出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の参拾伍
日本料理、進化の時代に突入
1980 年代の開幕は私にとって一大転機となる料理の活動に拍車が掛かりました。ル・キオスクの契約が終わり、日本食に関する全てのエリアに精通したこれまでにないビジネスを追及することを目指し、「Japanese Functions of Sydney」のオフィスをノース・シドニーのリトル・ウォーカー・レーンに構えました。
ノース・シドニーはCBDに近く、ビジネスを機能的に行いやすい穴場で、今と比べると駐車が簡単でした。家賃もCBDに比べて安く、ノースに住む人たちにとっては、生活環境が整っていました。そのため、日本企業のオフィスもかなりありました。
私は、オーストラリア企業の顧客を開拓するために、オージーのスタッフを雇っていました。マーケティングの経験があり、日本に理解ある人を探し、知人の紹介で、ローカルの女性を雇用しました。彼女を雇ったことで、現地での活動がスムーズになりました。イベント・ケータリングのビジネスの可能性が更に広がりました。
私が主に狙っていたのが、出版、教育関係、日本食と食文化を各メディアに紹介していくことです。日本食文化のバリューを豪州全土に広めることを目指し、日本料理の研究を行い、同時に、日本にいる日本料理界の家元や兄を含む先輩方と、頻繁に情報交換しました。更にはオーストラリアの現状を専門誌に連載させていただきました。
キッコーマン・オーストラリアの協力の下、食の専門家、フード・メディアのメンバーの人たちや、ホテル、学校、TAFEなど専門学校などにも出向いて、キッコーマンの商品のプロモーションと同時に、家庭料理から、割烹料理、寿司刺身に至るまで、日本料理を、いろいろな演出を駆使しながらプレゼンテーションと共に毎月のように紹介させていただきました。当時は食品のプロモーションをこのような形で紹介するのは珍しく、オーストラリア・メディアなどでも注目されました。
今日では、日本食材や酒などのプロモーションは、日本から訪れる行政の視察団、JETROなど政府組織による売り込み、また独自のプロモーションを行うプライベートの企画会社などによって機会が増えました。しかし、当時、キッコーマンの活動は、画期的な活動として注目され、オーストラリアにおいて日本食材の普及のみならず、日本食文化の定着に大きな業績を残したと思います。
そんな中、1986年、ジャパン・フード・コーポレーション(JFC、現、小川重社長)がキャッスル・クラグのスーパー「さくら」を配下に、総合日本食材輸入、及びディストリビューターの会社として設立され、その後事業拡大と共にレーン・コーブにオフィスを移し、日本食材普及が更に加速化されました。
「さくら」では、毎週土曜、オーストラリア人の女性が日本の家庭料理のデモンストレーションをしていました。この企画は、オーストラリア人が、より食卓に日本料理を取り入れるきっかけとなり、プロモーションとして成功を収めていたように思います。
彼女とは、長年、公私にわたり友人として付き合っています。当時は「Food Economist」のコースを修了し、結婚もされていましたが、まだ若く、日本に行ったこともなかったにもかかわらず、とても勉強家で、独学で日本料理を学んでいました。専門は、アイシングを使ったウエディング・ケーキなどお菓子作りでしたが、彼女の器用さが、日本料理の繊細さに合っていたのかもしれません。このころから、日本人以外の料理人や食の専門家が、日本料理に興味を示し始めました。
JFCは、キッコーマンの姉妹会社であるという、世界的なネットワークを生かし、あらゆる食材を輸入し、ジュン・パシフィックさんと共に日本食材を取り扱う大手2社として、豪州及びNZ、南半球での日本食材普及に飛躍をもたらしました。
同時に、この頃バブル経済により、消費がますます伸び、日本食材店の供給のバランスも見事に保たれていました。料理人や在豪の日本人、またオーストラリア人社会にとっても恵みの時代に突入しました。
時同じくして、私の2冊目の本、「Japanese Favourite Recipes」が出版されました。1980年代初期としては、割烹の基本を守りつつコンテンポラリーな美しいプレゼンテーシヨンをしているものとなっているはずです。いよいよ日本料理にも進化の時代が始まります。
出倉秀男(憲秀)
料理研究家。英文による日本料理の著者、Fine Arts of Japanese Cooking、Encyclopaedia of Japanese cuisine、Japanese cooking at home, Essentially Japanese他著書多数 。Japanese Functions of Sydney代表。Culinary Studio Dekura代表。外務省大臣賞、農林水産大臣賞受賞。シドニー四条真流文芸師範、四條司家師範、全国技能士連盟師範、日本食普及親善大使