出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~
其の参拾壱
日本食関連イベント初開催、日豪プレス創刊
1970年代、日本食レストランは末広の独壇場でしたが、その後、石岡さんというシェフを迎えて中国人オーナーによる鉄板焼レストラン「都」がオープンしました。今では遠く懐かしい当時の日本食レストラン業界ですが、思い返せば、この時期がまさにオーストラリアにおける日本食文化の礎が築かれた時代だったと言えます。
当時は、オーストラリアが一躍脚光を浴びた映画『クロコダイル・ダンディー』の主演として知られるポール・ホーガンが、まだコメディアンとして活躍していた時代でした。テレビからは、オーストラリアのスラング『G’day』がよく聞かれるなど、オーストラリアはその独自性を世界にアピールしていました。
料理番組では、派手な衣装とおしゃべりで番組を盛り上げるセレブリティ・シェフ、ベナード・キング(1934~2002)や、家庭料理界のレジェンドで今は亡きマーガレット・フルトン(1924~2019)が全盛の時代でした。
そんな中、父から連絡があり、初代全国環境衛生鮨商同業組合会長であり、『寿司由来』などの著書を持つ、東京「青山大寿司」の大前錦次郎氏がシドニーを訪れると聞きました。そして、シドニーのすし業界のことを知りたいので会って欲しいとの依頼を受け、シドニーのホテルでお会いしました。
大前氏は、11月1日の「寿司の日」を創設、厚生省認可の下、若い修行中のすし調理師らの独立資金をサポートする融資制度を作るなど、すし界に大いに貢献した人物です。当時、日本が高度経済成長へと向かう中、日本のすし業界も画期的な成長を見せたのでした。
同時に、日本国外における「SUSHI」の道を切り開いた1人でもあります。アメリカ・ワシントンで日本のすし職人による、すしのデモンストレーションを行うなど、海外でのすし業界繁栄の礎作りに関わってこられました。
ここシドニーでも、民間と行政が日本料理を通して日本をアピールしていこうという動きが出始め、シドニー日本人会と総領事館の共催という形で、初の日本料理イベントが行われることになり、その場を任されました。
初開催ということで、手伝って頂いた奥様方もお洒落をして来られました。主催者側である日本企業の奥様方や、オーストラリア人も含む豪日協会の方々など来賓の方も着物を召されるなど、皆さんとてもフォーマルな装いで、私は大変恐縮すると共に気合が入ったことを覚えております。
「日本料理の古典と現代」というテーマで、150人ほどのゲストに、健康でバランスの良い和食をアピールすることを目指しました。A級グルメ、B級グルメを問わず、幸福な食卓といつまでも残る先人の残してくれた技と知恵を伝えることに専念しました。
その後も、ジャパンファウンデーション主催のデモンストレーションや講演会、キッコーマン主催のオーストラリアのフード・メデイア向けのデモ・イベントなどの企画が続き、私のライフワークの1つとなりました。
そして1977年、いよいよ日豪プレスが創刊されました。当時はまだ今のようなコンピューターもなかったので、日本語の活字を1つひとつ拾いながら印刷したのだと思います。その後、ワープロが普及し、更にはファックスも出始めテレックスも必要のない時代になっていきました。
日豪プレスの発行によって、現地のコミュニティーにも情報が広がるようになりました。これによって、シドニーの日本人社会も先進国への仲間入りができるようになったと言っても過言ではありません。いろいろなメディアが氾濫する中、創業40年以上を迎えた日豪プレスは、今日でもその原点を守りながら新しい時代の流れを着実に捉え報道をされています。その技量には敬意を表します。
では師走もすぐそこ、皆様、良い年をお迎えくださいませ。
出倉秀男(憲秀)
料理研究家。英文による日本料理の著者、Fine Arts of Japanese Cooking、Encyclopaedia of Japanese cuisine、Japanese cooking at home, Essentially Japanese他著書多数 。Japanese Functions of Sydney代表。Culinary Studio Dekura代表。外務省大臣賞、農林水産大臣賞受賞。シドニー四条真流文芸師範、四條司家師範、全国技能士連盟師範、日本食普及親善大使