出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の弐拾六:日本食業界をけん引したスエヒロ・シドニー店
1973~74年にかけて、いよいよ日本料理のシドニー・レストラン市場にも大型店が登場してきました。それに先駆け、東京銀座にあった肉料理の老舗スエヒロ・レストランが、伊藤忠とオージー・ビーフの大手・F. J. Walker社の3社と合併する形で、ノース・シドニーのウォーカー・ストリートにスエヒロ・シドニー店を開店するという話が、私の耳にも入りました。
当時、日本食レストランで最も大きかった「スキヤキハウス」でも席数は100席ほど。その倍、200席以上にも及ぶと聞き、大変興味が湧きました。さらにシドニー店ではすし部を設けるということで、更に好奇心を抱きました。
銀座のスエヒロに行ったことはありませんでしたが、すき焼きやしゃぶしゃぶなど、肉専門の高級店として広く知られていたため、子どものころから名前だけは知っていました。
当時、東京でフランスなどから輸入食材を扱っていた日本にいる2番目の兄と電話で話した際、シドニー・スエヒロのオープンの動きを伝えたところ、偶然にも銀座スエヒロとの取引があるとこのことで、専務に私が興味を持っていることを話してくれました。そして、シドニー・スエヒロの柴田総支配人を紹介頂くことができました。
間もなく、面接日を設けてもらいました。スエヒロはまだ工事中でしたが、中に案内され、そこで総支配人の柴田氏を紹介されました。初対面だと思ったのですが、見覚えのある顔でした。後から聞いたところ、私が「景山」にいた時に何度もレストランを訪れられていたとのことでした。お客の1人としては存じ上げていたのですが、スエヒロの方とは全く知りませんでした。
そんな縁もあり、景山での契約終了後、スエヒロでコンサルティングすしシェフにという話を頂きました。柴田氏は、アメリカでの経験を持った方で、豪快で押しが効く勢いのある浪花節の英語を駆使する交渉力に優れた方でした。レストランのオープンまでの交渉から、事業がスタートしてからのスタッフを動かす采配も素晴らしく、更によく勉強し働く人でした。冷静で、怖じ気付かず、問題を豪快に処理していく姿に、大変刺激を受けたことを思い出します。
スエヒロのオープニングは、その頃のレストランのオープニングとしては珍しく、当時の財界人やアル・グラスビー移民大臣など政府要人が招かれ、テレビや新聞で取り上げられ、注目を浴びました。オーストラリア社会の白豪主義の変革、その後の移民政策への動き出しなど、世相が変わりつつあることを肌身で感じ取りました。
レストランに入ると、レセプションに続き、バー専用の部屋があります。そこにはワイン、カクテルはもちろんのこと、日本酒も豊富にそろっていて、バーテンダーが客をもてなします。ダイニング・エリアは鉄板きのカウンターも備えた立派な和風の内装で、個室もかなりの数を備えていました。個室にはそれぞれ小さいながら室内坪庭があり、落ち着いた雰囲気で大人気となりました。
スエヒロが人々の噂となったころ、私もスエヒロのメンバーとなりました。スエヒロには日本から経験豊かな料理長や従業員が招かれていました。そんな中、私は珍しい現地採用のシェフの1人となりました。日本からの料理人はそれぞれ個性が強く、私のような毛色が違う料理人を使うことで、お互いやりづらかったと想像します。
また、すし職人も日本から来られていました。想像するに私との共存はさぞかしやりにくかったことだと思います。私は時間が空くとすし以外も手伝いました。すき焼き用のスライスは厨房で準備していたのですが、ブロックの肉塊を、日本料理用にトリム(化粧)して、日本から運んだスライサーでスライスして、きれいにお客様に盛り付けて出すことをシドニーで始めたのはスエヒロさんでした。私もスライスを手伝ったことがあります。この経験は後に役に立ちました。
日本食材は日系グローサリー・ショップの姉川さんや、伊藤忠が引き受けていたので問題ありませんでした。肉はF. J. Walker社の提供で、オージー・ビーフを日本人のテイストに合わせる開発が進みました。当時は霜降りなどとはほど遠いものでしたが、今日のWagyuブームの走りであったと言えるのではないでしょうか。スエヒロは10年以上に渡り、オーストラリアでの日本食レストラン業界のトップとして君臨し、日本食業界を次の時代へと進めてくれました。
振り返ればこの時期、長男が誕生し、ケータリング事業も進めていました。公私共に非常に多忙だったのがこのスエヒロでの時代でした。
出倉秀男(憲秀)
料理研究家。英文による日本料理の著者、Fine Arts of Japanese Cooking、Encyclopaedia of Japanese cuisine、Japanese cooking at home, Essentially Japanese他著書多数 。Japanese Functions of Sydney代表。Culinary Studio Dekura代表。外務省大臣賞、農林水産大臣賞受賞。シドニー四条真流文芸師範、四條司家師範、全国技能士連盟師範、日本食普及親善大使