出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の四拾参
日本食文化体験の弾丸ツアー
海外への自由な渡航が難しくなって1年以上が経ちました。未だ完全な解決策が打ち出されていない中、私の料理クラスに参加する人たちのほとんどは、日本を訪れたくてうずうずしていらっしゃいます。コロナ禍前までは、日本への渡航は航空運賃も安定しており、更には英語での案内も増えたため宿泊先などもネットで自由に選択でき、個人での選択幅も増えていました。
1993年ごろ、オーストラリア人を対象とした日本食文化の体験ツアーを「Gourmet tour to Japan with Hideo Dekura」と題して、日本で開催させていただきました。5回目で終了してしまいましたが、忘れられないエピソードがたくさんあります。
ツアーの目的は、日本の食文化を短時間で余すことなく経験してもらうこと。魚のオークションを見学するために、早朝4時前にまだ暗い中ホテルを出て、築地市場に向かいました。当時は、海外からの観光客もセリを見学できました。オーストラリア人の参加者たちはセリの緊張感と市場の活気を肌で感じると共にその出荷量に驚いていました。仲買店へ足を運び、店に並ぶ多種にわたる新鮮な魚介類を見ましたが、店主は数々の質問を英語で投げ掛けられ、かなり閉口していました。
東京での滞在中、懐石料理を日比谷「なだ万」で、堪能してもらいました。皆さん懐石料理を頂くのは初めてで、料理の技術と盛り付け、器にため息をつき、店の接待に感動していました。フルコースの懐石料理を戸惑いながらも、満喫していました。
翌日は、箱根へと移動し、「小涌園」に滞在。そこで宴会料理を楽しみました。旅館の方の気遣いで、温泉につかったあと、1人ひとりに着物を着付けてくれ、夕方の宴会料理を更に盛り上げてくれました。懐石料理よりも堅苦しくなく、派手な演出の宴会料理に、酒も大いに進み、かなり酔っぱらう人もいました。
また、飛騨では、山菜料理など民宿料理を、薄明りの中、囲炉裏を囲んで座り、女将さんから説明を受けながら頂きました。川魚などを焼きながら頂く料理は質素ですが、タイムスリップしたかのような、落ち着いたひと時を、皆さん、たいへん気に入ったようでした。
京都では、お抹茶とお菓子を頂く簡単なお茶会を楽しみました。大阪淀屋橋のガス・クッキングスクールを訪問した際は、学校の有志の先生と生徒さんが日本料理を披露、オーストラリア側はパブロバとシフォンケーキを作り、交流を深める意見交換を持ちました。
新幹線の移動の際は駅弁を楽しみ、地方では居酒屋料理、ストリート・フード、デパ地下、地元の市場などに足を運び、更には酒蔵を訪れ利き酒をしたり、キッコーマンでの醤油醸造の歴史を学んだりなどしました。旅の最後は、カラオケとスナック料理で盛り上がりました。
30年近く前は、まだまだ英語での資料が充実しておらず、個人での旅には不自由なことが多々ありましたが、その後、海外から観光客が増えると共に徐々に対応し、日本食文化を紹介できる基盤が整いつつあります。ネットの便利さも相まって、個人旅行が楽しめるようになっている今、コロナが早く収束し、再び日本の旅が楽しめる時が戻ることを願ってやみません。
このコラムの著者
出倉秀男(憲秀)
料理研究家。英文による日本料理の著者、Fine Arts of Japanese Cooking、Encyclopaedia of Japanese cuisine、Japanese cooking at home, Essentially Japanese他著書多数 。Japanese Functions of Sydney代表。Culinary Studio Dekura代表。外務省大臣賞、農林水産大臣賞受賞。シドニー四条真流文芸師範、四條司家師範、全国技能士連盟師範、日本食普及親善大使。2021年春の叙勲で日本国より旭日双光章を受章。