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【新連載】人生何があるかわからない。だから面白い—セクレタリーの“ヒショヒショ話”

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第1回:人生何があるかわからない。だから面白い

 私は、秘書(セクレタリー)がどういう仕事をする職種なのか知らなかった。高校時代に交換留学生としてオーストラリアNSW州の田舎町でハイスクールに通っていた時のことである。学校で何かある度に校長先生に会いに行かなければならず、その都度、事務室のおばさんに予定を聞いてアポイントメントを取る必要があった。「何だか大層だなあ」というのが私の印象だった。同級生たちがそのおばさんのことを「セクレタリー」と呼んでいたので、私の頭の中では、「セクレタリー=スケジュール管理のおばさん=事務員さん」という理解だった。

 社会構造がまだよく分からない高校生の私には、言葉と内容がつながらないことが多かった。当時、「将来は何をしたいか」と聞かれると、「Ambassador」と答えていた。質問した人は驚くやあきれる様子で、なぜかと思い調べてみるとAmbassadorは赴任の地で祖国を代表する「大使」であることが分かり、驚いた。なぜなら、私は大使館で働く人は皆、Ambassadorと思い込んでいたのだ。

 外国公館で働く仕事は楽しそうで、外国の地でありながらそこだけ治外法権があったり、外国政府からお給料をもらえるなんてすばらしいなと思っていた。

 大学卒業後、大使館職員に応募したものの新卒は雇ってもらえず、採用募集もほとんどなかった。外国政府で仕事をするということの難しさを実感した。それでも「Where there is a will, there is a way(意志あるところに道は開ける)」。実際に働いている人がいるのだから、不可能なことなんて何もない、諦めなければいつか可能になる時が来ると信じていた。そんな私をいつも周りの人は笑っていた。「変わった子」それが、日本での私の評判だった。

 それから数十年経って、私はオーストラリア連邦政府の国家公務員として働いている。今年で、連邦政府金融庁での仕事も13年目を迎える。

著者

ミッチェル三枝子

ミッチェル三枝子

高校時代に交換留学生として来豪。関西経済連合会、マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社に勤務。1992年よりシドニーに移住。KDDIオーストラリア及びJTBオーストラリアで社長秘書として15年間従事。2010年からオーストラリア連邦政府金融庁(APRA)で役員秘書として勤務し、現在に至る

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