出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の四拾壱
2000年、シドニー・オリンピック開幕
2000年はミレニアム(Millennium)と呼ばれ、宗教的な意味合いよりも、一般的には、20世紀最後の年として、ミレニアムを祝うイベントがたくさん開かれましたが、シドニーでの最大のイベントは、シドニー・オリンピックでした。世界のオリンピアンがシドニーに集結。オーストラリア全土にも大きな活気がみなぎってきた時代で、さらに世界に向けてオーストラリアをアピールするなど、希望に満ちた21世紀の夢が描かれました。歴史的な1ページが刻まれていたことを懐かしく思い出します。
その頃、私にLandsdowne Publisherという出版社から、新しいコンセプトの「Sashimi」という本のオファーが来ました。すでにLandsdowneからは「Sushi」の本が吉井隆一さんらにより出版されていて、それに続く「Sashimi」ということでした。刺し身の本の出版は英語圏では初めて。生魚を食べる習慣も増えつつはありましたが、まだまだ新しく、チャレンジのしがいがありました。
写真家Mark O’Meara(Australian Gourmet Safariのプロデューサー、Maeave O’Mearaの従弟にあたります)によって、彼のスタジオでナチュラル・ライトを使った刺し身の撮影が始まりました。従来のようにライトやストロボを使わない方法は私にとって新しく、マークの確実な光の読み方、その速さ、決断力には眼をみはるばかりでした。この頃から、雑誌など料理の写真にナチュラル・ライトで撮影されたものが多く使われ始めました。その後、ラージ・フォーマット撮影のコンセプトを超えて、ニコンやキャノンのプロ用のデジタル・カメラが普及し、撮影のスピードを加速させました。昨今は、携帯電話でも綺麗に撮れ、アプリも増え、料理の写真のイメージがネット上に溢れています。私は時代の変遷を肌で感じています。
撮影初日、私の思い描く「Sashimi」を時間をかけて準備し、撮影を済ませました。しかし、翌日、編集長からクレームが来ました。というのも、気合が入りすぎていたようです。剥き物を添えた豪華なお刺身の盛り合わせを、よかれと思って準備したのですが、編集長の欲しかったものは「シンプル」でした。
従来の刺し身の技術とプレゼンテーションを「シンプルナイズして欲しい」と強調され、私に可能かどうかを再度問われました。大いに戸惑いはありましたが、「Sashimi」を広める機会を逃したくなかったこと、そしてモダンでありながらも、切り口は鋭く和の雰囲気を読者に伝えるという、新しいコンセプトへの共感もありました。そのため、常にシンプルなものを検討、無駄をそぎ落とし、検証しながらの撮影を終えました。出版社の要望に応えうる料理を準備する大変さはありましたが、私の可能性を広げてくれた貴重な経験でした。
ナチュラル・ライトで撮られた料理の写真は軽いタッチでアプローチしやすく、「Sashimi」という、当時では特異な部類に入る料理本を読者が手に取りやすい仕上がりにできたと思いました。編集長も大満足で、その後「Sushi Modern」という遊び心いっぱいの新しい本の出版へとつながりました。
更には、東京のタートル出版が、日本でのローンチに名乗りを上げてくれました。その後、USA、UK、EU、シンガポールなどでの出版につながり、海外における「Sushi」「Sashimi」の現状など日本国内メディア向けにインタビューを通してお答えする時間を持つなど、海外における日本料理を考えさせられる貴重な機会をたくさん持つことができました。後に、「The Complete Book of Sushi」という本が出版されました。これは吉井氏の「Sushi」、私の旧友のBrigid Treloarが発行した「Vegetarian Sushi」を1冊に集約した本で英語だけではなくフランス語、スペイン語にも翻訳されました。
このコラムの著者
出倉秀男(憲秀)
料理研究家。英文による日本料理の著者、Fine Arts of Japanese Cooking、Encyclopaedia of Japanese cuisine、Japanese cooking at home, Essentially Japanese他著書多数 。Japanese Functions of Sydney代表。Culinary Studio Dekura代表。外務省大臣賞、農林水産大臣賞受賞。シドニー四条真流文芸師範、四條司家師範、全国技能士連盟師範、日本食普及親善大使