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オーストラリアで話す日本酒のお話【第6回】日豪、そして日本酒の歴史の話

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オーストラリアで話す日本酒のお話

第6回日豪、そして日本酒の歴史の話

日本ではいよいよ、新しい時代「令和」のスタートです。そこで今回は日本、オーストラリア、日本酒の3つの歴史を重ねてみたお話をしたいと思います。

1505年創業の剣菱は、赤穂浪士が敵打ち前に飲んだ酒として語られている
1505年創業の剣菱は、赤穂浪士が敵打ち前に飲んだ酒として語られている

万葉の時代には自家醸造も

「令和」の出典は8世紀ごろに編纂(へんさん)された『万葉集』ですが、このころには既に宮廷で酒造りの専門機関があり、どの儀式で、誰が何の酒を飲むなどが細かく規定されていました。寺院でも「僧坊酒」と呼ばれる日本酒を造っており、家庭での酒の醸造も行われていたようです。万葉集には「おいしい米でお酒を造ってあなたを待っていたのに……」といった恋歌もあるそうです。

1788年:最初の英国船団がオーストラリアに到着

ちょうど江戸時代(1603~1867年)、日本酒文化が江戸を中心に花開いたころ、「清酒」(どぶろくと異なり、濁りのない酒)は既に一般的となり、また灘の硬水を使った辛口の日本酒が江戸へ運ばれ人気を集めます。寒造り(腐敗を防ぐため冬季のみに酒を仕込む)、三段仕込み(雑菌の繁殖を防ぎ発酵を効率的に進めるため、発酵スターターである酒母に蒸し米、麹(こうじ)、水を三段階に分けて加えていく)といった方法が考案されたのもこの時代です。更に、「火入れ」という酒を低温殺菌して腐敗を防ぐ技術も一般化していました。フランスでパスツールが低温殺菌法を発見したのは1860年代ですが、日本酒造りについては、安土・桃山時代の文献に火入れに関する記述が残っているそうです。これらの技術は全て今でも酒造りに生かされています。

1913年:キャンベラに首都誕生

剣菱は創業からの味を今に伝えつつ、モダンな料理とのマッチングも絶妙
剣菱は創業からの味を今に伝えつつ、モダンな料理とのマッチングも絶妙

明治時代になると、酒造りの技術は更に進化しました。1909年には、国立醸造試験所が、山廃酛(やまはいもと)(酒母造りの際に山卸しと呼ばれるすり潰しを行わない手法)、速醸酛(そくじょうもと)(乳酸を添加して菌の繁殖を防ぎ、短時間で酒母を育成する手法)など、造りの選択肢と味わいをそれまで以上に広げる新技術の研究・発表をしています。

こうしてオーストラリアと日本酒の歴史を一緒に見てみると、この文化も歴史も全く異なるオーストラリアで、2000年も前から造られているおいしい日本酒のファンが増えつつあるというのは、とにかくうれしく、すばらしいことですね。乾杯!


雄町稲穂
在シドニー歴20年。日本での仏・独・豪ワインの輸入販売を経て、シドニーのブティック・ワイン専門会社に入社、日本やアジア諸国へ豪州プレミアム・ワインを輸出。現在は豪州食材を世界に広める企業に勤務。日本酒は勉強不足を痛感し、2017年にTAFEのWSET(Wine & Spirit Education Trust)SAKEコースを受講。レベル3を「優」で卒業したものの、テイスティングは「良」にとどまったため、スキル・アップのため実技に励んでいる

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