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【WH日記】心に残る日本食をシドニーから届ける – 伊藤信太朗さん

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みんなの「ワーホリ・ダイアリー」

心に残る日本食をシドニーから届ける

第60回 今回登場のワーホリ・メーカーは?

伊藤信太朗さん


1988年まれ・長野県出身
大学在学中、飲食店でのアルバイトをきっかけに料理の道へ。大学卒業後は板前として居酒屋に就職、そこから日本食料理店など数店舗での仕事を経て20代半ばで働き始めたすし屋で板長に就任。同店で板長を2年間務めた後、ワーキング・ホリデー制度を利用し来豪。2年目の2018年5月からゴールドクラス達磨の板長を務める


シドニーCBDグレイス・ホテル内の日本食料理店「ゴールドクラス達磨」。秋田杉の豪華なカウンターの後ろに伊藤信太朗さんは板前として立ち、目の前の客に鮮やかな手つきですしを握る。現在は同店の板長を務め、「何かあれば全て自分のせい。常にトップ・ギアです」と強い責任感を口にするが、仕事中の表情は実に柔らかだ。その雰囲気に釣られるようにカウンターには笑顔の花が咲く。

現在30歳。2017年1月にワーキング・ホリデー制度を利用し来豪したが、その前の2年間も東京・渋谷のすし店で板長を務めた経歴に加えソムリエ資格も持つ。若いながらも確かな実績を誇るが、そのキャリアは少々意外なところから始まった。

高校卒業後、都内の大学に進学しプログラミングを専攻したものの勉強を好きになれず、ある時、飲食店でアルバイトを始めた。厨房で調理を任されると料理にはまり、そこからはアルバイト漬けの生活に。大学を卒業すると板前として居酒屋に就職した。その後、更に技術を身に着けようと先述の板長を務めたすし屋を含め、日本食料理店など数店舗を渡り歩いた。東京では約6年間料理人としての生活を送ったが、その当時のビジョンは海外に向いていたわけではなかった。抱いていた思いをこう語る。

「東京で仕事をしていた間はずっと地元の長野に帰りたいという気持ちでしたが、現場のトップにまで上り詰めないと気が済みませんでした。なので早く一人前になろうと懸命に料理に打ち込みました」

そのため、当時は仕事後も親方が作った料理を思い出しながら自宅で再現するなど、寝る間も惜しんで技術向上に努めたという。

その甲斐あって伊藤さん曰く「同年代では敵なし」というほど料理の技術が磨かれ、また板長時代にはスタッフをマネジメントする術も身に着けた。まさに一人前と言える状態に到達した矢先、東京のある店で出会った先輩料理人から1つの話が舞い込んできた。

「その方の知り合いがゴールドコーストに店を持っていたので、そこで働かないかと誘われました。板長だったので心は揺れましたが、『自分が見てきた若い板前の中で一番実力がある』とありがたい言葉も掛けて頂き、海外で働けるチャンスだと思いその誘いを受けました」

この時、長野に帰り新たな店で働く話もほぼまとまっていたというが、それでも決意は固かった。

板前としてのプライドと挑戦

期待と共にゴールドコーストに降り立ったが、現実は違った。待遇面での条件が来豪前の話と大きく異なっていたのだ。

「接客業である以上、語学力は必要だと考え学校に行かせてもらえるよう頼んでいたのですが、それがかなわなかったばかりか、来豪したばかりなのに住居の手配もしてもらえませんでした。お互い納得いかない中、後々もめるのも嫌でしたから1週間でその店を辞めました」

その後、同地の飲食店では働きづらいと考えたことや所持金などの関係で、ファームに移動し5カ月間滞在した。滞在を終えるとシドニーに移動、新たな生活をスタートさせた。

シドニーで生活を始めてからは回転ずし店などで働いたそうだが、その時に現地で食べられている日本食、特にすしには次の思いを抱いた。

「ずっと板前として働き、確かな技術を身に着けてきましたから、シドニーで食べられているすしには『これが日本食と思われているのか』とショックを受けました」

ワーホリ生活2年目が始まってからの昨年5月、知り合いからの紹介をきっかけに現在の店で働くことが決まった。初めて店に訪れた際、カウンターを含めて雰囲気を気に入り、板前として力を発揮したいという気持ちになったそうだ。

実際に伊藤さんが同店の板長に就任してからはランチ・メニューの変更や新たなすしのセット・メニューを始めるなどして売り上げは上向き、それまで以上に店はにぎやかになったという。

新たな試みを行い店を盛り上げる一方で、自身の流儀を「ローカルの人が好むテイストに合わせるのではなく、あくまでも自分のスタイルを貫きました」と話す。現地で知った日本食へのアンチテーゼであり、板前としての矜持だ。

今後の自身の展望については、ビザの有効期限がまだ残されていることもあり「店をどこまで盛り上げられるか、そこへの興味が尽きませんから、新たなチャレンジを続けていくつもりです」と熱く語る。

最後に、伊藤さんは駆け出しのころから大切にする思いを明かしてくれた。「おいしい料理は人びとの『心に残る芸術』だと思います。自分が作った料理を食べる人に、そう思わせたいんです」

伊藤さんが信念を込めて作る「心に残る芸術」は今もなお届けられている。

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