました。そこでは登山に対する強い情熱、そして日本文化のさまざまな側面を学びました。

作野:そのコミュニティーの中で日本人でないのはウェンディさんだけだったのでは?

ウェンディ:おそらく彼らにとって人生で初めて見る外国人が私だったと思います。そのような環境での経験が私の人生を大きく変えました。そして引き続き日本にとどまり大学で勉強することを決め、更に日本の社会で働きたいと考え、知人の伝手で東京・竹橋にある毎日新聞社から出版されている英字新聞編集部で働き始めました。ここでの経験は今日に至るまで生きています。私は情報を扱うことが好きですし、交渉事や進行役も得意ですが、
それらはこの時に情熱を注げる絶好の環境に身を置けたからだと思っています。そんな中、キャノンに声を掛けて頂き、グローバルな環境で働けるのであればと考え就職を決めました。日本の組織で働くことで、日本のコミュニティーにおけるチームワークのあり方や個人の責任などを学びました。

作野:4年ほど働いた後オーストラリアへと戻られていますね。

ウェンディ:そうですね。自分の生まれ育った土地ですし、戻る時が来たと感じました。ただ、帰国してから数年後、私のパートナーが日本でのポジションをオファーされました。当時私は大手会計事務所のアーンスト&ヤング(EY)社でナショナル・コミュニケーションズ・マネジャーというポジションに付いていたのですが、パートナーの勤務地が大阪ということで新しい土地でのチャレンジを良い機会ととらえ、子どもも一緒に家族で移住することを決めました。ただ、私も仕事はしたいと考えていたため、人の紹介で、オーストラリア貿易投資促進庁(オーストレード)の大阪事務所の職を手に入れていました。

作野:大阪に行かれる前に既に仕事を決めておられたわけですね。

ウェンディ:そうですね。大阪では東京との人の違いに気が付きました。その後、日本国内さまざまなところに住むことになるのですが、土地によって食、習慣、文化や人、そして言葉まで異なることに驚かされます。

大自然の中に身を置く

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作野:4年ほどの大阪滞在の後シドニーに戻られ、約12年間、民間企業でのキャリアを経て2009年、今度は在福岡オーストラリア総領事館(2019年に閉鎖)の総領事として再び日本に足を踏み入れています。

ウェンディ:その時は福岡へと移住しました。管轄が山口県、九州全県、沖縄県と他エリアにまたがっていたので多くの県を回りました。その経験は私の大きな財産になりました。

作野:その後、オーストレードの州代表としてパースへ行かれていますね。

ウェンディ:はい、私は常々パースで働きたいと思っていたので、パースを本拠地とし、ウエスタン・オーストラリア、サウス・オーストラリア、ノーザン・テリトリーの連邦政府貿易投資担当を務めました。

作野:パースを考えられたきっかけはなんだったのですか。

ウェンディ:私は常々オーストラリア国内でも違った都市や町に住むことを目指していました。アリス・スプリングスやダーウィン、タスマニア、クイーンズランドにも住んでみたかったですし、そのような人生をずっと送りたいと思っています。さまざまな都市に住み働くことで、より多くのことに貢献できるようになると信じているからです。天気が違い、環境が違い、人びとも違う。それを体験できたことはとても良かったです。

作野:多様な経験を経て現職、豪州三井物産の副社長に就任されたのですね。

ウェンディ:パースへは単身赴任だったのですが、私の家族は東海岸に住んでいますので、三井物産での機会は私にとって、とてもありがたいことでした。

作野:高校卒業後の訪日から始まり、お子さんを育てられながら、海外で住み、働き、全く違う文化に触れ、更に度重なる引越しに単身赴任。常に自立して行動されていることに敬意を覚えます。新しいことに挑戦し続ける人生哲学はどこから生まれているのですか。

ウェンディ:過去を振り返ってみるとガールズ・ガイドをやったことが大きかったかもしれません。いわゆるボーイ・スカウトの女性版と思って頂ければイメージしやすいと思います。私はガールズ・ガイドとして、少女たちを率いて毎週キャンプやハイキングなどをしました。ガールズ・ガイドには大人のグループ・リーダーがいるのですが、そのリーダーが献身的に活動しているのを見て、私は自分にできることの可能性を学びました。活動は決して華やかではなく、かっこいいことばかりではありませんが、とても充実した活動で満足していました。

作野:大自然の中での活動がその後のウェンディさんの活動に影響を与えたわけですね。

ウェンディ:そう思います。今でも週末はハイキングを楽しみますし、自然の中にいることで私自身のバランスが良いものに保たれます。また、新たなインスピレーションを得ることもできます。

子育てと仕事の両立

作野:豪州人として日本で生活をされていた時代に最も印象に残っているご経験をご共有いただけますか?

ウェンディ:人生のステージによって違う返答になると思います。大阪に住んでいた頃、私は2人目の子どもを授かりました。2人の子どもの母親になった一方で、アクティブに仕事もしています。そのた
め、私は子どもを吹田にある保育所に通わせていました。子どもにとって母親として十分に寄り添ってあげることができなかったわけですが、その保育所を通して子どもを創造的な環境に置く日本の幼児教育は素晴らしいものだと思いました。子どもだけでなく、保育所を利用している家族全体への気遣いが素晴らしく感動的でした。また、福岡に滞在していた時、私はその地に住む全てのオーストラリア人をケアする責任とともに、オーストラリアをプロモーションするという文化的、経済的使命を背負いました。そこで助けられたのが福岡の人びとがとてもオープンで開かれた人柄であったことです。そしてその背景には歴史があることを知りました。江戸時代に既に開国を経験していた九州の人びとは海外の人と共存することにとても慣れていると感じます。私は距離的に近いこともあって福岡から上海へとよく旅行していましたが、九州の人びとはアジアに近しい感情を持っていると思います。

作野:2人の子どもを育てながらマルチタスクをこなさなければならない。それは想像以上に大変なことだったと思いますが、それらの責任を、母として、そしてコミュニティーの重要人物としてどのように管理していましたか。

ウェンディ:パートナーに支えられましたし、そうあるべきことだと思っています。仕事をしながらの子育てはとんでもないエネルギーと時間が掛かりますが、私はやりきりました。その根源にはやはり若い女性ならではのエネルギーもあったと思います。

作野:私も2人子どもがいまして、経営者と親としての責任を果たすために、常時マルチタスクを求められます。豪州に移住したことで日本の両親や家族のサポートを得られるわけでもないので、本当にやりきるしかないですよね。ウェンディさんは日本語が非常に堪能ですが、どのように日本語を勉強されましたか。

ウェンディ:最初に知っていた日本語は「しょうゆ」だけでした。16歳の時に日本食の勉強に挑戦したからです。始めて訪日した時は、私以外誰も英語を話せない環境だったので毎日辞書を開いては閉じて、を繰り返しました。

作野:誰もサポートできなかったのですね。

ウェンディ:はい。そんな私に彼らは小学校の国語の教科書をくれました。それが私の日本語の基礎となっています。

日本とオーストラリアの関係性

作野:オーストラリア、日本両国で成功した女性リーダーであるウェンディさんにとって、人生の中で何が最もチャレンジングな出来事でしたか。

ウェンディ:人生はリハーサルではないので毎日がチャレンジです。ただ、中でも私の人生で強く記憶に残っているのは阪神淡路大震災です。当時、私は大阪で仕事をしていました。また、東京へ出張していた時には東日本大震災も経験しました。それらは大きく日本を変えましたし、同時に私自身を変えるきっかけにもなりました。東日本大震災の時には、私はチームを主導し福岡からできる限りのサポートを行いました。公民館や体育館などの避難場所の調査、被災したオーストラリア人の調査、道路状況や橋、鉄道、東北との行き来など、毎日チームでテーブルを囲みながら調査をしました。私はチームに問いました。「あなたの親友がトラブルに巻き込まれた時、あなたはその親友を見捨てることはしないでしょう?」。日本は親友であり、私たちはその日本に滞在している。私たちはその場から逃げないし、親友を見捨てない。自分のできることをして助ける。それは大きな挑戦でした。現在、私は豪州三井物産に籍を置き、新型コロナウイルスの影響を回避しながら落ち着きを取り戻すべく働いています。私たちは冷静に慎重に、そして安全に仕事を続けなければいけません。これは変革です。世の中ではどんなことも起こりえますし、計画をどのように進め、どのような未来があるのかを考えなければなりません。誰にも先が見えないことですが、同時に大変ワクワクすることでもあります。

作野:冷静さを保ち、正しい選択をするベースはやはり経験から来ているのですね。正しい判断はリーダーとして重要なスキルだと思います。現在の日本とオーストラリアの関係性をどのように思われますか。

ウェンディ:両国が似ている点として、互いの関係性の構築が巧みだということが挙げられると思います。互いを尊敬し、重要な信頼関係を築くことができています。信頼関係を構築するというのは思いのほか難しいことです。

作野:歴史、特に戦争の時代を振り返ると私たちは元々敵国同士でした。しかし、戦後60~70年ほどの時間を掛けてお互いを信頼できるようになりました。私は両国が許し合い、親友になれたと思っています。

ウェンディ:戦後、経済復興の面でも必要なパートナーとして、企業も国もお互いを認め合いました。私たちがオーストラリアで働き、ビジネスを楽しめている現状はたいへん幸運なことです。今日ではオーストラリアは日本に強く興味を持っておりますし、私はその両方に関われることを非常にうれしく思います。

作野:ウェンディさんは日本の大企業で初の、オーストラリア人の女性リーダーとして活躍されていますが、どのようなことを大切にして働かれていますか。

ウェンディ:弊社のCEOの言葉に「No Challenge, No Change」というものがあります。彼は私たちに常に変化し、成長をすることを望んでいます。私たちは変化を受け入れなければなりませんし、私自身、毎日が前の日より良い日になることを目指して動いています。

作野:将来のキャリアの展望や夢はおありですか。

ウェンディ:私は現在、連邦政府が推し進めている新コロンボ計画と呼ばれる奨学金プログラムに関わっています。これはオーストラリア人の学生を支援するプログラムで、アジア太平洋地域の国や企業に学生を送り、アジアに精通した未来の人材を輩出することを目的としたもので、三井物産でもこれまで連邦政府に選ばれた学生を90人以上受け入れてきました。この活動に引き続き取り組み、優秀な人材を育てていきたいと考えています。また、女性リーダーの輩出にも尽力したいですね。

作野:現在、チャレンジをされている読者の方に向けてどのような意識が大切なのか、メッセージを頂けませんでしょうか。

ウェンディ:多くの若者が気付いていない重要なことがあります。それはあなたを助けたい、支援したいと考えている人がたくさんいるということです。ただ、その助けは自分から求めなければ得られません。これは私が強くお伝えしておきたいことです。数多くの人が私の人生とキャリアの中で私を支援してくれました。人はキャリアの後半のステージに差し掛かると次世代を助け、育てることを考えます。その人たちが必ずあなたを助けてくれます。そしてその機会を片手ではなく、両手で丸ごと受け取って下さい。自分がその助けられるに足る人物かどうかなど気にしてはなりません。自分がその役割に適合しているかどうかなどの分析は必要ない。ただアプライし、その上でオファーが手元に届いたらそれを受けるか、拒否するかを決めればよいのです。それはとても簡単なことです。その上であなたが誰かに対して何ができるかを必ず見つけるようにしましょう。そうすれば全てがスムーズにうまく進むようになるでしょう。

作野:本日は示唆に富んだお話、誠にありがとうございました。

(1月13日、日豪プレス・オフィスで)

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