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マーベラス・メルボルン「キュー・アサイラム精神病院」

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 メルボルンはかつて世界一の金持ち都市となり「マーベラス・メルボルン」と呼ばれた栄華の時代があった。メルボルンを首都としたオーストラリア連邦政府ができる1901年までの50年間、メルボルンっ子はいかにして驚異のメルボルンを作り上げていったのか――。

第51回 キュー・アサイラム精神病院

旧キュー・アサイラム精神病院(現高齢者用施設)
旧キュー・アサイラム精神病院(現高齢者用施設)

 旧キュー・アサイラム(Kew Asylum)精神病院は、19世紀では豪州最大の精神病院で、ビクトリア植民地では初の目的型建築物だったが、当初の壮大な計画や理想に反し、数奇な経緯をたどることになった。

 185 0年代、ビクトリア植民地のアサイラム(保護施設)は既にどこも満杯状態であった。当時のアサイラムは病院ではなく収容施設で、警察など行政の管轄下にあり、そもそも医者が不在で、舎監の監督下で収容されていた。

 精神病患者以外に、犯罪者、身体障がい者、売春婦、孤児、老齢者、認知症患者なども保護・収容されており、つまり社会に受け入れてもらえない人びとのための施設であった。かなり不衛生で収容者の扱いもひどいものであった。

 コバーグ刑務所(第46回参照)も設立当初は同じ状況であり、精神病院と刑務所は歴史的には同じ背景を持っており、Inmateが囚人と患者の2つの意味を持つのもこのためである。

 ヤラベンド・アサイラム(現感染症病院)は、設立6年目であったが不衛生で、かつての軍用刑務所を転用したカールトン・アサイラム(現カールトン小学校)は、荒廃していた。

 54年に植民地政府は新しいアサイラムの建設を決めて場所の選定に入った。健康的、自由なアクセス、採光、新鮮な空気、水はけなどが要望され、英国本国に対して植民地メルボルンの誇りを見せたいという思いもあり、ゴールドラッシュの資金力を生かして豪華な建築物がヤラ川河畔、ヤラベンドの高台のキューに完成した。そのキュー・アサイラムは、30年代の英国ロンドンのハンウェル病院をモデルにし、E文字形状をした英国の学問的発想を取り入れた最新鋭の設計であった。

旧ヤラベンド精神病院/女性刑務所

旧ヤラベンド精神病院/女性刑務所
旧カールトン精神病院(現ノース・カールトン小学校)

旧カールトン精神病院(現ノース・カールトン小学校)

 同施設は117年の歴史の中で、いくつもの奇怪な事件が新聞に報道されるなど悪評が絶えず、王立委員会の査問を数回受けている。最初の50年は超過密な収容、経営上の失敗、職員や物資の不足、劣悪な衛生、病気の発生など。後半は時代遅れの施設や、施設管理状況が批判の対象となった。病院から逃げ出した患者を容易に発見するための病院服は囚人服とも呼べるものだった。

 王立委員会の報告書に基づいて、88年に精神病法が制定され、女性、孤児、犯罪者は分離されたが、精神病院と呼べる状態に改善されたのは20世紀に入ってからである。1903年の精神病法によりアサイラムから精神病院へと名前が変更された。

このコラムの著者(文・写真)

イタさん(板屋雅博)

イタさん(板屋雅博)

日豪プレスのジャーナリスト、フォトグラファー、駐日代表。東京の神田神保町で叶屋不動産(Web: kano-ya.biz)を経営。

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