検索
Close this search box.
検索
Close this search box.

シドニーの鮮魚改革を目指して

SHARE
出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記

出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~

其の参拾
シドニーの鮮魚改革を目指して

息子との2人旅を終えシドニーに戻った後、1977年、東京マートの隣に「魚秀」という鮮魚の小売と卸の店をオープンしました。当時、日本食レストランを開くことも考えましたが、既に順調に動いているイベント・ケータリングの仕事は自分の自由な発想と演出を企画し、売り込める点が面白く、同時にレストランより束縛が少なく、常連客も付いていたため、数カ月先までの予約で予定を立てやすいのも魅力でした。

食材の仕入れの際に、鮮魚を扱う人が少なかったことに着眼し、自ら魚屋をオープンすることに決めたわけです。魚屋といえば、まだまだフィッシュ&チップスの店というイメージが強く、片隅で魚を売っているという感じの店がほとんどでした。当然のことながら、当時は刺し身で食べられるような魚を扱う店がなく、大げさに聞こえるかもしれませんが、シドニーの鮮魚改革を目指し、ためらうことなく、このプロジェクトにのめり込みました。

JXの名前でフィッシュマーケット・オーソリティーにもバンク・ギャランティーの登録をし、鮮魚の落札も自ら行うなど、全て順調に進みました。

ちなみに当時のマグロの値段はキロ何と25セント。今と比べたら驚きの値段設定です。まだまだ魚の市場は小さく、買い手市場。そんなわけで私は時にマグロを5本から、多い時には8本も丸ごと買いつけ、売りさばいていました。競争相手が少なかったのも私にとっては幸運でした。

イベント・ケータリングと共に魚秀の開店は予想通り話題となり、連日繁盛しました。鮮魚の仕入れを行っていたことで、ケータリングの際のコスト・パフォーマンスの向上にもつながりました。「魚秀」では、日本料理人である利点を生かし、それまで魚屋で扱っていなかったアワビ、シャコ、生エビなど、できる限り豊富な種類の鮮魚をそろえました。また、「活け物」なども扱いました。水槽には、ウニ、ロブスターやたこなどを入れ、客の目を引き付けました。オーストラリアは生き物を客の目の前でおろすことを良しとしないので、お客様が刺し身を望んだ際には、見えないように気を付けながら、すぐその場で締め、準備し、盛り付けました。

タンクは、横2メートル、深さ70センチぐらいの大きい物を探していたので、なかなか見つからず、探すのに苦労しました。また、海水魚の活け物を扱っていたので、海水をバルモラル・ビーチまで取りに行っていました。しかし、失敗することも多かったです。フィルターで水を循環させていたのですが、そのフィルターは淡水用だったため、塩が詰まって動かなくなり、わざわざアデレードから塩水用のポンプを取り寄せたりしました。また、中にいたはずのタコが朝店に着くと、逃げていてフロアで発見されたりなど、今では笑い話のエピソードもあります。

「魚秀」では基本的には、その仕入れた魚はその日に売りさばくことをモットーに営業しました。残ってしまった魚は冷凍パックにし、あくる日、お客様に無料で差し上げるサービスを徹底しました。当時、そのような魚屋はオーストラリア全土を探してもなかったかもしれません。同時に、夕食のお献立のアイデアや、季節の調理のヒントもシェフとして差し上げました。

私も含めスタッフも若く、元気な日本人スタッフが威勢よくサービスをしました。ノース・ブリッジという場所柄、白人系のお客様が多く、毎週金曜日になるとフィッシュ・デーという名目で、フィッシュ&チップスを目当てに訪れます。今のように刺し身を食べる方は少なく、ショーケース・ウィンドー越しに、興味深そうに、私たちが魚をおろす様子に見入っていました。手の空いた時は、彼らに刺し身をしょうゆとわさびでテイスティングしてもらったり、時にはフィッシュ&チップスの代わりに白身魚の天ぷらなどもテイスティングしてもらうなど、レシピのアイデアを提供しました。

更には、英語ネイティブのオーストラリア人女性に働いてもらったり、週末には地元の女子高生を雇うなど、ローカルの人たちにも日本式の鮮魚販売を知ってもらうことに力を入れました。徐々に、現地オーストラリア人のお客様も増えましたし、日本人のスタッフにも更に元気が出てきました。2年目に入る頃には、刺し身を求めるオージー客も増えました。

魚屋は開店後3年目まで順調な売り上げを伸ばしていましたが、ノースブリッジ・プラザの全館改装が始まり、結果的に立ち退くことになりました。魚屋のビジネスを続ければと、いろいろな方から勧められましたが、私には次のビジョンがあり、継続は辞退しました。


出倉秀男(憲秀)
料理研究家。英文による日本料理の著者、Fine Arts of Japanese Cooking、Encyclopaedia of Japanese cuisine、Japanese cooking at home, Essentially Japanese他著書多数 。Japanese Functions of Sydney代表。Culinary Studio Dekura代表。外務省大臣賞、農林水産大臣賞受賞。シドニー四条真流文芸師範、四條司家師範、全国技能士連盟師範、日本食普及親善大使

SHARE
文化の最新記事
関連記事一覧
Google Adsense