福島先生の人生日々勉強
中道を行く
「中道」とは、「片寄らない真ん中の道」ということ。最近では、政治の世界でも「中道」という言葉がよく使われます。誤解を受けやすい言葉ですが、「中道」は、「どっちつかず」という意味ではありません。漢訳仏典には、「至要之道」という訳語もあるように「肝心要(かなめ)の道」ということ。具体的には、「不苦不楽の中道」。我が身を苦しめるのでもなく、快楽にふけるのでもない。どちらでもないので、「中道」であるというわけです。
仕事でも芸事でも、苦行をしすぎて体を壊してしまったら元も子もありません。だからといって、楽をしすぎても得るものがありません。過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し。行いはすべからく、「適切」を心掛けましょう。
中道における適切とは、「ほどほどに」とは違います。「ほどほどに」というと、「大体このくらいで、やりすぎない程度に」という意味合いが含まれます。しかし、中道の適切な意味には、「大体」も「このくらい」もありません。「常に及ぶ限り適切に」ということです。
態度がいつもどっち付かずで、是か非かがはっきりとしない。ある意味ではこれも片寄りがないと言えますが、中道ではありません。周りの意見に振り回されることなく、イエスならイエス、ノーならノーと、主張すべきことは主張をする。そして自分に非があれば素直に認め、改めることが大切です。
生きていれば辛い目にも遭います。怒ったり泣いたり、自分の上に乗っかっている感情は目まぐるしく移り変わります。それは仕方のないことです。しかし、心の根っこのところを常にニュートラルにしておくのです。ニュートラルな心で、自分の取りうるベストの行動を選び続ける。これこそが中道だと思います。
私たちはどうしても、周りの雰囲気に流されることが多いです。また、過去の自分の行動や考えにもとらわれがちです。このことを常に念頭に置き、さまざまなこだわりを捨てて、現実を見据え、時に応じ、状況に応じて適切に行動していく。中道を行くとはそういう生き方なのではないでしょうか。
人間ですから、感情は動きます。揺れ動く心は、揺れ動く心で良いのです。それでも、どこか大切な部分は落ち着いている、そのような心を養いましょう。初めはうまく行かないことの方が多いでしょう。それでも構いません。中道を歩もうと願って生きる姿勢が、私たちの心を穏やかにし、柔らかな感性を育みます。
教育専門家:福島 摂子
大阪府出身。33年間、教育に携わり、教育カウンセリング・海外帰国子女指導を主に手がける。1992年に来豪。シドニーに私塾『福島塾』を開き、社会に奉仕する創造的な人間を育てることを使命として、幼児から大学生までの指導を行う。2005年10月より拠点を日本へ移し、日々活動の幅を広げていく一方で、オーストラリア在住者に対する情報提供やカウンセリング指導も継続中である。