出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の四拾九
熊本県有明海の熊本海苔
世界の日本料理として、世界に広がった「すし」。その中でも独自の進化を遂げ、独り立ちした「すしロール」、そんな海苔巻きに欠かせないのが「海苔」です。
日本料理における海苔の歴史は古く、701年に制定された大宝律令では国の税金を納める品目の1つに海苔が選定されたそうです。私が幼いころ、昭和20年代の東京湾には自然の浜辺があり、大森海岸などでは海苔造りを行って生計を立てている人々の姿も見られました。
友達とたまに自転車で海岸線まで遠出し、海苔を作っている作業中の人の動きを夢中になって見ていたのですが、おばさんが声を掛けてくれ、天日干しを手伝わせてもらったこともありました。海苔(紅藻)を海苔簾(すだれ)に張り付けるようにのせる際に香る海苔の自然な香り、風味は、今でも思い出されます。ぜいたくな経験でした。
「Essentially Japanese」の海苔の取材では、熊本県、川口漁業協同組合に協力頂き、川口町にあるオフィスで熊本海苔について話を聞かせて頂きました。その際、現在の海苔の養殖技術への貢献に欠かせないイギリス人女性藻類学者Dr. Kathleen Mary Drew-Bakerの記念碑が、有明海を一望できる住吉神社にあるということで案内してもらいました。彼女が糸状体の海苔を発見したことで海苔の人口採苗が実用化、その後、熊本水産試験所の研究員によって1953年ごろまでに人口養殖技術が完成しました。それによって、安定した海苔の供給が進み、今日に至ったわけです。このような地道な研究のおかげで、世界でも「海苔」が手に入るようになったわけですね。
私が訪れた有明海は静かで、海苔の養殖は浅干潟を利用して行われていました。長い棒が何本も立てられた支柱漁場が手前に広がり、養殖の様子を伺うことができました。ちょうど埠頭に着いた船から、採取されたアサリやハマグリなどの貝類が揚げられ、仕分けが行われていました。大きめの立派なハマグリを手にすると、いろいろな料理を頭の中で巡らせると同時に、磐鹿六雁命が景行天皇にハマグリの膾料理を献上し喜ばれたという話に思い至り、1500年過ぎてもなお現在につながっている自然の恵みに感謝しました。
しばらくして干潮になった沼を見ていると、穴からたくさんのムツゴロウが顔を出し始めたので観察していました。ぴょんぴょんと飛び跳ねるその動きは何とも可愛らしい。有明の自然を守りながら、その恵みを育む川口漁業の皆さんをいつまでも応援したいと思います。
最後に、海苔の問屋、熊本市にある(株)吉田屋海苔さんへと案内してもらいました。店主の吉田さんに、日本の海苔の魅力と今後の課題を聞かせて頂いたところ、海外の料理人からも注文が来るそうで、日本の有明海苔が海外に知られてきているとことに誇りと希望を持たれていました。また昨今、韓国のりの流行の影響で、家庭での海苔の需要にも変化が出ているという話されていました。シドニーでも、スナックのように韓国の味付けのりが食べられており、ローカルのスーパーでも販売されるようになりましたね。
最近、東京湾での海苔の養殖産業再開発という明るいニュースを耳にしました。「大森海苔のふるさと館」(東京都大田区)では、東京湾での海苔造りの歴史が学べるようです。興味のある方は、ぜひ訪れてみて下さい。
このコラムの著者
出倉秀男(憲秀)
料理研究家。英文による日本料理の著者、Fine Arts of Japanese Cooking、Encyclopaedia of Japanese cuisine、Japanese cooking at home, Essentially Japanese他著書多数 。Japanese Functions of Sydney代表。Culinary Studio Dekura代表。外務省大臣賞、農林水産大臣賞受賞。シドニー四条真流師範、四條司家師範、全国技能士連盟師範、日本食普及親善大使。2021年春の叙勲で日本国より旭日双光章を受章。