メルボルンから世界へ羽ばたくアーティスト
第62回 今回登場のワーホリ・メーカーは?
青島江龍さん
1988年まれ・中国浙江(せっこう)省出身
大学卒業後、母校での大学事務員を経て、地元・群馬県の広告会社でデザイナーに。5年間務めた後の2018年3月31日に世界1周の旅へと出発。旅の途中、資金捻出のためワーホリで訪れたメルボルンでスプレー・アートの活動を開始、現在も精力的に活動中(Web: jianglong.asia)
「芸術の街」として世界的にも名高いメルボルンの通りの壁に、青島江龍(こうりゅう)さんはスプレー缶を手にしながら向かい合う。「スプレー・アートを始めてまだ4カ月ほど」と語るが、5時間から長くても11時間ほどの間にあっと驚く見るも鮮やかなウォール・アートを完成させる。
「壁に描く絵は街の一部として長く残ります。そう考えるとこの活動をすごく楽しいと感じます」と充実感を口にする。出来上がった作品は、街に新たな彩として加えられていく。
現在こそアートの活動をしているものの、芸大や美大の出身というわけではない。大学では生物工学を学び、卒業後は母校で事務員として働き始めた。しかし、その仕事を面白いと感じられず、「自分のやりたいことは何か」と考えた末に、クリエーティブなことをしたいと広告会社にデザイナーとして転職を果たす。デザインについては独学で学んだそうだ。
大学時代には趣味として絵を描き、広告会社勤務のころにも既にアーティストへの憧れはあったそうだが、その道を歩むことに踏み切れなかった理由をこう振り返る。
「本格的にアートの活動をする以前、いろいろな業界の人から『何か1つのことを専門にして食べていくことは難しい』と言われ、その度にアーティストになることへの自信を失ってばかりいました」
クリエーティブなことをしたいと飛び込んだデザイナーの世界だったが、それでも自身の中には物足りなさが残ったという。そこで青島さんは心機一転、5年間務めた広告会社を退職し、昨年3月31日から東南アジアを皮切りに世界1周の旅を始めた。これが大きな転機となった。
「旅の中でいろいろな国の人の手仕事やアート作品に出合いました。そうした出合いを通し、自分もオリジナリティーのある作品で勝負できる人間になりたいと思ったんです」
旅を続け、もっと多くのクリエーターたちの仕事ぶりに触れたい――。青島さんは、その旅の資金を捻出するべく、ワーキング・ホリデー制度を利用し来豪することを決意した。
選択を迫られたからこそ
来豪後はブリスベンのファームで働いたが、すぐにそこでの生活に対して「これは違う」と感じたという。
「ワーホリの1年間をファームで過ごすことに、もったいない気がしたんです。お金以上に得られるものがないように思えましたから。同じ1年でも旅の資金捻出よりは、経験や自分の技術を高めることに時間を費やすべきだと考え直しました」
そこで、スプレー・アートを学ぶため生活拠点をメルボルンに移し、アーティストとしての1歩を踏み出した。
青島さんは現在、日本から発注されるデザインの仕事と飲食店でのアルバイトで生計を立て、金銭や時間の自由度を確保しながら創作活動に励んでいる。デザイナーの仕事に注力するのではなく、あくまでもアーティストとしての自分にこだわるのには理由がある。
「デザインでは常にサポートが主体で、きっかけは顧客側がほとんどです。顧客と共に作り上げる楽しさがありますが、もっと自分がきっかけとなる活動をしたいと思いました。『完全に自分が主体』という創作活動も今は必要な気がします」
ワーホリを通して、アーティストという理想の自分にたどり着いた。ビザの期限は残り半年ほど。インタビュー終盤、今回のワーホリに対して感じた価値を語ってくれた。
「単純に旅を続けていたら、アートという自分にとって本当に大切なことを見つけられたのはもっと後になったかもしれません。ワーホリは、限られた時間と共にさまざまな選択肢がある状況下で『あなたは何をしたいの?』と選択に迫られる時間だと思います。実際にそういう状況に立たされたことで、本当にしたいことを考えられました。その意味では、今回のワーホリは自分にとって良い機会でした」
今後は、カナダやニュージーランドでのワーホリを含め、世界中でアートの活動を展開していくことを思い描いているそうだ。観光資源として、また生活の一部として、青島さんの作品は世界中の人びとを喜ばしていくに違いない。
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