永遠に終わらぬ挑戦
歌手・俳優
西郷輝彦 ✕ doq®代表
作野善教
日系のクロス・カルチャー·マーケティング会社doq®の創業者として数々のビジネス・シーンで活躍、現在は日豪プレスのチェア・パーソンも務める作野善教が、日豪関係のキー・パーソンとビジネスをテーマに対談を行う本企画。今回は、日本を代表する歌手・俳優であり、がん治療を目的にシドニーに数カ月にわたり滞在されていた西郷輝彦氏にご登場願った。今月より前後編に分けてお届けする。
(監修:馬場一哉)
PROFILE
さいごうてるひこ
日本を代表する歌手、俳優、タレントとして50年以上にわたり活躍。1964年、デビュー曲「君だけを」(クラウン・レコード)で60万枚を売り上げ、以来73年まで紅白歌合戦に10年連続出場。NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」、TBS系「水戸黄門」など数多くの時代劇に出演、近年、映画・ドラマ以外にバラエティにも活躍の場を広げている。21年4~9月、前立腺がんの最新治療を受けるためシドニーに滞在
PROFILE
さくのよしのり
doq®創業者·グループ·マネージング·ディレクター。米国広告代理店レオバーネットでAPAC及び欧米市場での経験を経て、2009年にdoq®を設立。NSW大学AGSMでMBA、Hyper Island SingaporeでDigital Media Managementの修士号を取得。移民創業者を称える「エスニック·ビジネスアワード」、NSW州エキスポート·アワード・クリエティブ産業部門のファイナリスト。他、数々のアワードを受賞
作野:本対談は、昨年10月にそれまで数カ月にわたり休刊していた日豪プレスを再創刊してからシリーズ化しているものですが、日豪を舞台に活躍をされている方の心情や人生に対する姿勢を深く理解頂ける連載として好評を得ております。今回、西郷さんは医療を目的にシドニーにお越しになられて、日本では承認されていない治療に挑戦、豪州での生活においてもすばらしい経験をされたと伺っています。その結果、日豪の医療ツーリズムの今後の展開において、また、あるいは同じようにがんで悩んでいる方への希望ともなるなど、日豪間における掛け替えのない希望の架け橋になられたと思います。西郷さんの生き様をお聞きすることで読者の方々に活力を与えられるような対談をお届けできればと考えております。
西郷:日豪プレスの読者の方には若い方が多いのですか?
作野:読者層は20代から50代、学生からビジネス・パーソン、男女比率もほぼ半分と属性は非常に幅広いですが、このシリーズでは、人生を大きく変えたい、あるいは変えるためのきっかけを探している方々への気付きを与えられることを目指しています。
西郷:なるほど。承知しました。ぜひともよろしくお願いします。
作野:まず、西郷さんのプロフェッショナルとしての人生に関してお話を伺わせて頂きたいと思います。これまで歌手として数々のアルバムを制作され、NHKの紅白歌合戦にも10回連続出場、俳優として、映画、ドラマ、舞台でご活躍され、更にバラエティー番組にもご出演など、非常に多岐にわたって活躍されていますが、私が一番すごいなと感じているのが、1964年のデビューから現在に至るまで、57年間という長期に渡って活躍されていることです。私はビジネスの世界に生きていますが、プレーヤーとして会社の成長に貢献できるパフォーマンスを出せるのは30年程度が限度だと考えています。20代で経験を積んだ後、30~60歳くらいの期間、役に立てれば良い方で、プロ・スポーツ選手などは更に短いと思います。そう考えると西郷さんの57年間というのは本当にすごいことです。相当な努力をされてきたのだと思いますが、プロとしてこれだけ長く仕事を続けるために、普段から意識されていること、秘訣があればぜひご共有頂きたいと思います。
西郷:答えは非常に単純で明快です。我々の世界でよく言われている言葉に「1に元気、2に元気、3・4がなくて5に演技」というものがあります。つまり、健康で元気に生きてさえいれば何かができるということですよ。皆さんそれぞれ抱えている問題は違うかもしれません。違うけれども、絶対言えることは長生きした人間が、一番勝つということです。
作野:なるほど。長く健康でいられること、それが長期間の活躍のベースになるというわけですね。「演技」というのはどういうことでしょうか?
西郷:演技というのは努力の果てに身に付けるような類のものではないと思うのです。演技というのはその人の人生から生まれてくるものです。その人らしい個性があった上でできることで、劇団に入っていくら練習したところでうまくなるものではありません。演技は日常生活の中にも当然あるものですよね。自分の性格、生き様のようなものが1つにまとまった時に初めて「ああ、あの人良い芝居するようになったな」と、周りの人が感じてくれるものだと思っています。
作野:ビジネスの世界における「パフォーマンス」に似ているかもしれないですね。ビジネスのシーンでも、例えば新しい役割を与えられた時には、それができるようになるまでは演じろと言われます。例えば、昇進して課長から部長になったような方で「部長なんてできない」と思っている人がいたとします。その場合でも、部長を演じ続けなければなりません。演じ続けるうちにできるようになると。
西郷:そうですね。演じて続けているうちに、ふと自分のものとなっていることに気付いたりすることもあるわけです。
作野:面白いですね。かつてよく耳にした言葉に「FAKE IT UNTIL YOU MAKE IT」というものがあります。「できるようになるまでできるフリをしろ」という意味の言葉で、アメリカでサラリーマンをしていた時に上司からよく言われました。
西郷:なるほど。面白いね。
作野:元気でい続け、かつ演技をされ続けてここまで来られたのですね。
西郷:ええ、気付けばもう57年ですよ。
演技にひたすら傾倒していった時代
作野:私たち40代半ば世代にとっては、西郷さんといえばNHK大河ドラマの「独眼竜政宗」へのご出演や、懐メロとして歌謡番組で「星のフラメンコ」などを歌われていた印象が強いのですが、演じている側の西郷さんにとって、最も思い入れのある歌、映画、あるいはドラマなどがあればぜひお聞かせ下さい。
西郷:歌手の中でも僕はわりと若い頃から演技が好きでした。当時は歌がヒットすると日活、大映、松竹などの映画会社が歌を映画にしてくれたんです。「歌謡映画」と呼ばれていましたね。当時、歌謡映画は非常に人気で、曲がヒットするたびに映画が制作されていました。映画への参加機会が増えていくにつれ、僕はどんどん演技の世界に傾倒していくようになりました。そして「いつかこれで食べられるようになったら良いな」と思ったんです。
作野:演技のどういった点に魅力を感じられたのですか?
西郷:歌で表現できない面、歌にすると暗過ぎて出せない人物の生い立ち、そういったものを映画ではしっかり出せます。随分とのめり込んだので、監督には「良いんだよ、そんなに一生懸命やらなくて」と言われたりもしました。「普通にやれば良いんだから」と言いながら笑って見てくれていましたけどね。ただ、当時一生懸命やっていた経験が積み重ねとなって今でも自分の中のどこかに残っている気がします。その頃でなければ出せない心情があるわけで、それを表に出し表現したことで、今でも当時の心情は僕の中から消えていないのだと思います。
作野:さまざまな役柄を演じられてこられましたが、西郷さんが気に入られている、自身に合っているキャラクターはございましたか。
西郷:当時、最初に見た映画というのが日活映画だったので小林旭さん、石原裕次郎さん、また海外ではジェームス・ディーンに憧れていました。表面上の演技ではなく、例えば後ろを向いた時に背中で語るような、そのような演技に憧れていました。
作野:生き様を背中で表現するような。
西郷:そうですね。表立って表現できないものだからこそ、もしかしたら本人にしか分からないのかもしれませんが……。
作野:オーラというと軽々しい表現になってしまうかもしれませんが、初めて西郷さんにシドニーでお会いした時に一般の方とは違う強い印象を受けました。体から特別な力がみなぎっているように感じたことを鮮明に覚えています。
西郷:そう言って頂けるとうれしいな。
作野:どういった仕事をされていても、人生は結局、人との出会いが全てと私は思っています。西郷さんにとって、人生にインパクトをもたらした出会いというのはありましたか?
西郷:相手が演者であろうと歌手であろうと、影響を受けた人はたくさんいます。ただ、恐ろしい人も多かったですね。勝新太郎さんなどは僕から言わせれば化け物でした。常人とは思えないような生活をし、そして恐ろしい演技をするんです。憧れを持ちましたけど、亡くなられた後にはいろいろなことを考えました。そしてやっぱり、僕は普通の人間でありたいと思いました。普通の人間が演技をするから面白い、それは僕の持論でもあります。
作野:普通の人間というのは?
西郷:いわゆる常人ですよ。ただ、カメラの前に立って演技をすると豹変する。そのような方を僕はすごいなと思います。
作野:想像でしかありませんが、勝新太郎さんなどは豪快な生き様が演技にも出て、その演技から更に人生もどんどん豪快になっていくという、自身の生き様が世の中にインパクトをもたらしていたように思います。
西郷:そうですね。京都は時代劇のメッカだったのでたくさんの役者が当時京都にいました。そして夜になるとみんな街に繰り出し、酒を飲みに行ったんですよ。そこに必ずいるのが勝さんでした。いつも10人以上の人を連れ歩き酒を飲み、僕もよくご一緒しましたが、とにかく口を開けば芝居の話ばかりでした。そして実際に芝居を始めるんです。「もう仕事終わったのだから良いじゃないですか」と言っても終わることはなく、夜がな延々に続いたことを思い出します。
作野:元男子陸上競技のトップ選手、為末大さんの言葉「努力は夢中に勝てない」という言葉を思い出しました。演技が大好きで夢中になり、その結果、それが全てとなり、ひいては人生そのものになっていったのかもしれないですね。
西郷:ええ。ただ、多くの人が気をつけなければならないのは、夢中というのは空回りになってしまうケースもあるということです。
作野:確かに。特に恋愛などで夢中になり、盲目になってしまうと大変ですよね。ところで、西郷さんにとって57年間の芸能生活において、印象に残った「挑戦」はございましたか?
西郷:NHKの大河ドラマ「独眼竜政宗」ですね。それまで時代劇では主役ばかりを演じてきましたが、あの時は代役、しかも渡辺謙演じる伊達政宗を支える片倉小十郎という脇役でした。そのため、いざ撮影に入ると謙ちゃんにばかりアップが行く。慣れない脇役ということもあって、自分の扱われ方に悩みました。そこで、勝さんに相談したところ「それで良いんだよ。テレビを見ている人に、政宗が窮地に陥っている中、小十郎が腹の中で何を考えているのか、を考えさせる。それが伝わればアップなんかいらんのだよ」と言われた。なるほどと思いました。
作野:挑戦からの学びもすごく大きかったわけですね。
西郷:どこで映ろうと観ている人はいるわけで、ストーリーはそれできちんとでき上がっていくわけですから、素直に演じていけば心もしっかり伝わるのです。
胸を張って生きているということ
作野:今回、がん治療でシドニーに来られた理由として「もう少しだけ好きな仕事がしたい」とおしゃっていたことが非常に印象的だったのですが、「仕事」というのは西郷さんの中ではどのようなものをイメージされていたのですか。
西郷:もう少しやりたい、これは永遠のつぶやきなんです。70歳の時には75歳の芝居をしたい、翌年は76歳の芝居をしたい。いつだって今とは違いますから、僕は常に来年の自分に期待し続け準備をしておきたいのです。
作野:もう少しだけ好きな仕事をしたいというのは、おそらく今後も永遠に持ち続けるお心で、そしてそれだけ大好きな職業をされているというわけですね。
西郷:ああ、うれしいですね。そう言ってもらえると。
作野:私自身も会社を起業した身として好きなことをやらせて頂いている部類の人間に入るとは思いますが、冷静に俯瞰して世の中を見た時に多くの方はそうではない。好きなことをしてご飯を食べ、生活をしている人って実は本当にごく一部だと思います。好きなことで生きていきていく、そのためには何が必要なのでしょう。
西郷:大先輩の俳優、歌手の中にも辞めないで続けている人がたくさんいます。苦しいのではないだろうかと感じさせられることもあります。ただ、どんなに大変でも自分にはこれしかない、そしてたまらなく自分の仕事が好きだから、心を飾り付け、これが自分の生き方なんだと堂々と胸を張って生きていく。それができていることをすごくすてきなことだと思います。
作野:それは現代の若者にとってとても良いアドバイスだと思います。昨今の風潮として、いろいろなことをやってみるんだけど短期間で結果につながらず、結局続かないという人をよく見掛けます。オーストラリアには3年ごとに職をホッピングし、より高い待遇を求めていくカルチャーもあるので一概に短期間で職を変えることが良くないというわけではないんですが、1つのことを強い思いと共に夢中になって長くやっていくことはとても大事なことだと思います。誰よりも時間を費やして取り組むので、その結果誰よりも上手くできるようになり世間にも評価されます。若い人には忘れて欲しくないですよね。
西郷:そもそも、まず3年じゃあ無理でしょう。ラッキーな人もいるでしょうが、更にその3年後どうなっているか分からないですよね。また違うことを始めて、結果的にただスケールが小さくなっていく人も多いと思いますよ。
作野:長く続かないものは、結局それだけのもの。たとえそれを実現しなくても別の幸せになれる道筋を見つけた結果なのかもしれません。ですが、例えば20年以上追求し、続けてきた人と比べると少し物足りない人生に感じてしまうというような、そういう面もあるのかもしれないですね。
西郷:長い年月を見据えた時に、最初がいかに大事かというのは何においてもそうだと思いますよ。
作野:さて、ここまで西郷さんのプロフェッショナルとしてのお話を伺ったわけですが、ここからは今回のシドニーに渡豪された目的の闘病、がん治療に関してお話を伺わせて下さい。西郷さんがシドニーで受けられている治療は前立腺がんの最先端の治療であるPSMA標的療法といって、オーストラリア、米国などでは承認されている治療方法ですが、日本では未承認ということで今回はコロナ禍中にも関わらず、決断されてシドニーにお越しになられました。大きな決断だったかと思います。どのような思いでシドニーにお越しになられたかという、心中をお伺いしていきたいと思います(次号に続く)。
(9月8日、オンラインで。撮影はcovid-19の規制緩和後、後日行った)