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株式会社ミライロ・代表取締役社長 垣内俊哉さんインタビュー

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来豪特別インタビュー

株式会社ミライロ・代表取締役社長
垣内俊哉さん

8月上旬、カウラ大脱走から75周年を迎えたことを記念してカウラで行われた慰霊式典に参加するために株式会社ミライロの垣内俊哉さんが来豪した。垣内さんは同社を2010年に設立後、日本財団パラリンピック・サポート・センターの顧問に就任し、自身も障がいと向き合う当事者の視点、経験、感性を生かす形で新たなビジネスを生み出してきた。テレビ出演など、コメンテーターとしても活躍する垣内さんに、彼が考えるオーストラリアや日本のバリアフリー事情、これから日本が目指すべき街作りなどについて話を伺った。(インタビュー:竹淵優衣)

「障がいを価値に変えるのが僕の使命」

写真:馬場一哉
写真:馬場一哉

――垣内さんが行っている事業内容について教えてください。

私は10年前に株式会社ミライロというバリアフリーのコンサルティングの会社を設立しました。現在、ますます多くの障がい者や高齢者が外出し、消費生活をするようになってきている中でバリアフリーを社会貢献という側面だけでなく、経済活性のためにも進めていこうという思いで起業しました。日本は障がい者と向き合ってきた歴史が世界的にも長く、また現在、超高齢化社会ということもあり、バリアフリー化がかなり進んでいます。そんな日本だからこそ、バリアフリーの在り方を世界に発信していけると考えています。

――今回来豪してみてオーストラリアのバリアフリーについてどう思われましたか。

シドニーに来て驚いたのは、公衆トイレでさえも車いす対応しており、広く十分なスペースがあることです。しかし、せっかく多機能トイレがあっても手すりやオストメイト設備などがなかったり、道路に点字ブロックが設置されていなかったりなど気になる点も多くあります。日本とオーストラリアの関係性を強めて、バリアフリーの在り方を広めることで更に住みやすい国をお互いに作っていくことができると思いました。

――垣内さんは2015年からパラリンピック・サポート・センターの顧問を務められていますが、具体的な活動内容について教えてください。

パラリンピック・サポート・センターの設立以前は、多くの障がい者スポーツが興業になり得ておらず、どの団体も事務所のほとんどが自宅という状態でした。そこで日本財団がお金を拠出してオフィスを作り、全ての障がい者スポーツ団体に入居してもらうことにしました。広報活動のお手伝いなどを通し、障がい者スポーツの普及に取り組んでいますが、設立当初は、障がい者スポーツのPRがほとんどできていなかったため、メディアをしっかりと巻き込んだイベントなどを開催しました。現在は多くの企業がCSR活動を行っていますが、東京オリンピック・パラリンピック(以下、オリパラ)が終わった後に障がい者スポーツの話題がゼロになることを防ぐために引き続き支援を行っています。

――東京オリパラをきっかけに更に前進させていく必要があるわけですね。

そうですね。また、重要なのは障がい者の雇用を作ることです。日本国内で暮らす障がい者936万人のうち働いているのは80万人と10%以下です。なぜ9割以上が働いていないのかといえば、社会全体が障がい者に対して「無関心」か「過剰」のどちらかであることが多いためです。この二極化をしっかりと是正して、障がい者に対する認知を変えるためには、スポーツをきっかけに企業が障がい者への理解を深め、障がい者雇用に積極的になる必要があります。

――2020年のオリパラも秒読み段階に入ってきていますが、垣内さんが感じる大きな課題は何ですか。

障がい者スポーツの一番の課題はやはりお金が集まらず、興業にならないという点です。障がい者スポーツのレベルが高くないため、テレビの視聴率が取れないことに加え、9割以上が働いていない現状、スポーツをする余裕も時間もないのです。障がい者雇用を変えていかなければ、スポーツが普及するはずはありません。このまま東京オリパラが終われば報道も減り、社会全体の関心も減ってしまうので、まず先に解決すべき課題があることを伝えていかなければならないですね。

日本の都市部と地方の格差

――先ほど日本国内のバリアフリー普及率が世界と比べて非常に高いとおっしゃっていましたが、ソフト面での理解はいかがでしょう。

日本国内でも都市と地方で差があります。例えば、東京や大阪などの都市部であれば、公共交通機関の利用率が高いですから、街中で障がい者を見掛けることが多く、声を掛けることにも慣れています。一方、地方だと障害のある人は家から店や職場まで自家用車や施設の車で移動することが多いので、街中で障がい者を見かけることに慣れていません。それでは理解が進むわけがありません。その状況を変えていくためにも、まずは都市と地方の格差を埋めていかなければなりません。鳥取県では、一部のタクシーを車椅子ごと乗れるようにしました。結果、街中に障がい者が出るようになり、県民も見慣れ、声を掛けるようになり、それに伴いバリアフリー化していかなければと意識が変わってきました。接する機会を増やしていくことで「無関心」と「過剰」の状況を変えていけるはずだと考えています。

――他国と比べた時に日本全体の障がい者への理解度をどう思われますか。

宗教的な差が大きいですね。例えば、国内大学を見てもミッション系の大学の方が障がい者が多いです。キリスト教には、弱者にも自主性をという考え方があるためです。仏教にも共生(ともいき)という精神はあれど、そもそも仏教を掘り下げて考えてみれば、障がい者=前世で悪いことをした人という考え方があります。日本でもそのような意識はゼロではないですね。しかし街中で見る機会は少ないものの、メディアで見る機会はこの5~10年でグンと増えたので障がい者に対する理解は世界と比べてそこまで大差ない状況だと思います。

国により異なる対応

――国民性による対応の違いなどを感じたことはありますか。

リオとピョンチャンのオリパラでは違いを感じました。リオではバリアフリーはあまり整備されていませんでしたが、どこへ行っても誰もが声を掛けてくれ、車いすを押すことが取り合いになるくらいのサポートがありました。一方、ピョンチャンは会場も交通整備もバリアフリーが整っていましたが、誰からも声を掛けられませんでした。バリアフリー整備が整っているから大丈夫という考えが裏にはあるのでしょう。そのような形で、国民性の違いが顕著に現れていました。日本の場合は後者になりがちですが、例えば大阪なんかは温かいですね。

――確かに大阪では話しかけてくれる人が多い印象です。

はい。大阪は皆がお節介なくらい声を掛けてくる街です(笑)。車いすに乗っているとあまり客引きなどに声をかけられないのですが、先日、大阪の鶴橋の焼肉街を歩いていた時に声を掛けられました。「一杯どうですか」の後に「1階のテーブル席空いてますよ」と言われたんです。これはすばらしい想像力だなと感動しました。1970年の万博のタイミングでいち早くバリアフリーを取り入れた大阪のハード・ハート両面での整備を実感しました。東京も変えていかなければならないとつくづく思いますね。

――なるほど。大阪のようなハート面での整備が必要なのですね。

そうですね。日本は国土が限られている事もあり、広いトイレや電車の中にベビーカーや車いす優先スペースを作ることができない以上、ハードでできない部分をハートで補わないといけないですね。オーストラリアや大阪みたいな少しラフな接し方を考えていかないと、きっと2020年はお互いに息苦しくなってしまうのだろうと思います。

日本を障がい者理解の先進国に

――目には見えない意識というものを変え、根付かせていくために、具体的にどういう活動をしていますか。

「ユニバーサル・マナー」という造語のもとにセミナーを行っており、障がい者や高齢者に対する向き合い方、接し方を、障がい者が講師として伝えています。現在は国内で述べ約7万人、企業数にして約600社に受講して頂きました。2013年に始まり、今は小中学校の教育カリキュラムになるまで普及し始めています。このセミナーのように教育という形でこれからも浸透させていけたら良いなと考えています。

――日本では国会でのバリアフリー化が話題に上っていますが、この動きに関してどうお考えでしょうか。

国会議事堂内には、多機能トイレやオストメイト対応トイレ、エレベーターがあり、最低限のバリアフリーは整っています。あとは、会議場での細かい設備とルールの問題だと思います。今回参議院に当選した船後氏と木村氏の2人の車いすは大きな電動タイプであるため、足元の段差一段の解消、不要な席の取り外し、電動車いすを充電するためのコンセント設備が必要になってきます。また、ルールの整備が急務です。多方面にわたってすべきことがあるので、ハードはもちろん大切ですが、ソフト&ルールを拡充していくことが求められますね。

――最後に、今後の日本の街はどのように変化していくとお考えでしょうか。

現在、やはり東京オリパラを控えていることもあり、セミナーにも多くの企業が関心を寄せてくれており、障がい者雇用への良い流れができていると感じています。日本は2020東京オリパラと2025の万博、今年行われるラグビーのワールド・カップとイベントが目白押しですから、日本は改めて世界での多様化における最先進国になると予測しています。
(8月6日、日豪プレス・オフィスで)


垣内俊哉(かきうちとしや)
プロフィル◎1989年愛知県生まれ。生まれつき骨が脆(もろ)く折れやすいため、車いすで生活を送る。障がいを価値に変える「バリアバリュー」を提唱し、立命館大学在学中に株式会社ミライロを設立。自身の経験に基づくビジネス・プランを考案し、国内で13の賞を獲得。2013年には日本財団パラリンピック・サポート・センターの顧問に就任。テレビ東京「ガイアの夜明け」、テレビ朝日「朝まで生テレビ!」など多数のメディア出演の他、国内のみならず、海外における登壇なども行う。

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