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7年6カ月の結婚生活

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出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記

出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~

其の弐拾弐:7年6カ月の結婚生活

師走が迫るNZでの旅を終え、オークランドからシドニーを経由して、後に最初の結婚相手となったオーストラリア人女性のいるアデレードへと向かいました。空港に到着し、当時まだ大学生だった彼女が1人で迎えに来てくれました。6カ月ぶりの、彼女との再会に、胸の高鳴りを覚えました。

アデレードはかつてのビジネス・パートナー、亡きマレーのふるさとでもあり、アデレードという場所には縁を感じていました。アデレード空港から海岸線を南に沿ってある美しいアデレード・ビーチズの1つシークリフに、彼女の実家がありました。シークリフがあるホールドファストベイ市は神奈川県葉山市の姉妹都市になっているように、静かな観光地として知られています。そこで、彼女から、母親と4人の兄弟たちを紹介されました。彼女の母親は、ご主人を亡くされてから、女手1つで5人の子どもたちを育ててきた方で、私に対しても家族同様に接してくれました。不思議と、私にも緊張感はありませんでした。彼らは、初めて会う妹のボーイ・フレンド、それも日本人である私を歓迎してくれて、1週間の滞在予定は3カ月以上にも及ぶこととなりました。

シークリフは、美して静かな海辺の街でした。兄弟たちは友人を紹介してくれたり、街を案内してくれてたり、サーフィンの得意な今は亡き長男は私にウェーブ・スキーを教えてくれました。

当時、アデレードには、鯉(European Carp)のフッシュ&チップスがありました。何回かアデレードを訪ねた時に、食べましたが、NSW州ではあまり見掛けたことがありません。マリー・リバーの鯉を出すレストランがあるようですが、フィッシュ&チップスの定番としてあった鯉はいつの間にか、姿を消してしまったような気がします。

また、シーフード・レストランでのシンプルな「King Gorge Whiting」(キス科)のムニエルの料理がおいしかったことを思い出します。焼くことによって魚の香り、うまみが凝縮されておいしく頂けました。後にシドニーで「Sand Whitting」に出合いました。同じキス科で姿が似ていますが、表面の模様が少し違います。「King George」はどちらかというと、調理に向いていて、シドニーで見掛ける「Sand Whitting」は刺し身やすしに使われ、特に昆布締めに向いています。

この3カ月の滞在中、ゆっくりとした時間の中、人生において結婚という大きな決断がありました。彼女の家族と私の日本の両親から、結婚の承諾を得ることができ、1974年2月、シドニーに戻る前に、アデレードで簡単な式とレセプションを持ちました。そんなにお金を掛けられなかったので、レセプションの料理は、新郎である私が準備しました。急な式だったので、日本からは私の家族は誰も出席できず残念でしたが、翌年、母がアデレードまであいさつに来てくれました。

私たちが結婚した当時は、日本人とオーストラリア人が結婚するのは珍しく、あるいは記事にする材料が少なかったのか、地元の新聞に「日本のシェフがオージーの大学生を射止めた。そのシークレット・レシピが知りたい」などというタイトルの記事が掲載されたことを覚えています。それほど、珍しいことだったのだと思います。今思っても、感謝し、ありがたく思います。

結婚後、シドニーでの新しい生活を始めようと決めていた私たちは、アデレードから寝台車に乗り込み、メルボルンを経由して、シドニーへと向かいました。私の荷物は大したことはありませんでしたが、彼女の荷物は10箱ほど。学生であった彼女の荷物のほどんとは書籍類で、移動や、乗り換えの際、大変だったことを覚えていますが、お互い若かったので、体力的には平気でした。私はオーストラリア人の生活を理解しようとし、彼女は日本に対する知識がなかったので、日本語を学び、日本文化に触れ、日本を理解しようとしてくれました。これから始まる生活に期待で夢が膨らんでいました。

結婚を機にシドニーに戻る準備を整え、NZ滞在の時に打診していた、シドニーにあるメンディス・ホテル直営の日本料理レストラン・景山(けいさん)のオープンに絡み、コンサルティング・シェフとして勤める話が進み始めました。

しかし、人生は順風満帆というわけにはいきません。いろいろあり、この祝福された結婚は7年6カ月しか続きませんでした。しかし、お互い、異文化について語り、人間的にも成長でき、私はよりオーストラリアのことについて学ぶことができました。家族というスタート地点を、与えてくれたことに感謝しています。


出倉秀男(憲秀)
料理研究家。英文による日本料理の著者、Fine Arts of Japanese Cooking、Encyclopaedia of Japanese cuisine、Japanese cooking at home, Essentially Japanese他著書多数 。Japanese Functions of Sydney代表。Culinary Studio Dekura代表。外務省大臣賞、農林水産大臣賞受賞。シドニー四条真流文芸師範、四條司家師範、全国技能士連盟師範、日本食普及親善大使

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