出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の弐拾八
日本食普及の礎となった「東京マート」
私がスエヒロとの契約を終えた1976年、ノースブリッジ・プラザに東京マートが誕生しました。ノースブリッジ・プラザは都心や郊外にある大型ショッピング・センターというわけではありませんが、昔も今も変わらず地元の生活に密着した商業施設として、ローカルの人たちに親しまれています。
40年前のプラザには、今では見掛けなくなりましたが「Fabulous」と「Franklins」の2件のスーパーの他、銀行など生活に便利な商業施設がそろっていました。今と比べるととても素朴でのどかな感じでした。また、東京マートがプラザに入る前は、「神田商会」という日本の日用品や雑貨、食品を販売している店があったのを覚えています。その「神田商会」の場所に、現在の「Jun Pacific」の名誉会長・舟山精二郎氏がご夫婦で「東京マート」をオープンされました。
冷凍技術が今ほど優れていなかったので、いなりの缶詰やタケノコの缶詰、きんぴらごぼうの缶詰など、今ではほとんど目にしないような、今の人たちにとっては珍しい缶詰の食品があったことを覚えています。
70年代は、1豪ドル380~400円ぐらいだった記憶がありますが、日本食材は、一般的なオーストラリアの食材に比べるとまだまだぜいたくな物でした。80年代になると、冷凍での輸送のロジスティクス・システムの確立と時間の短縮によって、食品の種類は画期的に増えていきました。
当時、まだまだ日本人の数は少なかったですが、日本人学校が当時リンドフィールドにあったこともあり、便利かつ自然が豊かで、閑静な住宅地が日本人に好まれ、ノース・ショアには日本企業のコミュニティーが定着しつつありました。
82年以降、ノースブリッジ・プラザは全改装し、新しい店舗も入り、モダンでお洒落になり、東京マートを始め幾つかの店舗が戻り、新たなノースブリッジ・プラザとしてスタートしました。
再スタートした「東京マート」では、日本食材の種類が増え続け、家庭で日本食をそれまで以上に楽しむことができるようになりました。日本人コミュニティーの間でも、食生活が向上したと感謝する声が多く上がり、人気も高まりました。更には「東京マート」の名前は、オーストラリア人の間でも少しずつ知られるようになっていきました。その後の日本食発展の勢いの息吹を誰もが感じていたと思います。70年代後半から80年代にかけて日本のバブル経済の勢いと共に日本食の需要も増え、この時を境に本物の食材を求める形で日本食業界は躍進しました。その大きな役割を果たした1つが「東京マート」のオープンであったと思います。
その後、東京マートは事業を拡大し、91年に輸入業社としてホールセール専門のJun Pacificを設立。更にはクイーンズタウン、ビクトリア、西オーストラリアにも支店を出し、日本食市場をオーストラリア全土に広げる道作りの役割を果たしてきました。
同時に、エスニック・フードがSBSなどのメディアを通じ紹介されるなどの動きもありました。オーストラリアの豊かな文化の多様性を大事にしようというカルチャーが醸成される中、食文化においてもそれぞれの良さを理解し、楽しもうという大きな世相があり、それに伴い政府が1988年に発足させたのが「Ethnic Business Awards」でした。
これは移民国家のオーストラリアにおいて、それぞれ異なる文化への理解や知識を高めながら、ビジネスを成功に導いた組織などに与えられる賞です。「東京マート」の舟山名誉会長はファミリー・ビジネスを、多くの従業員を抱える日本食材を扱う大企業へと成長させ、日本食文化をオーストラリアで定着させる礎の1つとしました。そして、ビジネスとして成功させた貢献者としてオーストラリア政府から2011年と13年に、Ethnic Business Awardsをトニー・アボット首相(当時)から授与されました。
また、「東京マート」が40周年を迎えた翌年、17年には日本食海外普及功労者として、日本政府、農林水産省からも表彰されました。
舟山名誉会長の貢献がオーストラリアのみでなく、日本でも認められたことは、オーストラリアにおける日本人社会にとっても名誉なことです。
出倉秀男(憲秀)
料理研究家。英文による日本料理の著者、Fine Arts of Japanese Cooking、Encyclopaedia of Japanese cuisine、Japanese cooking at home, Essentially Japanese他著書多数 。Japanese Functions of Sydney代表。Culinary Studio Dekura代表。外務省大臣賞、農林水産大臣賞受賞。シドニー四条真流文芸師範、四條司家師範、全国技能士連盟師範、日本食普及親善大使