【今さら聞けない経済学】生き返ったケインズ理論

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日本や世界の経済ニュースに登場する「?」な話題やキーワードを、丁寧に分かりやすく解説。
ずっと疑問だった出来事も、誰にも聞けなかった用語の意味も、スッキリ分かれば経済学がグンと身近に。
解説・文=岡地勝二(龍谷大学名誉教授)

第14回:生き返ったケインズ理論

経済学の門を叩いた人は、洋の東西を問わず等しくケインズの理論を学びます。なぜなら、誰しもが学ぶ「マクロ経済理論」の生みの親がケインズだからです。ケインズを知らずして経済学を語ることなかれ、ともいわれ、世界中がケインズの理論を用いて経済政策を立案してきました。

しかし1970年代の中頃、経済理論家の中の「マネタリズム」と呼ばれる理論を推し進めたグループは、「世界はもはやケインズ理論を必要としないし、ケインズの理論はむしろ古くて間違ってさえいる」「ケインズ理論は死んだ」という意見を唱えるようになりました。ところが20世紀末から21世紀に入って世界経済が危機的状態に突入したことで、再びケインズ理論は生き返ったとも言われています。今回は、こうしたケインズ理論の変遷を考えてみましょう。

「有効需要の原理」とは?

先回のコラムで述べたように、ケインズが世界経済の再生を主張しさっそうと現れたのは30年代の初めで、世界経済が「大不況の嵐」に直面している時でした。この大恐慌から世界経済を立て直すために、ケインズは、経済の再生・拡大にはまず、「物がどんどん売れる」ということが何よりも重要である、と強調したのです。

つまり、人びとの旺盛な購買力があってこそその国の生産力は増強され、より生産規模は拡大するものだ、ということ。旺盛な購買力とは、その国で作りだされる物とサービスを人びとがどんどん買うことを意味し、それを経済学では「需要」と呼びます。需要の増大こそがその国の経済を拡大させる原動力だ、つまり「消費は美徳」とケインズは力説し、理論化しようとしたのです。そこでとても有名な「有効需要の原理」というケインズ理論の中心命題が出てきます。簡単に言えば、「需要の増大こそがその国を発展させる有効な武器であり得る」ということです。

ケインズは、一国の経済力を高めるためには需要の増大が必要であり、そのためには政府はどんなことでもしなさい、と言い切ります。人びとの購買力を高めるには、彼らの所得を高める必要があります。そのために、「仕事」を作り出し人びとに与えるのが政府の大切な責務である、とケインズは言明します。例えば「お墓を掘るような仕事でも政府が作り出しなさい」と言うのです。すごいことですね。

政府は仕事を創出するために、どんどんお金を使いなさい、つまり「公共投資をしなさい」というのがケインズの主張です。もし政府にお金がなければ、借金してでも公共投資をしなさい、と。つまり、ここで有名な「赤字財政がその国の成長の源である」という考えが登場します。橋、鉄道、道路、井戸掘りなど国民が生活するのに必要な施設(公共施設)を造り、そこで人を雇うことで賃金が上がり、人びとが物を買うようになるという、「大きな政府」の必要性を強調したのです。

ケインズ革命

このようなケインズの考えは当時、とても「革命的」でした。それまでの経済学は、経済というものは「神の御手によって自然と均衡するものだ」という考えで成り立っていたからです。つまりこれは、政府は国の経済活動に口を挟む必要はなく、泥棒の取り締まりや外敵から自国を守ることに徹しなさい、という考えで、「夜警国家」で良し、と言われていたわけです。

経済活動を活発化させるのは需要ではなく供給のほうである、なぜなら「供給は自らちゃんと需要を作り出すから」という考えによって、それまでの経済は運営されていました。これは「セイの法則」といわれ、ケインズ以前の経済学の中心的な考えでした。このセイの法則とは、生産された財には必ず需要があり、売れ残りなどあるはずがない、という考え方でした。このセイの法則は「セイの販路説」とも言われ、この説を基に構築されてきた経済学を「古典派経済学」と呼びます。長く世界の経済学をリードしてきたのはこの古典派経済学です。

この考えの下では、失業などはありえず、失業している人は怠け者だとも言われていました。しかしケインズは「いや、人は懸命に働くが、ただ物が売れないので(需要がないので)会社が倒産し、働けなくなるのだ。古典派の主張は間違いである」と主張し、失業の責任は政府にある、とまで言うのです。政府は大きければ大きいほど良い、という彼のような考えは従来の理論に真っ向から反対し、いわば革命的だったのです。そこで経済学者はケインズの考えを「ケインズ革命」とも呼ぶようになりました。

反ケインズ主義の出現

第2次大戦後の世界の主要国は、ほぼ等しくケインズ主義を取り入れて自国の経済を運営し、確かに見るべき成果をあげてきました。日本も同様に、積極的に予算を組み、公共事業の拡大政策を取り入れて経済を運営してきたのです。その結果、68年には、GDPはアメリカに次いでナンバー2の地位を占めるまでになり、「21世紀は日本の時代だ」、と世界にもてはやされるようになりました。しかしアメリカ経済はもっと強大で、世界の富の大半を手中に収めるのでは、と思われるほどの強国になりました。アメリカがくしゃみをすれば世界は肺炎になる、とまで言われたのです。

しかし、60年代の終わりに拡大したあの忌まわしいベトナム戦争は、70年の初めには実質的にアメリカの敗北で終結し、更にアメリカは、とりわけ日本との「貿易戦争」に負けてしまいます。いわゆる2つの戦争に敗北を喫し、アメリカ経済は「双子の赤字」状態に陥り、そこから抜け出す方法として、もはやケインズ政策ではどうしようもなくなりました。そこで経済学者たちは一斉に、「ケインズ経済が間違っている。ケインズ経済学は死んだ」と声を大にして主張するようになりました。そしてケインズ理論とはまったく逆の政策を構築すべきだ、と一斉に唱えるようになったのです。

そこで全く別の考えとして、生産の拡大こそがその国を救う方法であるという「供給重視の経済学」が出てきました。この考えを「サプライ・サイドの経済学」と呼びます。企業に自由に経済活動をさせ、どんどん財の供給を増大させればおのずと一国の経済は活性化し、経済規模は拡大する、というのがこの考え。そのためには経済への政府の干渉はできるだけ小さく抑え、企業活動の自由度を高めることによってGDPの増大を実現させる、ということです。つまり、「小さな政府」がより望ましいという考えです。

これを考え出したのは、アメリカの一流大学のシカゴ大学の経済学者である、かの有名なミルトン・フリードマンを中心とする「シカゴ学派」の人たちでした。フリードマンは、「ケインズ経済学は今や“有害”ですらある。一刻も早く葬るべき」とまで明言しました。瀕死の重傷を負った世界経済には、まさにフリードマンは「救世主」のような存在で、更に彼は、「経済をコントロールする手段としては、財政政策ではなく、通貨の量をコントロールする貨幣政策を採用すべき」と主張したのです。この考えは「通貨供給重視の経済学」とか「マネタリズム」といわれ、ケインズ主義と真っ向から対立するものでしたが、世界経済は救いの手を待ち望んでいる時だったので、フリードマンを世界経済の救世主のように迎えたのです。

自由制度の優位性に基づいて、73年の春、世界の通貨体制も固定相場制から変動相場制へ180度舵を切りました。これがフリードマンの考えを基礎とするものであることは間違いなく、フリードマンはこのような業績によって76年にノーベル経済学賞を授与されました。世界の主要な中央銀行はフリードマンを顧問として迎え、通貨重視の経済政策の構築をもくろみました。日本とて例外ではなく、フリードマンは80年代に日銀の顧問として招かれ、日本の金融政策に深く関わることとなりました。

マネタリズムの崩壊、ケインズの「再来」

ところが、20世紀末から21世紀にかけて世界経済は「構造的な大不況」に見舞われ、経済の安定化のために通貨のコントロールが効かなくなってしまいました。そこで、一国の経済を運営するのは、通貨のコントロールよりも財政出動のほうが効果が大きいと思われるようになり、一度は死んだと世界から見放されたケインズ政策がまた生き返る時が来ました。

日本とて例外ではなく、「20年にわたる大デフレ」の状態に陥り、そこから抜け出す方法として、また財政主導の経済政策が取られるようになりました。皆さんがよく知っているように、日本はGDPを上回ること230パーセント以上の赤字財政出動を敢行しています。世界の歴史において、これほど財政赤字を敢行している国はありません。まさに日本は「ケインズ政策」を大幅に取り入れているようです。事実、マネタリズムの「貨幣政策」を取り入れても日本経済は一向に上向かないのです。その証拠に、つい最近実行された「マイナス金利」導入後も一向に日本経済は浮上しないではありませんか。日本銀行はどのように日本経済を運営していくつもりでしょうか。世界の人びとは固唾(かたず)を飲んで見守っています。

また、今年の5月26~27日の2日間、日本の伊勢志摩で開催される「G7(先進国7カ国首脳会議)」で、日本の安倍首相は、目下の世界的な不況を世界の主要国による財政支出の増大によって切り抜けることを提案するのです。世界は、ケインズ主義の復活を大々的に受け入れるのでしょうか。

※このコラムは5月中旬に執筆されたものです。


岡地勝二 プロフィル
関西大学経済学部卒業。在学中、ロータリークラブ奨学生としてジョージア大学に留学、ジョージア大学大学院にてM.A.修得。名古屋市立大学大学院博士課程単位終了後退学。フロリダ州立大学院博士課程卒業Ph.D.修得。京都大学経済学博士、龍谷大学経済学教授を経て現在、龍谷大学名誉教授。経済産業分析研究所主宰

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