第138回
御坊祭
ご機嫌いかがですか、れんです。
何を隠そう私はテレビ・ドラマ、映画を問わず時代劇の大ファンです。子どものころは祖母と2人で畳に寝転んで夕方の再放送時代劇をテレビで観ていました。単純な1話完結の「勧善懲悪」の話が仮面ライダーや戦隊ヒーローものと重なったこともあったのでしょう。葵の紋の入った印籠(いんろう)で悪者たちが懲らしめられるところは痛快でした。
しかし、そういうストーリーの部分以外に楽しみだったのが、タイトルとクレジットです。以前の時代劇のそれらはほとんどが毛筆の文字でした。そのどれもが力強く格好良く見えたのです。そして、劇中に出てくる毛筆の書状。その揮毫(きごう)場面まで出てくれば身を乗り出して画面に食い入ったものです。自分も書道の稽古で使っているあの小筆が、まるで生き物のように動きながら、次々に墨の文字を紙上に浮き上がらせてゆく様に純粋に惹かれたのです。
残念ながら劇中の達者な筆文字は消えてしまいましたし、タイトルやクレジットも活字が多くなってしまいました。そもそも時代劇自体も極少数になってしまいました。貴重な文化として末永く受け継いで欲しいと切に思います。
さて、和歌山県の海岸線の中央、紀伊水道に面した御坊市の小竹(しの)八幡神社では、毎年10月の4日、5日の両日、御坊(ごぼう)祭が開催されます。御坊・日高地方最大のお祭りで、「人を見たけりゃ御坊祭」と歌われたほど大勢の見物客を集めたそうです。
和歌山と言えば紀州徳川家。家康の十男である徳川頼宜を家祖とし、5代藩主だった吉宗は8代将軍になりました。徳川家といえば紀州に尾張と水戸を加えた「御三家」が有名ですが、これを創設した家康を真似、吉宗は自分の子孫で田安、一橋、清水の「御三卿」を作り、以降14代家茂までの全ての将軍を彼の子孫で独占させました(15代慶喜は水戸家出身で一橋家に養子入り)。つまり江戸時代後半部分は紀州家の血筋で日本が治められていたのです。
話を戻します。この祭りの起源は定かではありませんが、関白となった秀吉の紀州征伐で中断させられる前の天正13(1585)年までは、流鏑馬(やぶさめ)や駆け馬の形式で行われてたことは分かっています。そして徳川の世となった寛永19(1642)年にほぼ現行の形で再開されたとあります。
4日の宵宮(よいのみや)には8つある氏子組の若衆頭(組頭)で構成された若衆頭連合会による四つ太鼓の行進があります。白塗り隈取り顔の子ども4人が向かい合って打ち鳴らす太鼓を神輿(みこし)として担いで市内を練り歩くのです。
5日の本祭は午前に神輿渡御(とぎょ)、午後から戯瓢(けほん)踊り、雀踊り、奴(やっこ)踊り、獅子踊などの奉納。県の無形民俗文化財第1号であり、国選択無形民俗文化財でもある戯瓢踊りは念仏風流踊りで、奉納前には紀州9代藩主徳川治貞から下賜(かし)された「四恩状」をうやうやしく読誦(どくじゅ)するなど由緒の正しさを感じさせます。花笠を被り、瓢箪(ひょうたん)、太鼓、鼓、鉦(しょう)を持った踊り衆が古来の風流を伝えています。
それでは作品をご覧ください。草書と行書を使っています。この2つのスタイルは単独でというよりは混合して用いられることが多いです。草書が行書のその先、という雰囲気があるからでしょうか。「御」「事」「為」「時」など手紙などでよく使われる草書体の文字はだいたい決まっているので覚えておくと良いでしょう。またご存知の通り、平仮名は漢字の草書体からできていますので、それぞれの元字を把握するだけも草書の記憶に役立ちます。
れん(書家/アーティスト)
アーティストとして永住権取得。2010年、作品「ふるさと」が日本の国有財産として在豪日本国大使館に収蔵される。Government Houseでの企画展など日・豪・ドバイで作品展示多数。在豪日本国大使館、在オークランド日本国総領事館の招聘によるイベント参加やNSW州立美術館ほか各地で大書パフォーマンスやワークショップを展開。ハリウッド映画『The Wolverine』製作に書家として参加。2016年シドニー総領事表彰を受ける。書団れん倶楽部主宰。チャッツウッドで書道教室運営。RENCLUB Lineスタンプ販売中。
Web: renclub.amebaownd.com / Email: renclub@gmail.com / 動画: youtube.com/user/renclub / インスタグラム: instagram.com/renyano