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【今さら聞けない経済学】経済学の目的は、人びとをより幸せにすること

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今さら聞けない経済学

日本や世界の経済ニュースに登場する「?」な話題やキーワードを、丁寧に分かりやすく解説。
ずっと疑問だった出来事も、誰にも聞けなかった用語の意味も、スッキリ分かれば経済学がグンと身近に。
解説・文=岡地勝二(龍谷大学名誉教授)

第46回:経済学の目的は、人びとをより幸せにすること

はじめに

経済学が学問として成り立つための最大の目的は「経国済民」です。今月は、経済状態を安定化させる方法について述べてみます。

昨年末から突如として巻き起こっている「異次元的な現象」から述べます。それは「ゴーン事件」に他なりません。しかし、今年に入ってから新聞やテレビでの「ゴーン事件」の取り扱いが小さくなっています。まだ事件が解決していないにもかかわらず、世間の興味の冷めやすさにはびっくりします。日産自動車前会長・カルロス・ゴーン氏は、拘置所の中での取り調べに一貫して「自分は何も悪くない」と言い、公判で陳述の機会が与えられた際も「自分は会社のために正しいことをしたのだ」と主張しているようです。しかし一般の人たちからすると、ゴーン氏が自ら社長・会長を務めた会社から大金を巻き上げ「私物化」し、富を蓄えてきたという印象が強いでしょう。そして、どの世界でも大なり小なりこうした類の問題は起こりがちであると、案外冷めた気持ちで様子を見ているようです。

とはいえ、私自身この事件の発生後、講義や講演の度に必ずこの件について尋ねられます。私は法律の専門家ではないので詳しくは分かりませんが、この事件が経済に全く関係ないかと言えばそうでもないので、多くの人と話し合いをします。しかし、ほとんどの人がこの事件に関して何が正しくて不正なのか、という区別は一概に分からないようです。従って、急にこの問題が人びとの意識から消えていったように思われます。

有価証券報告書とは何か

今回、問題になっているのはゴーン氏が「有価証券報告書」に虚偽の申告をした、という点です。先月号で有価証券報告書(以下、報告書)とは何かについて触れましたが、事が重大なので、改めて報告書にはどのようなことが書いてあるのか見てみます。

報告書とは企業の「成績証明書」だと言われています。株式を上場している企業は必ず報告書を政府の役所である金融庁に提出しなければなりません。報告書には企業の事業内容、経営方針、1年間の売上高や利益状態など、こと細かに記入し政府に報告するのです。更にその企業には何人の取締役がいて、その人たちは給料を幾らもらっているのかなどの記入が「義務」付けられています。

つまり、企業は会社の経営者が自社のお金を自分勝手に使用していないかチェックするようになりました。経営者による企業の「私物化」を許さなくなったのです。たとえ巨額の財産をつぎ込んで企業を立ち上げ成功させたとしても、そこからの利益を自分のために無分別に使うことが許されないのです。以前はこうした規則は緩やかでしたが、2008年の「リーマン・ショック」を契機に「世界の金融関係はお金の取引をより明確化させよう」という風潮が高まり、企業の経理の明確化をしなければならないという約束の下にそうしたシステムが取り入れられるようになりました。それまで企業の業績は、いわゆる「どんぶり勘定」だったと思われます。それ以来、日本企業でも1億円以上の報酬をもらう役員の氏名は公表させる義務が発生し、「透明性」を高めることを余儀なくされました。

日本を代表するグローバル企業・トヨタ自動車の社長といえども、その年収はゴーン氏の表向きの給料の4分の1ほどしかないようです。

富める者と貧者の格差

さて、ゴーン氏のように富める者は天井知らずですが、貧しい者はどうもがいても裕福にならない、と警告を発した学者がいました。その原因を見つけ分析し、世の中に訴えたのです。そもそも経済学者の使命は「人びとをより豊かにするその方法を見つけ出し、それを広く伝えること」であり、現在でもそれは事実です。富者と貧者の格差はなぜ発生するのか、その格差をどのようになくしていくのかを伝えることが、経済学者の務めなのです。

これまで多くの経済学者がその仕事を行ってきましたが、世間は経済学者の意見に耳を傾けようとはなかなかしません。それは、これまで世の中の「偉い経済学者」が発する意見は一般に「机上の空論」と見られていたからです。世間は「経済学者が言うようにもうかるのなら、その理論を唱える経済学者自身はなぜそのように貧しいのか」という疑問を投げ掛けるのです。

本来の理論に戻ります。富者と貧者の発生を理論的に解き明かした経済学者が最近も現れました。フランスの経済学者、トマ・ピケティです。ピケティの意見に耳を傾けてみましょう。

これまで大勢の経済学者が「なぜ貧しいのか」「貧しさから脱出するためにはどうすれば良いのか」を追求してきました。例えば有名なイギリスの経済学者、トーマス・マルサス(1766~1834)は『人口論』を唱えた学者としてとても有名です。マルサスは「人口は幾何級数的に増大するが、食料は算術級数的にしか増大しない。この格差が人間を貧しくする原因だ」と説いたのです。また、デビッド・リカード(1772~1823)は「そもそも人びとは、地主階級、産業資本階級、労働者階級の3つに分かれるものだ。地主階級は地代を、産業資本階級は利潤を、そして労働者階級は賃金を、それぞれ得ることになり、その中でも賃金の増大が最も低い」と主張しました。労働者階級はいつまでも経済的に向上しないのではないのか、と説いたのです。

更に、本コラムで何度も見てきたジョン・メイナード・ケインズ(1883~1946)は「そもそも社会には、失業という問題が存在しており、これが人びとを苦しめる原因なのだ。たとえ政府がどのような施策をしても3%ほどの失業率は解消されない」と言うのです。失業という問題から開放されない限り、人びとの経済的向上はありえないと主張しました。そこで、失業をなくすために政府は赤字財政を敢行し、どんどん公共事業を興して仕事を増やし、それにより賃金を増大すべきである、という説を唱え、世界経済に極めて大きな影響をもたらしたのです。それは「有効需要の原理」として知られています。一般に企業で働く人たちは労働者であり、失業者の対象はこれらの人たちを指します。そこで、ケインズは労働者に職を与える方法について研究し続けたのです。

『21世紀の資本』という大著を持ってさっそうと現れたピケティは、人はなぜ貧しい状態に置かれなければならないのか、と世界中に訴えます。『21世紀の資本』という題名から人びとの胸に浮かんだのは、この本はマルクスの『資本論』の親類だろうか、という想像です。マルクス(1818~1883)は、なぜ労働者はいつまでも貧しいのかを1867年に著された『資本論』という大著の中で解き明かしてくれました。マルクスは労働者が貧しいままの状態に置かれているのは、働くという「手段」しか持っておらず、それを切り売りするかのごとく使っているため貧しいのだと唱えました。つまり、労働は「再生」ができず、利益を生むことはあり得ないと言ったのです。これが労働者の悲劇である、と説きました。

19世紀後半と言えば、イギリスにおいて「産業革命」が一挙に進んだ時期でした。そこでは、労働者が馬車馬のごとく惨めな労働条件下で働かされており、自らの人生に「光」が見出せないような状態でした。また、日本では1868年が明治維新なので、江戸から明治への移行時期であり、まだ侍が頭にちょんまげを結い、刀を腰に下げていた時代でした。その当時、既に西洋では、マルクスは人間が人間らしく生きる道について、世界に向かって人間の本質を唱えていたのです。

考えてみるとすごいことではありませんか。それから150年ほどしか経っていない機械文明が高度に進んだ現代において、人がなぜ貧しいままに据え置かれるのかについて説かれるようになったのです。それがトマ・ピケティの大著『21世紀の資本』なのです。

トマ・ピケティの『21世紀の資本』

ピケティが『21世紀の資本』の中で訴えているのは、以下のような簡単な式で表現されます。

格差拡大の根本的な原因:収益率>経済成長率=r>g

上の式の「r」とは、資本を持つことから得られる「収益率」のことです。「g」とは経済の成長率を指します。この2つの差が人びとに貧富の差をもたらす最大の要因だ、と説くのです。

資本とは、株、証券などの金融資産のことです。「金持ち」は、経済が進めば資本保有から利益が得られるわけです。事実、株式相場が上昇すれば、会社へ行って働かず家にいるだけで大金が入ってきます。利益が利益を呼ぶ構図です。

一方、経済成長率は遅遅として増大しません。労働者は企業から賃金を受けますが、企業の業績が向上しない限り賃金は上がりません。現在の日本経済がまさにこの現実を物語っています。1985年の「プラザ合意」に端を発して日本経済内にバブルが発生し、それを沈めるため90年代に入って政府当局の「総量規制」というあいまいな政策が施されると、バブルはいっせいに崩壊し日本経済は「深い潜伏」期間に入りました。経済成長率は年率にして0~1%ほどしかありません。

アベノミクスが成長戦略を立てていますが、どんなに立派に笛を吹いても人びとは踊らないのです。つまり、経済は脈動しないのです。そのため賃金は上がりません。労働者は低い生活水準のままに置かれているのです。まさにピケティが唱えているような現実が、日本人に当てはまるのです。このような現実を指導者はどのような気持ちで眺めているのでしょうか。


岡地勝二
関西大学経済学部卒業。在学中、ロータリークラブ奨学生としてジョージア大学に留学、ジョージア大学大学院にてM.A.修得。名古屋市立大学大学院博士課程単位終了後退学。フロリダ州立大学院博士課程卒業Ph.D.修得。京都大学経済学博士、龍谷大学経済学教授を経て現在、龍谷大学名誉教授。経済産業分析研究所主宰

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