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豪州鉄道の大混乱/マーベラス・メルボルン

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 メルボルンはかつて世界一の金持ち都市となり「マーベラス・メルボルン」と呼ばれた栄華の時代があった。メルボルンを首都としたオーストラリア連邦政府ができる1901年までの50年間、メルボルンっ子はいかにして驚異のメルボルンを作り上げていったのか――。

第57回 豪州鉄道の大混乱

サザンクロス駅の蒸気機関車は広軌ゲージを走る
サザンクロス駅の蒸気機関車は広軌ゲージを走る

 1854年9月12日、豪州最初の鉄道である蒸気機関車が、メルボルンのフリンダース駅-サンドリッジ海岸の4キロを走った(第25回参照)。しかしその背後では、豪州を大混乱に陥れる問題が発生していた。いわゆるゲージ戦争である(ゲージ=軌間:鉄道レール間の幅)。蒸気機関車は19世紀前半に英国で発明されたが、民間鉄道各社が勝手にゲージを決めたために、直通運転ができずにゲージ戦争と呼ばれる論争が起こったのだ。

 1846年に英国で鉄道ゲージ法が制定され、アイルランドを除く英国全土で1435ミリ、アイルランドで1600ミリが規定された。

 豪州最初の鉄道計画は、メルボルンよりもシドニーの方が早かった。パラマタ―シドニー鉄道線を計画した民間のシドニー鉄道は、50年にアイルランド人のシールズ主任技師の進言でアイルランド規格である1600ミリ・ゲージをNSW植民地政府に提案して許可され、更に英国本国の植民地大臣アール・グレー(紅茶好きで有名)に51年に認可された。NSWが1600ミリを採用したことはすぐにVICなどの各植民地へも通知された(VICは1851年にNSWから分離)。

 VICは、先輩植民地NSWにならって1600ミリを採用した。ところが財政上の理由でシドニー鉄道が職員の給料をカットしたために、シールズが退社してしまったので、新たにスコットランド人のワラスを採用した。ワラスは英国標準ゲージ1435ミリを主張して会社とNSW政府に認可された。53年2月にNSWは各植民地に書簡を送ったが、既にメルボルンでは最初の機関車や列車を1600ミリ・ゲージで英国に発注した後であった。VICはNSWに対して1600ミリの使用を連絡し、英国本国に対してNSWの決定を覆すように要請した。54年にメルボルン・ホブソン湾鉄道は、豪州最初の鉄道を1600ミリで開通した。

パッフィングビリー鉄道は762ミリ狭軌ゲージ

パッフィングビリー鉄道は762ミリ狭軌ゲージ
豪州大陸間鉄道は1435ミリ標準軌が採用された

豪州大陸間鉄道は1435ミリ標準軌が採用された

 南豪州も最初の蒸気機関鉄道を1600ミリで56年に開通。NSWは1435ミリ・ゲージで鉄道の建設を進めた。65年にQLDでは狭軌1067ミリを採用したため、更に問題は複雑化していった。1962年にVIC州が1435ミリの標準軌道線を敷設して、メルボルン-シドニー間が100年以上を掛けて初めて結ばれた。

 66年に狭軌線路部分が標準ゲージに転換され、シドニーからパースの大陸横断鉄道が開通され、インディアン・パシフィック鉄道と名付けられた。しかしゲージ問題は、現在もほとんど解決されていない。

このコラムの著者(文・写真)

イタさん(板屋雅博)

イタさん(板屋雅博)

日豪プレスのジャーナリスト、フォトグラファー、駐日代表。東京の神田神保町で叶屋不動産(Web: kano-ya.biz)を経営。

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