福島先生の人生日々勉強
懺悔滅罪(さんげめつざい)
懺悔とは、悪い行いをした時、そのことを自分や他人に恥じ、自分の過ちを心の底から悔いるということですが、加えて、題名にある「懺悔滅罪」という言葉の意味は、懺悔によって罪を滅ぼすことができるということ、つまり、自分の過ちを心の底から悔いることにより、その過ちから生じるであろう罪が消えるということです。
もちろん謝って済むことと、済まないことがあります。取り返しのつかない過ちというものがあるからです。心の底から悔いれば全て消えてしまうなんて虫のいい話があって良いのかという気もしますね。しかし、考えてみると、心の底から悔いるというのは、なかなか難しいことです。何か悪いことをして反省し悔いる気持ちがあったとしても、心の中にほんのわずかでもその悪いことをした自分を否定しきれない気持ちが残っていたとしたら、心の底から悔いるということにはなりません。
懺悔の深さは気持ちによって変わります。本当に悪いことをしたと思えば思うほど、深い懺悔になります。何度も同じような過ちを繰り返す場合、その人は懺悔をしていないのです。後悔はしたかもしれません。謝ったかもしれません。しかし、「あんなことをしなければけんかにならずに済んだのに」とか、「ああしなければこんなに責められることもなかったな」などと後悔して、次にしてしまった時の作戦を考えているようでは、到底懺悔まで到達しません。そうしてまた、過ちを繰り返すことになるのです。
最も深い懺悔において人は血の涙を流し、血の汗を流すと言われます。「なんと浅ましく恐ろしい心であったか」と、痛みをもって懺悔を深め、学び進んで行き、真実の自己を思い知った時、ようやく迷いのない自己に到達するのです。懺悔は、あっさりと手に入る後悔とは次元が違うのです。
人間は誰でも自分が大事です。自分でも気が付かないうちに自分を守り、ひいきをしてしまいます。ですから、心の底から懺悔して罪が消えるということは、口で言うほど簡単ではありません。人は罪を罪とも思わずに生きていく存在であり、そんな自分を自覚して懺悔しきれないとしても懺悔し続け、その果てに、滅罪があるのではないかと思います。後悔などひとしきりしたところで罪は消えません。
お子さんを指導する時には、間違いに気付いた後が大事なのだと教えましょう。「私はいつどんな時にも間違ったことは決してしません」と言える人はそういるものではありません。人間は時々間違いをするものです。しかし、自分の間違いに気が付いた時、はっきりとそう言える人が立派なのだと伝えましょう。間違いをしない人になるのは難しいことですが、間違いを認めることができる人には誰でもなれると思うのです。
教育専門家:福島 摂子
大阪府出身。34年間、教育に携わり、教育カウンセリング・海外帰国子女指導を主に手掛ける。1992年に来豪。シドニーに私塾『福島塾』を開き、社会に奉仕する創造的な人間を育てることを使命として、幼児から大学生までの指導を行う。2005年10月より拠点を日本へ移し、日々活動の幅を広げていく一方で、オーストラリア在住者に対する情報提供やカウンセリング指導も継続中である。