「KDV SPORT」の新宿泊施設の建設に携わった日本人建築家
ロウレン博美さんインタビュー
ロウレン博美(白石)◎1993年からシドニーで活躍する日本人建築家。約20年間オーストラリアの「HARRY SEIDLER」に所属した後、「シロ・アーキテクツ」として独立。「KDVスポーツ」内の建築物で、オーストラリア建築協会のQLD州商業建築大賞(Australian Institute of Architects 2017 Queensland State Commercial Architecture Award)を受賞
スポーツ留学を目的とした若いインターナショナル・アスリートのための新宿泊施設がゴールドコーストにある複合型スポーツ・アカデミー施設「KDV SPORT」に併設される。2017年6月にシドニー在住の日本人建築家、ロウレン博美さん率いる「SHIRO」が設計に携わり、QLD州商業建築大賞を受賞。今年9月に竣工、11月オープン予定の新施設の設計にも携わるロウレンさんに、そのプロジェクトの内容や竣工状況、建築家としての思いを伺った。(聞き手=水村莉子)
「KDV SPORT」のプロジェクトについて
ロシアで菓子製造業を営んでいたオーナーのデニス・ステングローブ氏が、休暇でオーストラリアのゴールドコーストを訪れた際、気候の良い同地で子どもたちがスポーツを学ぶ施設を作りたいと思い、立ち上げたのが「KDV SPORT」だ。2016年10月にゴールドコーストのカラーラに、ジムや温水プール、2階建てのゴルフの打ちっぱなし練習場やテニス・コートなどを完備したスポーツ施設をオープンさせた。また、元五輪選手などをコーチ陣にそろえ、ゴルフやテニスのプロを目指すジュニア育成に力を入れるスポーツ・クラブとしても注目を集めている。同施設の建設中に、デニス氏は、ヨーロッパやアメリカにあるような、スポーツ留学のための宿泊施設がオーストラリアにはないことにも着目。学習用の教室や食堂、練習場、医務室、保護者用の宿泊部屋などを完備し、安心して子どもたちを送り込める体制を整えようと考え、今年9月竣工予定の新宿泊施設のプロジェクトを立ち上げるに至ったという。
スポーツ留学者向けの宿泊施設の設計にあたって
スポーツ留学に理想的な環境が整う施設の設計ということで、その内容は通常の宿泊施設とは異なるものでなくてはならない。「一般の方向けの施設と違い、国を超え、世界中から集まる同世代とスポーツで競い合い、心を通じ合わせる国際交流の機会を与えられる空間である必要があります。しかし、ホテルではなく寮に近い施設のため、宿泊者同士の交流の深さからさまざまな問題が生じることを考慮しました。小さなことかもしれませんが、心遣いが至るところに必要になるため苦労しました。美しく見える建築だけでは十分でないことを考えさせられました」そうロウレンさんは話す。
前回スポーツ・センターを設計した際に得た、オペレーションへの気配りやメンテナンス・フリーのための素材選びの知識を生かし、頑丈ながら簡単に清掃ができるメンテナンスのしやすさにも強くこだわり、宿泊者だけでなく、施設で働くスタッフにも優しい環境になるよう心掛け、設計に当たったという。
デザイン・コンセプト
宿泊施設を建築するに当たり、アルミニウムを基調としたモジュール式の正面構造を用いた2つの曲線的な建物を吹き抜けのエントランスでつなげるという設計コンセプトを着想していたロウレンさん。
「日本でも非常に人気の高いスペイン出身の男子プロ・テニス・プレイヤー、ラファエル・ナダルが、故郷であるスペイン・マヨルカ島のマナコルに16年6月に設立したラファナダル・アカデミーに匹敵するような建築にしようと考えました。ところがロシアの貨幣価値が下がったため建築コストを下げざるを得なくなり、コンセプトはそのままに、建物の形状を曲線から真っ直ぐなものに変えました」
トラブルに見舞われながらも建築に使う素材をアルミニウムからセメントに変え、再設計が行われた。
「安価な素材でも建築の基本さえしっかりしていれば美しい物が作れます。“無駄をそぎ落とす=本当に重要な物を、最も美しい形で残す”というモダニストの姿勢で“光と影”を駆使した構造に仕上げました」
外部と内部をつなげる構造(IN and OUT CONTINUOUS)を建築デザインの基本として大切にしているロウレンさんは、同施設においても売店やプール、BBQエリアを全面バリアフリーで一体化し、気候が良いゴールドコーストで子どもたちが室内外問わず、のびのびと過ごせるように設計したという。内装に関して特に工夫を凝らしたのが、売店スペース。さまざまなテーマに沿って家具を選び設計することで、子どもたちが自分に合ったスタイルの居場所を見つけられるようにし、ストレス・フリーで居られる空間の提供を目指したそうだ。大人たちには、自分たちが学生だったころ、教室で使っていたようなレトロなデザインの机やいすを選び、学生時代を懐かしんで滞在を楽しんでもらえるような工夫が施されている。
建築家から見た子どもたちとスポーツの関わり
「子どもたちがスポーツをする上で“目標”を持つことはとても大切なことで、それと同時に“最終的な夢”を子ども自身にイメージさせることも大切だと聞きました。夢は希望で、希望はやる気の源だと言います。夢を持った時点で可能性は0パーセントではなくなるわけですから、イメージできることが何より大切だと学び、自分ひとりのために夢を持った時、それはただの夢に過ぎませんが、多くの人が一緒にその夢に向かって歩み出すと、それは新しい現実の始まりになると思います」
スポーツで頂点を目指す子どもたちのモチベーションを上げるため、トップ・アスリートの写真や彼らの名言などを部屋の天井や壁に施した内装に仕上げ、プロジェクターなども活用し、子どもたちが自らの目指すゴールをイメージしやすくなるデザインを考案したという。また、さまざまな国の言葉でアート・ワークを作ることで、国を超え世界中から集まる同世代とスポーツで競い合い、心を通じ合う手助けをしている。スポーツという枠を超え、子どものころから世界に触れることで視野が広がり、グローバル社会にいち早く対応できる大人に成長するよう願いを込めて設計に臨んだそうだ。
一方、子どもが使う施設ということで、設計当初は予想していなかった安全面の問題にも直面したという。「宿泊施設でより良いコミュニケーションを築けるよう考慮してデザインしたキャスター付きのいすも、いすの上に立ち上がって落ちる危険性や、いすその物をおもちゃとして使用し遊んでしまうといったことが指摘され、なるほどなぁと感じました。3Dのアート・ワークもぶら下がって遊ばれてしまう可能性があるのでNGでした」
単身で子どもを同施設に送り込む親の立場になり、子どもの予測不可能な行動にも対応できるような安全と細かい配慮を、設計を進めていく中で学んだそうだ。アメリカのデザイナーであるバックミンスター・フラー(1895-1983)の「全体的に思考して、局所的に行動せよ。最小限を行使しつつ、最大限を達成せよ」という名言もまたロウレンさんを鼓舞したという。
施設のオープンに向ける思いとは
同施設は、今年の11月にオープンが予定されている。現在は建物を竣工することが一番大切だが、その後もオープニングに向け、そしてオープン後も小さな改善などで施設自体がどんどん良くなり、日本でも注目されていくように関わっていきたいとロウレンさんは語る。
「スポーツをクリエイトすることは、社会にとっても必要なことで、社会をより良いものにしていくことにつながります。だからこそ、子どもがスポーツを楽しめる環境を大人たちが作り出すことが大事だと思っています。建築を通じて社会に貢献できたことを幸せに思っています」
未来のトップ・アスリートの活躍を担う同施設。オープニングが楽しみだ。
Shiro Architects
■住所:308/35 Buckingham St., Surry Hills, NSW
■Tel: (0403)899-800
■Web: www.shiroarchitects.com/contact-shiro-architects