豪州経由、サッカー選手の自分を“J”に刻む
第59回 今回登場のワーホリ・メーカーは?
櫛田一斗さん
1987年まれ・京都府出身
京都紫光SCJrユースでサッカーを始め、桂高、京都産業大学を経て佐川印刷SCでプレー。2011年にタイへ渡ると16年まで計3クラブに所属。17年に豪タプトFCに加入。翌18年はウーロンゴン・ユナイテッドでプレーし、そのシーズン・オフにJ3いわてグルージャ盛岡への加入が決定。ポジションは守備的ミッドフィルダー
オーストラリアでのプレーを経て“J”の舞台へ。現在32歳の櫛田一斗さんは今年、サッカー・Jリーグ3部(J3)の「いわてグルージャ盛岡」で遅咲きとも言えるJリーガー・デビューを迎える。
「今シーズン、確かな結果を残せなければ現役引退の決断に迫られます。1日1日、結果を残していくだけ」
サッカー人生の新たな1ページへの意気込みは力強い。
櫛田さんがサッカーを始めたのはJリーグ開幕の1993年、小学1年生の時。友達から地元のサッカー・クラブに誘われたことがきっかけだった。だが、そこから「エリート」と言える競技人生を歩んだわけではなかった。高校サッカー選手権などで全国的な注目を浴びることはなく、唯一、高校3年次に国体の京都府選抜に選ばれたことが本人曰く「輝かしいキャリア」だという。国体出場をきっかけにスポーツ推薦を受け地元の京都産業大学に進学すると、そこでもサッカーを続けた。学年が進むごとに競技を続けるか完全に第一線から退くかという決断を必然的に迫られたが、思いは1つだった。
「特定のチームからの誘いはありませんでしたが、プロになるという夢を見据え、可能性を信じてサッカーをするだけでした」
そうして、佐川印刷に入社しサッカー部(佐川印刷SC)に所属した。2年間プレーしたが、当時の生活を「仕事とサッカーの掛け持ちは体力的にきつかった」と振り返る。100%の力をピッチで出せない状況を変えたいと思っていたところ、佐川印刷SCを退団するタイのプロ・サッカー界とつながりを持つ人物から同国のクラブのトライアウト実施に関する話を受ける。すぐさま挑戦を決意すると、2週間のトライアウトを経てプロ契約を結んだ。
2011年からタイのプロ・リーグでのプレーを始めた。初年度にはベスト・イレブンに選ばれるなど華々しいスタートを切ったが、14年のシーズン終盤に櫛田さんを悲劇が襲う。右脚の前十字靭帯断裂。半年後に復帰するも、再度同じ箇所を断裂した。15年シーズンから2季にわたって満足にプレーできずにいたが、同時に次の思いも募らせていた。
「周囲から求められるプレーが変わらず、新たなプレー・スタイルを切り開けないという危機感があり、モチベーションも保てなくなっていました」
閉塞感を打破する――。そうした気持ちで新たな環境を求めた。そして、ワーキング・ホリデー制度を利用しオーストラリア・シドニーに渡った。
見つめ続けた視線の先
17年1月に来豪。その時点で活動期間を、ビザが有効な最長期間の2年と定めていた。理由をこう語る。
「セミプロだったので、クラブからビザのスポンサーを受けることが難しい状況でした。3年目以降だと学生ビザへ切り替えなければいけない可能性が高く、それだとプレーに集中できない。限られた時間を次にどうつなげるか、2年間は自分自身への挑戦の時間でした」
チーム探しは難航したそうだが、それでもシドニーの南方約80キロの場所に位置する都市・ウーロンゴンの地域リーグ「イラワラ・プレミア・リーグ」のタプトFCとの契約にこぎ着けた。翌年には同リーグのウーロンゴン・ユナイテッドへ移籍。大けがに見舞われたタイでの最後の2シーズンでは合計16試合にしか出場できなかったが、オーストラリアでのプレー開始後、1年目は21試合、2年目は26試合に出場。守備的な中盤の選手ながら2年目には4ゴールを奪うなど完全復活を果たした。
この復活劇を含め、櫛田さんを支えたものは何だったのか――。疑問をぶつけると、返ってきた答えは少々意外なものだった。
「『次に断裂したら引退』と覚悟はしていましたが、それでもポジティブな気持ちでプレーし続けていたんです。思い返せば、このメンタル面での良さが競技人生で非常にプラスに働きました」
また、支えていたものは他にもある。オーストラリアでのプレーを次につなげるという視線の先。それは先述の「プロになるという夢」であり、ステージは「Jリーグ」だ。
「海外で自分のプレーを評価してもらえた一方で、サッカーを始めた日本で評価されないことにもどかしさを感じていました。競技人生の原点となる場所で自分の存在を知らしめたいんです」
昨年10月上旬に帰国すると、複数のJクラブの練習に参加。冒頭のいわてグルージャ盛岡との契約を勝ち取った。
最後に櫛田さんは、新シーズンを控えた現在の心境をこう語った。「今でもサッカーを続けられていることに幸せを噛みしめながら、あとはここからどこまで行けるか、ですね」
流浪のサッカー選手・櫛田一斗は、自らの存在を憧れの地に刻もうとしている。
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