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連邦総督人事

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連邦総督人事

ナオキ・マツモト・コンサルタンシー:松本直樹

2018年12月16日、モリソン首相が今年の3月で5年の任期が満了するコスグローブ第26代連邦総督の後任に、ハーレイNSW州総督を任命する旨を公表している。ただ3月23日にはNSW州選挙が実施されることから、コスグローブの任期が3カ月ほど延長され、ハーレイが正式に27代連邦総督に就任するのは6月28日となる。

連邦総督とは何か

豪州の連邦総督について、①任命及び罷免(ひめん)、②歴代連邦総督、③憲法上の権限、④憲法慣行上の権限や役割、そして⑤いわゆる留保権限、の各諸点から整理してみよう。

まず①だが、1901年1月1日より施行された総計8章128条からなる豪州連邦憲法は、その第2条において、連邦総督は国家元首である女王、すなわち英国のエリザベス女王が任命し(注:ウィットラム労働党政権が制定した「1973年王室称号法」により、それ以降はエリザベス女王を豪州女王と呼称)、また総督は連邦における女王の代表者であり、女王の権能を有すると規定している。

ただし、豪州の基本政治制度は、憲法により明文化された内容によってではなく、その多くが英国議会から導入された憲法慣行によって機能している。そして憲法慣行上は、連邦総督の任命は首相の専権事項であり、女王は首相が内閣の同意を得て推挙した人物を、そのまま自動的に認証している。ちなみに、連邦憲法内に規定されているわけではないが、連邦総督の任期は通常は5年間となっている。

一方、憲法には罷免に関する規定は存在しないものの、やはり憲法慣行上は首相の専権事項とされ、女王は首相の決定をそのまま受け入れるとされる。ただし、これまでに首相によって罷免された連邦総督は存在しない。

上記②だが、憲法の規定からも明らかなように、そもそも連邦総督とは、旧宗主国英国の女王の名代、換言すれば、英国の権益を代表するために設置された役職である。そのため1901年の連邦結成以降、連邦総督には主として英国人が任命されてきた。ただ65年に就任した、豪州人としては3代目の総督のケーシー以降は、総督には豪州人を当てるとのルールが定められている。

デービッド・ハーレイ次期連邦総督
デービッド・ハーレイ次期連邦総督

連邦総督の前職は、最高裁判所判事、学者、州首相、州総督、大物連邦政治家などで、一方、唯一の聖職者出身の連邦総督としては23代目のホリングワースが、またコスグローブ以前に唯一の豪州生まれの職業軍人出身者としては、24代のジェフリーがいる。附言(ふげん)すれば、総督が英国国教会系の信者である必要はない。例えば第19代のコーウェンはユダヤ系であったし、21代のヘイドンは無神論者、22代のディーンはカトリック教徒であった。

次に③だが、連邦憲法はその第1条で、連邦の立法権は女王及び連邦議会に属すると規定しており、これに上記第2条を併せて解釈すれば、総督は立法権を有していることになる。また憲法第5条や第57条には、連邦総督が下院の解散権、あるいは両院の解散権を有することが規定されている。更に第61条では、連邦の執行権は女王に属し、総督が女王の代表者としてこれを行使する、第64条では、首相を含む国務大臣の任命・罷免権が(注:ただし、首相という表現はない)、第68条では、連邦の陸海軍の統帥権も女王の代表者である総督に属するとの規定がある。

以上のように、連邦総督の成文憲法上の権限は、極めて広範かつ強力なものとなっている。しかし、上述したように、豪州の基本政治制度は憲法慣行によって機能している。例えば憲法内には首相はおろか、議員内閣制に関する記述すらないにもかかわらず、実際には下院の多数党あるいは多数党連合が政権に就くという、議院内閣制が採用されている。そのため、④の連邦総督の慣行上の役割、すなわち実際の役割、権限は、③に規定されたものとは大いに異なっている。

例えば総督の議会の解散権にしても、現実にはあくまで首相の助言に基づくものであり、首相の議会解散要請は、総督により自動的に承認されているのが実情である。以上のような点から、しばしば総督は、「判を捺すだけの人物」(Rubber Stamp)とも揶揄(やゆ)されている。ただ、確かに連邦総督の役割、権限は、一般には儀礼的なものに過ぎないものの、他方、事実上(De facto)の国家元首である総督は、象徴的な意味では重要なものであり、かつてのディーン総督がそうであったように、モラル面では強力なリーダーシップを発揮し得るし、それが期待される役職でもある。

さて、重要なのは上記の⑤である。これまで述べてきたことを総括すれば、成文憲法上、連邦総督の権限は強大だが、憲法慣行上、総督は儀礼的な存在に過ぎない、となる。ところが複雑な点は、国政に危機的な状況が発生した場合には、連邦総督は独自の判断で、議会の解散や首相の罷免が行えることが、憲法慣行上認められていることだ。その意味で、これらの権限は連邦総督の留保権限(Reserve Powers)と呼称されている。

総督が恣意的(しいてき)に同権限を行使することも有り得るとされた背景には、予算案の否決権を付与されているなど、連邦上院の権限が強力であることから、政治的膠着(こうちゃく)状況が発生する可能性があり、その際には「政治を超えた審判役」が必要とされるとの事情があった。実際、75年にウィットラム労働党首相が、当時のカー総督の留保権限発動により解任された例がある。同事件は「憲法危機」と呼ばれ、豪州政治史上でも特筆に値するほどの大事件であり、これを契機に総督の留保権限の問題が大いに注目を集めるとともに、民主制度を損なうものとして批判も浴びた。

一般には儀礼的な存在に過ぎない連邦総督ではあるものの、潜在的には重大な権限が担保されているのだ。

コスグローブ現連邦総督

現在のコスグローブ第26代連邦総督は、2000年に豪州陸軍トップの参謀長(陸軍中将)(Chief of the Army)に、02年には3軍の制服組トップの国軍司令官(陸軍大将)(Chief of the Australian Defence Force)に就任し、05年に退役した元職業軍人である。この国軍司令官なるポストは、ホーク労働党政権時代の1984年に創設されたが、同ポストは、文官ポストのトップである国防省事務次官と一応は同格とされる。

このように、正に軍のエリート中のエリートであった人物だが、実は90年代の後半ごろの時点においても、コスグローブが国軍司令官はもちろんのこと、将来陸軍参謀長に就任すると予想した向きは極めて少なく、おそらく陸軍少将で軍歴を終えるものと見られていた。そのコスグローブの評価を一挙に高め、当時のハワード保守連合首相に「異例の」人事を選択させた理由は、偏(ひとえ)に東ティモールでのコスグローブの活躍、すなわち、国連の東ティモール多国籍軍(Interfet)の司令官としての、コスグローブの卓越した手腕、功績にあった。

実際、コスグローブの存在なしには、住民投票後の東ティモール情勢は相当に悪化していた可能性もあった。そうなれば、東ティモールの独立問題に深く関与した、ハワード政権への国の内外からの批判は必至であっただけに、ハワードとしてはコスグローブには感謝してもしきれなかったのである。さらにコスグローブの功績は、単に東ティモール情勢を沈静化したのみならず、持ち前のメディア対応の上手さなどを通じて、東ティモール介入に対する国内世論の支持を大いに高めた点にもあった。

確かに、情勢沈静化は他の優秀な豪州軍人でも可能であったかもしれない。しかし、これほどの世論のバックアップを獲得することは、カリスマ性を持った「兵士の中の兵士」であるコスグローブ以外には不可能であったように思われる。このように、東ティモール問題に絡む褒賞というのが、コスグローブ陸軍参謀長人事、並びに国軍司令官人事の最大の理由ではあったものの、その他にもコスグローブ人事の背景には、幾つかの事情があった。

まず参謀長人事のころは、密入国ボート・ピープルに絡む一件で、とりわけ制服組がハワード政府への不満を強めており(注:軍の一部には、ボート・ピープルへの対処に海軍艦艇などが投入されたことに反発があった)、また同問題では政府に迎合した当時のバリー国軍司令官の発言、やや無責任なホーク国防省次官の発言などにより、国民の国防省への不信、制服組間の軋轢(あつれき)、文官と制服組との軋轢、士気の低下などが引き起こされていたとの事情があった。

ハワード政府としては、国民ばかりか、国防省内でも高い人気を誇るコスグローブを陸軍のトップに据えて、こういった状況の改善を狙ったのである。また政府が連邦予算案の中で、社会保障関連費等を削減する一方で、国防予算だけを聖域化したことに一部から批判が起こり、しかも、国防白書に盛り込まれた長期正面装備調達計画に従って、その後も国防予算の相当な増額が必至であったことから、国民の反発を押えるためにも、人気者のコスグローブのトップ就任は大いにプラスとなることが期待されたのである。

後継候補とハーレイ次期連邦総督

コスグローブが連邦総督となって早くも5年ほどが経過したが、各層からの高い期待に違わず、連邦総督としてのコスグローブは、その安定性、権威、大衆人気の各観点から、高い評価を獲得してきた。従って、総督の任期は一応5年間ではあるものの、コスグローブ本人が希望すれば、任期延長は十分に可能であったと言える。ところが、コスグローブは昨年の9月に、今年の3月をもって予定通り引退する意向であることを自ら明らかにしている。そこで、モリソン首相の動きが注目されることとなった。

ちなみに、ターンブル前首相時代に下馬評に上った後継候補は、ビジネスマンのゴーンスキー(注:ゴーンスキー初等・中等教育改革答申書で有名。ターンブルとは個人的に親密)、キーフェル最高裁判所長官(注:女性初の最高裁長官)、ヒューストン元国軍司令官、ハーレイNSW州総督、自由党のダウナー元外務大臣(注:外相の最長在任記録を持つ)で、一方、モリソン首相下では、ビショップ前外相兼自由党副党首の名前も取り沙汰されていた。結局、候補者の1人であったハーレイ州総督が任命された次第である。

実はハーレイもコスグローブと同様に、豪州軍制服組トップの国軍司令官を務めた人物である。それほどの経歴を持ちながら、ハーレイは偉ぶったところが全くなく、人格的にも大いに尊敬されている。例えば、ハーレイは貧困層の若者にボクシングのトレーニングを指導するなどの慈善活動を行ってきたが、訓練生たちはハーレイが現職のNSW州総督とは知らなかったという。

さてハーレイの次期連邦総督就任で、第24代総督のジェフリー以降の4人の連邦総督の内、実に3人が職業陸軍軍人出身者となる(注:第25代連邦総督は、初の女性で、ショーテン野党労働党党首の義理の母に当たるブライスである)。

ちなみにこのジェフリーも、ベトナム戦争で勲章を授けられるなど、輝かしい軍歴を誇る退役陸軍少将で、退役後の約7年間に亘り西豪州の第27代州総督を務めたが、名総督として高い評価を得た。ジェフリー、コスグローブ、そしてハーレイといった高級軍人出身者に共通するイメージとは、清廉、自律、愛国心、リーダーシップといった、国民受けするポジティブなものであり、そのため軍人出身者の連邦あるいは州総督への任命は、超党派的支持が得られやすいと言えよう。

実際に、連邦総督の後継人事は次期連邦選挙後の新政権が決定すべき、と主張していたショーテン野党労働党党首だが、ハーレイの任命自体は強く支持している。仮にビショップやダウナーが任命されていた場合、ショーテン労働党が激しく反発していたことは想像に難くない。

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