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オーストラリアで今を生きる人 ゲスナー多恵さん

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オーストラリアでを生きる人

オーストラリアの日系コミュニティーで今を生きる、さまざまな人のライフスタイルを追うコラム。

Vol.36 ゲスナー多恵(たえ)さん
着物は和の美意識を表現した衣装、日本人と文化への理解を深めたい

着物の販売や着付けの事業を手掛ける母親の影響で、幼少時代から着物に親しんできた。ワーキング・ホリデーで滞在したシドニーで、あるハプニングをきっかけにオーストラリア人の夫と結ばれて永住。日本の伝統文化である着物をオーストラリアに伝承する非営利団体「インターナショナル着物クラブ・シドニー」を立ち上げ、2018年には在シドニー日本国総領事表彰を受賞した。着物の専門知識や着付けのスキルを生かし、CMやイベントなど活動の舞台を広げている。(聞き手:守屋太郎)

Photo: Riko Mizumura
Photo: Riko Mizumura

――どのようにして着物の世界に入ったのですか?

愛知県春日井市で3人兄弟の末っ子に生まれました。母が行商で着物を販売したり、自宅で着付け教室を開いたりしていたので、幼少時代から私は母の仕事をそばで見ていたのです。母の着物のビジネスが軌道に乗ると、1年に4回、大きな会場を借りて着物の展示会を開催していて、私も小さいころからよく手伝っていました。

実家にはいつも着物があり、母も毎日着ていました。日常的に自然と着物に接していましたので、高校卒業後は、松坂屋がかつて経営していた名古屋の常磐女学院着物科に進学し、和裁、着付け、着物の歴史などを学びました。母の事業を継いで、着物の仕事をしようと考えていました。その後、大手着物卸問屋の丹羽幸(にわこう)に就職しながら、母の出張着付けの手伝いも続けていました。

――オーストラリアへやって来たきかっけは?

その頃は着物にどっぷりつかった生活を送っていましたので、将来、海外に移り住むことは考えていませんでした。ただ、中学のころから一番好きな教科は英語で、塾で英語を教えていたこともありました。それで一度だけ海外に住んでみたいという思いがありました。

その後、ワーキング・ホリデー・ビザを取得し、英語の習得を目的にオーストラリアに行くことに決めました。そして、オペア(ホームステイをしながら保育や家事を行う制度)のプログラムを利用してシドニーにやって来ました。

当初は1年で帰る予定だったのですが、帰国直前にひどい交通事故に巻き込まれて重傷を負ったことが、人生の大きな転機になりました。治療のために滞在を伸ばし、非常に落ち込んでいた時に、今の主人が支えてくれたのです。事故がなかったら、そのまま帰国していたでしょうね。それがきっかけで、両親は反対しましたが、結婚してオーストラリアに住むことになりました。

――非営利団体「インターナショナル着物クラブ・シドニー」を立ち上げ、子どものころから親しんでいた着物や着付けに再び携わることになりました。

主人がコンピューター関係の仕事をしていて、当初は国外での生活が長かったのです。結婚後すぐに米国に住み、息子を生みました。その後、ドイツやマレーシア、東京などで暮らしました。結婚後は子育てと海外生活のため、十数年は息子の入学式で着物を着るといった機会を除くと、ほとんど着物に接することがない生活をしていました。

「インターナショナル着物クラブ・シドニー」を立ち上げることができたのは、バルメイン(シドニー西部)にある日本旅館「豪寿庵(ごうじゅあん)」の女将、リンダ・エバンスさんのおかげです。豪寿庵がオープンした時、リンダさんが着物の着付けができる人を探していると聞いて、紹介して頂いたのがきっかけです。月に1回、そこで着物の着付けを教える「着物サロン」を始め、そこから日本文化に興味のある方々と交流を深めていき、それがだんだん大きくなっていきました。

着物を通して日本文化の理解促進に貢献したいと語るゲスナー多恵さん(Photo: Riko Mizumura)
着物を通して日本文化の理解促進に貢献したいと語るゲスナー多恵さん(Photo: Riko Mizumura)

日本の文化である着物を広めようと思ったのは、「日本の四季を表現した色彩や模様といった美意識が海外の人にも伝わる」ということをオーストラリア人の方々からお聞きして、「着物は世界に誇れる衣装なのだ」と改めて認識させて頂いたからです。

現在では、着物が好きな人が集まって、着物を通して日本文化を体験するイベントをほぼ毎月開催しています。約20人のメンバーのうち80%は日本人以外の方々で、平均年齢は30代前半と比較的若い人が多いです。最近は、日本のお祭りなどの公的なイベントに招待されることも増えています。

非営利団体であるインターナショナル着物クラブ・シドニーの活動とは別に、個人的な仕事としては、豪寿庵で毎月、好きな着物を選んでもらい写真撮影をする「着物サロン」や茶道をシドニーの皆様に体験してもらう「お茶の輪サークル」を開いています。また、アサヒ・ビールのCMなど企業やイベントで着付けのお手伝いもしています。ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館でのイベントや、カウラ(NSW州中部)の桜祭り、オーバン(シドニー西郊)の桜祭り、スマッシュ(シドニーで年に一度開催されるアニメ・漫画などの日本のサブカルチャーの祭典)などでの着物の展示紹介や、日本語を学んでいる方々を対象としたワークショップなども行っています。

――2018年にはインターナショナル着物クラブ・シドニーの創設者として、在シドニー日本国総領事表彰を受賞されました。

とても光栄で、スピーチの際は声が震えるほど緊張しました。表彰を頂く前にも着物や日本文化を通してすばらしい出会いがたくさんありましたが、総領事表彰を頂いたことで、更に多くの人との出会いやご縁に恵まれたことを大変うれしく思います。インターナショナル着物クラブ・シドニーのメンバーの方々のご協力のおかげだと感謝しております。

――海外での着付けで苦労すること、また一番やりがいを感じることは何ですか?

豪寿庵の女将、リンダ・エバンスさんと(Photo: Riko Mizumura)
豪寿庵の女将、リンダ・エバンスさんと(Photo: Riko Mizumura)
日本のサブカルチャーの祭典「スマッシュ! 」にも出展
日本のサブカルチャーの祭典「スマッシュ! 」にも出展

オペラ「蝶々夫人」の着物の衣装を担当させて頂いたのですが、日本人サイズの着物を体格の大きいオペラ歌手に着付けするのは大変でした。別の布を足して、座った時に前が開かないようにするなどいろいろ工夫が必要でした。

やりがいを感じるのは、着物を着た皆様の喜んだ笑顔を拝見する時です。また、イベントやCMのお仕事で着物を披露する際、「着物が日本の伝統文化の枠を飛び出して、アートとして受け入れられているのだ」と実感できる時なども、とても誇らしく思います。

――多恵さんにとって着物の一番の魅力はどんなところですか?

着物は洋服と違って、シンプルな直線の布で構成されています。色や柄、着こなしによって、私たち日本人の特性が表現されています。長い歴史の中で培ってきた、四季を表現した美意識と、日本女性の大和撫子的な美しさを、言葉にしなくても全身で表現できるすばらしい衣装だと思います。

――今年6月、ご子息のジョッシュさん(19)が米大リーグのフィリーズと契約しました。これまでの子育てのご苦労と、今後のジョッシュさんの将来についてひと言お願いします。

知り合いのいない海外で生んだ初めての子どもでしたので、手探りの子育てでした。今のようにインターネットやスマートフォンの情報もなく、言葉もあまり通じない中での子育ては不安の連続でした。

ですので、よくここまでけがや病気もせず育ってくれたと、大きくなった彼を見て心からうれしく思います。メジャー・リーグは彼の小さい時からの夢でした。息子は私の若い時と違い、定めた目標に向かって一生懸命努力する性格です。いつか必ず、表舞台で活躍してくれる時が来ると信じています。

――最後に、今後の目標について教えてください。

オーストラリアの方々に、日本や日本人についてもっと知って頂きたいです。日本の伝統衣装である着物を通して、日本という美しい国の文化や人について理解してもらえるよう、たくさんの方々と交流していきたいと思います。私自身も日本人としての誇りをしっかりと持ち、これからの国際社会にふさわしい一員になっていければと考えています。

▼インタビューと撮影は2018年6月、シドニー西部バルメインにある日本旅館「豪寿庵」で行われた。
■Ryokan Gojyuan
208 Darling St., Balmain NSW
Web: www.ryokangojyuan.com

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