政界こぼれ話人物編 その227
アレックス・ホーク国際開発・太平洋地域担当大臣
Alex Hawke
自由党のアレックス・ホーク国際開発・太平洋地域担当大臣は、1977年7月9日にニュー・サウス・ウェールズ(以下、NSW)州の大都市ウロンゴンで誕生している(42歳)。祖父母は第2次世界大戦後の移民ブーム時に、ギリシャから移民してきた。シドニー大学に進学して政治学などを学び、同大学より学士号及び修士号を取得している。
自由党には18歳の時に入党。2002年には自由党NSW支部青年部議長、また05年には自由党連邦青年部議長に就任している。卒業前には短期間だが、スーパーマーケットのウールワースでパートタイムのマネジャー補佐を務めた。また豪州陸軍の予備役中尉でもあった。
ただ卒業後のホークは一貫して、政界という魑魅魍魎(ちみもうりょう)の住む世界にどっぷりと浸かっている。まず政治家の顧問として活躍。仕えた政治家には、当時閣外大臣であったクーナン自由党連邦上院議員や(注:その後閣内の通信相などを歴任した大物女性政治家)、NSW自由党の強硬右派で、強力なフィクサーでもあったクラークNSW州上院議員が含まれる。クラークは一時期ホークの師匠のような存在であったが、その「薫陶(くんとう)」を受けてか、ホーク自身も権謀術数に長けた人物である。そのため、顧問時代からしばしばホークのことが話題に上っている。
例えば、05年には当時苦境にあったNSW野党自由党リーダーのブログデンが、自分がここまで落ち込んだのはホークのせいと、政治家の一顧問に過ぎなかったホークを名指しで批判し、その翌日に自殺未遂を図るという事件が発生している。ホークはブログデンの主張を全面否定していたが、ホークの「知名度」はこの一件で一挙に上がった。なおホークは、その後クラークとは袂(たもと)を分かっている。
さて、政治家志望であったホークは、ハワード長期保守政権に終止符が打たれた07年11月の連邦選挙に、シドニー北西部のミッチェル選挙区から出馬し、見事初当選を果たしている。その後、連続5選を達成した。フロント・ベンチャーとなったのは、アボット首相が失脚し、ターンブルが首相の座に就いた直後の組閣で、ホークは財務担当の政務次官に任命されている。昨年8月にスタートしたモリソン第1次組閣では、閣外の特別国務相に抜擢され、初入閣を果たした。そして19年5月選挙後のモリソン第2次組閣で、閣外の国際開発・太平洋地域担当相兼国防補佐相に任命されている。中国による太平洋島嶼(しょ)国への「浸透」が警戒、懸念されている中、ホークが担当相に任命されたことは、モリソンがホークの実力を高く買っていることの証左と言えよう。
思想的には強硬右派であり、敬虔なキリスト教徒、というよりも原理主義的な教徒として知られる。ちなみにモリソンもホークも、しばしば物議を醸すヒルソング教会との関係が深い。離婚歴があり、家族は現在の妻のアメリアと3人の息子である。