第62回 レーンのウェアハウス
メルボルンはかつて世界一の金持ち都市となり「マーベラス・メルボルン」と呼ばれた栄華の時代があった。メルボルンを首都としたオーストラリア連邦政府ができる1901年までの50年間、メルボルンっ子はいかにして驚異のメルボルンを作り上げていったのか――。
1850年代、ゴールドラッシュを機に、メルボルンの発展と共に路地(レーン)には多くの商店や保税倉庫などが集積して、郊外やビクトリア各地から一般人や商店主が買い物に来ていた。
ハードウェア・レーンは、現在は都心部のイタリア・レストラン街として名高いが、欧米からの輸入品である機械・金属材料を扱う倉庫・商店街であった。
ダイノン・ビルは、施主でオーナーのジョン・ダイノンが著名建築家ウイリアム・ピットに設計を依頼したイタリアン・ゴシック様式の名建築である。
ナイアガラ・レーン倉庫群は、エリザベス通りに本社を置いていた家具業者ヘンリー・マークスが作った倉庫で、設計はデラシー・エバンズ、建築請負はダニエル・シンクレアである。
87年に建築されたナイアガラ・ホテルやナイアガラ・ビルという倉庫があり、プーリーやフックなどの倉庫貯蔵システムや馬具の部品類の倉庫兼販売店であった。
倉庫群には幾つかの特徴的がある。
・倉庫最上部にホイスト・クレーンが設置されていること。電気がない時代に、英米製の高価な最先端の手動式クレーンが設置され、欧米から輸入された金属や機械などの重量物を入出荷した。
世界でも貴重なアメリカ製大型バレル(120リッター)ホイスト式クレーンが現存している。
・倉庫1階の床が1メートルほど上がっていること。自動車がない時代であり、商品の輸送は荷馬車が活躍した。荷倉庫の出入り口も荷馬車の高さに合わせて設けられ、荷馬車が到着した際に、1階部分に、荷物を水平に動かして、荷受した。
・路地はブルーストーン石材で舗装され、狭いレーンは、活況な経済を受けて荷馬車が頻繁に出入りしていた。
・倉庫商店主は、アーガス新聞に広告を出し、人びとは欧米の最新商品情報を入手していた。
・アメリカン・ロマネスク様式やクイーン・アン様式など世界で流行した設計が多く、多色レンガの使用などの装飾が施されており、機能性だけの倉庫の外観を一変させている。
・建材には、ノースコットとプレストン産白色レンガ、オマール産石材、ニューポート産ブルーストン、タスマニア産ユーカリ材など輸入品や地元の高価な建材が使われており、建築施主は相当の財力があった。
路地散歩はメルボルン観光の目玉の1つであり、ストリート・アートが有名だが、屋上のホイスト・クレーンなども眺めると歴史的な背景が分かる。
このコラムの著者(文・写真)
イタさん(板屋雅博)
日豪プレスのジャーナリスト、フォトグラファー、駐日代表。東京の神田神保町で叶屋不動産(Web: kano-ya.biz)を経営。