メルボルンはかつて世界一の金持ち都市となり「マーベラス・メルボルン」と呼ばれた栄華の時代があった。メルボルンを首都としたオーストラリア連邦政府ができる1901年までの50年間、メルボルンっ子はいかにして驚異のメルボルンを作り上げていったのか――。
第56回 メルボルン大学
メルボルン大学は、2021年の世界ランキングで31位にランクされ、豪州では唯一50位以内に入る世界のトップ大学の1つである。
1853年、メルボルンの知性の拠点として英国のオックスフォード大学、ケンブリッジ大学をモデルとして設立され、55年に授業が始まった。当初は、教授4人、学生数16人で、卒業したのは4人という規模であった。英国と同レベルの高度な学問の追及と共に、南太平洋の植民地で実際に使用できる実用学の実践という2つの重要な側面を持っていた。
最初の4学部は、法学部、自然科学部(物理学)、医学部(病理学)、工学部であった。最初の学部は57年に設立された法学部で、61年に工学部、62年に医学部(薬学部)が設立された。現存する大学最古の建物は、パークビル・キャンパス中央部に位置する中庭建物と法学部校舎(Quad and Law School)である。
医学部は豪州初の医学学校であり、南太平洋の孤立した植民地で本格的な病気や疫病などの研究と共に、実際の病院で活躍できる医師の育成と訓練を実施した高度な医学機関であった。48年にビクトリア州の最高医療施設としてメルボルン病院が開設されていたが、教授陣が大学へ移動した。
メルボルン病院の病理学者ハリー・アレン教授は実践病理学を専門とし、メルボルン病院で若い医師の教育を行った現場主義の学者であった。アレン教授は病理学と薬学の研究を実施するウォルター&エライザ研究所を設立したことでも知られる。
法学、医学、工学は太古から実社会で必要とされる学問であるが、自然科学は、19世紀中旬になって明確になってきた学問分野である。サイエンス=自然科学という概念が形成され、科学的方法に基づく実験で実証する新しい学問であり、自然科学部は、論理実証主義を実践する近代的なサイエンス学部であった。
メルボルン大学の特徴の1つは、大学北側に造られた広大な敷地を持つ寄宿舎カレッジだが、最初にキリスト教系の4カレッジが72年に設立された。オーモンド、トリニティ、クイーンズなど12の全寮制カレッジがあるが、英国の伝統的な寄宿舎であり講義が行われる校舎でもあった。
メルボルン大学は、市内から徒歩15分ほどの場所にあり、誰でも構内を散策することができる。大学事務局では、学生や旅行者に無料ツアー・マップを配布している。