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着任インタビュー 在ブリスベン日本国総領事 田中一成氏

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着任インタビュー

在ブリスベン日本国総領事
田中一成氏

日本とQLD州の関係性にとって有効なことを確実に進めていきたい

着任インタビュー 在ブリスベン日本国総領事 田中一成氏

2018年10月の柳井啓子氏(現・モルディブ大使)の急な転任の後、2カ月にわたって空席となっていた在ブリスベン日本国総領事館総領事のポスト。その空位を埋めるべく同年12月10日付で、在ホノルル日本国総領事館首席領事、外務省経済局漁業室長などを歴任した田中一成氏(59)が着任した。ブリスベン在住の本紙特約記者・植松久隆が、着任間もない田中新総領事を同地の日本国総領事館に訪ね話を聞いた(取材日:18年12月27日)。


在外公館のトップとして

――年末のお忙しい時期にもかかわらず、お時間を頂きありがとうございます。まずは、今回の着任までの経緯を簡単に聞かせて頂けますか。

今回の人事は、本省(外務省)で11月1日に発令、引き継ぎを経て、12月10日に着任という、慌ただしいスケジュールでした。できることなら、12月3日に行われた当館主催の天皇誕生日のレセプションに間に合うように来られればと思っていました。そうすれば、その機会にいろいろな方にごあいさつができましたから。しかし、それもかなわず、ご迷惑をお掛けして申し訳ない気持ちです。

柳井啓子前総領事が10月中旬に退任してから私の着任まで、総領事が2カ月弱にわたって不在となってしまったのですが、その間は、田辺毅首席領事が総領事代理を立派に務めて頂きました。今後は、私が在ブリスベン日本国総領事館のトップとして、皆様とお会いする機会を持てればと思っています。

――着任後間もなくクリスマスのホリデー期間に入ったこともあって、公式な表敬は年明けから徐々にということになりますか。

着任後、2週間少々で、既に州総督、州議会議長、ブリスベン市長、州最高裁判事には表敬できましたが、アナスタシア・パラシェイ州首相にはまだ公式表敬ができていません。ただ、着任当日(10日)、州首相主催のクリスマス・レセプションに顔を出した折に簡単なごあいさつだけはさせて頂きました。

――日系コミュニティー内にも前任の柳井氏の離任が非常に急だった印象が残っています。それを受け継がれてからの周囲の印象などはいかがでしょうか。

あいさつ回りの中で、(前任の在任期間が)短いからということではなく、柳井さんはとてもフットワークが軽く、いろいろな方と交流されていたことを多くの方から伺いました。そういう意味でそれを引き継ぐプレッシャーも多少はあります(笑)。そのことで、私もしっかりやっていかなければという気持ちが強くなったのは間違いありません。

――これまでの経歴でも、在留邦人の多いホノルルなど多くの在外公館での勤務を経験されています。総領事としての赴任は今回が初めてですが、今まで「領事」として勤務される時のご自身のスタンスやポリシーなどがあればお聞かせください。

総領事館ないしは領事というと、皆さんは在留邦人のパスポートやビザ関連、または邦人が病気や事故に遭われた際の手助けというような、いわゆる「領事業務」を一番に思い浮かべるでしょう。しかし、当然ながら、総領事館の仕事はそれだけではありません。領事業務も非常に重要ですが、文化交流や経済面での日豪両国企業の支援事業など、領事館の業務は多岐にわたります。

その中で、私はかつてホノルル勤務で広報文化を担当、2回目の勤務では総領事館のナンバー・ツーの首席領事として総領事を補佐する業務も経験しました。今回は、在外公館のトップとして、自分の担当のみならず全体を見ながら、他の領事の意見も聞きつつ、日本及び日系コミュニティー、そして日本とQLD州の関係性にとって有効と思われることを確実に進めていきたいと思います。

オーストラリアとの長き縁

――オーストラリアとは長いキャリアの中で浅からぬ縁があると聞きました。その点についてお聞かせてください。

縁はありますね。実は、外務省入省後の最初の研修先がキャンベラで、2年間外交官補としてオーストラリア国立大学で学んでいました。その後のメルボルン総領事館と通算で4年半ほどの滞豪経験があります。そのいずれも1980年代の話でして、何分30年以上も前の話になりますが……(笑)。

その後の本省勤務でも、オーストラリアを管轄する課での勤務もありました。そういう意味では日豪関係を間近で見てきたという経験を踏まえての今回の人事だと思っています。

ちなみに、キャンベラでの研修生時代に研修指導官の補佐として面倒を見て頂いた書記官が、つい最近離任されたばかりの、若き日の草加(純男・前駐オーストラリア特命全権大使)さんだったのも何かの縁でしょうか。キャンベラで研修を受けてスタートさせたキャリアだったので、将来、オーストラリアの日本国大使館やどこかの領事館で勤務することがあるのではないかと思っていました。

――ブリスベン、QLD州との関わりはいかがでしょうか。

QLD州との関わりは、キャンベラでの研修生時代に遊びに来たのと、その後に出張で数回訪れたことがあるくらいでした。ブリスベン市内は当時からビルが多くて、そこまで「田舎」という印象はなかったですね。正直、QLD州に関してはまだまだ知らないことが多いので、今回、いろいろと勉強させて頂きたいと思っています。

やはり、30年前と比べれば、オーストラリアの国自体も変わったことでしょう。何よりも日豪関係にも大きな違いが見られるのではないでしょうか。

私がオーストラリアにいたころに比べて、日豪関係はさまざまな分野で非常に深化しています。政治防衛面では、今や“準同盟国”とも言えるような関係です。日本から見た南太平洋にオーストラリアという日本を深く理解しているだけでなく基本的価値観を共有でき、多様な局面で共に仕事ができる国があるのは我が国としても心強い。更にその関係を強めていければ、この地域の安定というと大げさかもしれませんが、日豪関係はもっと大きなピクチャーで描けると思います。その中で、QLD州との関係において在ブリスベン日本国総領事としてどういう働き掛けができるのかをこれからどんどん考えていく必要があります。

――日本とQLD州の関係性に関しての現時点での印象はどういうものでしょうか。

いかんせん着任間もないので、あくまでも、これまでに東京での引き継ぎを含めて感じた印象で言えば、私が思っていた以上につながりが深いと実感しています。

具体的にその関係においてまず挙げられるのが石炭です。もちろん石炭が非常に大きな要素だというのは知っていましたが、日本全体の石炭輸入総量の3割以上はQLD州からの物になります。更には日本にとって最大の石炭供給国であるオーストラリアから輸入される石炭の約半分がQLD州産なんです。

あとは牛肉です。これも日本の牛肉輸入総量の実に35%がQLD州産で、オーストラリアから日本へ輸出される牛肉の全体量の実に6割がQLDビーフなんです。これら2つの品目が非常に重要な存在だということは知っていましたが、こうやって具体的な数字を見ると、新たな認識を持つというか、「それだけ日本との関係性が深い」と改めて感じさせられました。

日本とQLD州、国家間の更なる関係深化へ

――ホノルルのご勤務の経験もお持ちですが、QLD州の亜熱帯の気候などは問題なく対応できそうでしょうか。

実は、私は青森県出身で、そんなに暑さには強くないんです(笑)。東京の夏は異常なので比べるのも何ですが、今のところは夜になるとそれなりに気温が下がりますし、過ごしやすくなってきたと感じます。しかし、これからどんどん暑くなると皆さんが仰るので、今後どうなるかは分かりません(笑)。

――生活面はいかがですか。30年前と何が変わったのでしょうか。

80年代にいたころとの比較にはなりますが、一般的に物価はかなり上がっている印象です。街の人の様子は、私がキャンベラで研修生だった時は、気軽にソング(オーストラリア英語でサンダル)を履いていたといった感じでしたが、やっぱりブリスベンの街の中心ではそうでもなくなっていますね。

――総領事公邸のあるハミルトンでは、さすがにそういう格好はできませんか。

いやいや、そういうわけではありません。皆さん、気軽にそういう格好で散歩しています(笑)。

――当地の日系コミュニティーへのアプローチは、どのように考えていますか。

前任地のホノルルは、戦前から続くいわゆる日系人という移民がベースでしたが、QLD州の邦人コミュニティーはそうではありません。もちろん、木曜島などでの古くからの移民の子孫などもいらっしゃるでしょうが、数としては新たに移住してきた新しい世代が多く、戦争花嫁の方々のように戦後間もなく移民されて来た層もいて、かなり事情が違うのかなという認識があります。それでも皆さん「日本」を拠り所にすることは共通しているので、いろいろと要望を伺って領事館として、やれることを対応していきたいと思います。

――今回の赴任には、メルボルンでもご一緒だった奥様とお2人で来られていると伺っています。

そうですね。キャンベラでの2年の研修の後、最初の赴任地はイラン・イラク戦争真っただ中のイラクの首都バグダッドの大使館でした。実は、キャンベラからバグダッドに移る間に結婚をしまして、新婚の妻もバグダッドに連れて行きました。当時のバグダッドは、もちろん戦時下だったので大変なことも多く、一度、休暇で日本に帰った時に本省の人事課に「オーストラリアで研修を受けたので、オーストラリア勤務を希望する。ぜひその機会を与えて欲しい」と希望を伝えたら、それがかなってメルボルン総領事館への勤務が決まりました。

そして、このメルボルン駐在時に一人息子が産まれたんです。その時に、現地の戦争花嫁の方に子守をお願いしていた経験があり、少し彼らの話を聞いたこともあります。今回は、その時以来の32年ぶりの夫婦そろってのオーストラリア滞在になります。32歳になった息子がもし機会を捉えてブリスベンに来るようなことがあれば、家族の思い出の地でもあるメルボルンに足を運ぶのも良いかなと思っています。

――今回の任期中に行ってみたい所などはありますか。

やはり、在ブリスベン日本国総領事館が管轄するQLD州は、隅々まで行ってみたいです。特にQLD州の極北部などは、自分の目できちんと見てみたいですね。個人的には、まだ訪れてない西オーストラリア州やノーザン・テリトリーも訪れてみたいと思っています。

――最後に今回の任務に就かれるに当たっての抱負をお聞かせください。

我々、領事館という組織は、まずは何よりも、日本及び日本人、日系コミュニティーのために存在しています。まずはそこをベースにした上で、日本とQLD州の関係をどう深めていくかということが重要になると思います。

日本人の皆様、日系企業、そして政府の利害を最大化することを一番の目的とするならば、その基礎を築くには、まずいろいろな方とお会いして現状を理解する必要があります。その上で私共として何ができるかを見据えて仕事をしていくのが大事だと思っています。日系コミュニティーとして、地元社会とどう関わっていくかというなど、草の根での2国間関係を深めていける術をしっかり考えていくつもりです。また、来年以降はラグビーW杯、東京五輪の開催などで日本が世界中から脚光を浴びることになるので、更にQLD州の日本への関心を広められるようにさまざまなプロモーションもしていきます。

――本日はありがとうございました。


田中一成(たなかかずなり)
青森県出身。岩手大学人文社会科学部卒業。1959年2月19日生まれ。1981年外務省入省後、在ホノルル日本国総領事館、在ガーナ日本国大使館、アジア大洋州局、経済局、国際開発高等教育機構附属国際開発研究センターを経て、2011年には在ホノルル日本国総領事館首席領事に。その後、総合外交政策局で外交政策調整官、経済局で企画官・漁業室長を歴任。18年12月、在ブリスベン日本国総領事に着

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