出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の参拾四
豪州発日本料理本の出版
1980年代に突入した30歳半ばのころは、私の人生において最も新しいことにチャレンジできた時期でした。主なビジネスとなってきていたイベント・ケータリングがますます忙しくなりました。
70年代のケータリングは日系企業や商社の奥様方からの依頼が中心でしたが、80年代になると扱う人数が増えたこともあって大手ホテルでの接待にも使われるようになり、依頼が増えました。時には船上やオペラ・ハウス、NSW州立美術館など会場も幅広くなり、演出の面白さも味わえました。同時に、大手ホテル側に自ら日本料理のイベント・ケータリングの話を持ち掛けるなどしてビジネス拡大にも努めました。この時期、日本料理のみならずオーストラリアではイベント・ケータリング・ビジネスの基盤ができ始め、2000年のシドニー五輪に向けて業界は大きく成長しました。
そんな中、出版社ベイ・ブックスのトニー・バーバー社長から、シドニーを基地にして世界市場を目指した日本料理についての英語書籍の出版オファーを頂きました。英語では少ない日本料理本の出版は、海外での日本食文化普及における私の念願でもあり、それがここシドニーで叶うことに心が踊りました。当時の世界市場の中で同分野の本は辻静雄氏とフィッシャー氏の共著『シンプル・アーツ・ジャパニーズ・クッキング』(講談社アメリカ)くらいしかありませんでした。
マーケティングのターゲットを見据え、初版はハード・カバーで出版すると決まりました。内容は、基本を押さえた日本料理の伝統を紹介しながら、先を見込んでコンテンポラリーなタッチで切り込むということに。私は基となるレシピと原稿をまとめ、編集チームとのやり取りを重ねながら、ページ・ネーション(ページ割り)を煮詰め、同時に写真撮影も始まりました。英語で文章をまとめるという日本の料理人にとってのバリアに対し、ベイ・ブックスの編集チームの一丸となったサポートに、今でも感謝しています。
料理の写真を担当することになったトニーの息子アシッリー・バーバー氏は当時、ファッション誌『ヴォーグ』の専属写真家で料理専門ではありませんでした。しかし、カメラ技術に優れセンスも良く、私は同年代の彼から、芸術的センスなど学ぶことが多くありました。
初めての日本料理の本づくりで戸惑ったこともありました。撮影のフード・スタイリングも自分でやると思っていたのですが、作家の仕事を軽減しようと出版社側が思いやりでフード・スタイリストを雇ってくれたのです。いざ撮影初日、日本料理・文化の経験が少ないスタイリストは、当時の雑誌などにもよく見られたことですが、中国や“アジア感”のあるプロップ(撮影の背景などに使う道具)を用意していました。私はビジュアルでも日本らしさを打ち出したいと彼に伝えたのですがうまく噛み合わず、互いの仕事に支障をきたしかねないので、残念ながら彼には退いてもらいました。
昨今の本づくりでは、料理の撮影にデジタル一眼レフを使うことが多いですが、当時は蛇腹(じゃばら)のビッグ・フォーマットのカメラで、配置、ライトなど丁寧に計算し、ポラロイドでテストをした後、シート・フイルムを1枚ずつ入れてさらに時間を掛けて撮影していました。1日で撮れる量も限られ、製作日数が予定より大幅に遅れたのを覚えています。撮影後は現像に回され、写真を見るのは早くて数日後、遅ければ翌週明けでした。
本の表紙は、アメリカ、イギリス、欧州、東南アジア、日本など、各マーケットに合わせてガラッと違ったデザインにすることも勉強になりました。全てがアナログ作業です。いろいろな難題を解決しながら、日本の凸版印刷が印刷を請け負って、いよいよゲラ、印刷、製本の段階へと進み、あとはシドニーの私の手元に新刊が届くのを待つばかりとなりました。
この経験を通して、日本食文化に関わる上で、日本料理を教えることが私の今後の課題となっていきました。
『The Fine Art Of Japanese Cooking』と題された本が完成し、出版の2年後にトニーは病気で亡くなりました。彼の日本料理に対する理解力、そして私に対して忍耐力を持って接してくれたことには感謝の念が尽きません。彼らと作ったこの本は、彼の死後30年間に及び、出版社はマードック、そしてハーパー・コリンズと変わりましたが、ロングセラーになりました。
出倉秀男(憲秀)
料理研究家。英文による日本料理の著者、Fine Arts of Japanese Cooking、Encyclopaedia of Japanese cuisine、Japanese cooking at home, Essentially Japanese他著書多数 。Japanese Functions of Sydney代表。Culinary Studio Dekura代表。外務省大臣賞、農林水産大臣賞受賞。シドニー四条真流文芸師範、四條司家師範、全国技能士連盟師範、日本食普及親善大使