ラグビー日本代表の次代を担う
メルボルン・レベルズ
児玉健太郎
2016年はスーパー・スター五郎丸歩の参戦で湧いた南半球ラグビーの最高峰スーパー・ラグビー(SR)。既に開幕している今季のSRに日本生まれの日本人選手として唯一参戦しているのが、メルボルン・レベルズに所属する児玉健太郎(25歳・パナソニック・ワイルドナイツ/WTG)だ。単身メルボルンに乗り込んで、世界を相手に研鑽を積む児玉を直撃した。
写真:Nino Lo Giudice
取材・文・写真:植松久隆(Taka Uematsu、ライター/本紙特約記者)

「いつでもポジティブにいきます」
メルボルン・レベルズに入団した児玉健太郎が、日本での所属元であるパナソニック・ワイルドナイツ公式ウェブサイトの選手紹介欄で簡潔に書いたファンへのひと言メッセージだ。SRに単身飛び込んできた、爽やかな笑顔と凛々しい表情が印象的な児玉健太郎という選手をよく知るには、この「ポジティブ」という言葉が1つのキーワードになる。
SRというほぼ未知の世界(筆者注:昨季サンウルヴズの一員として最終戦シャークス戦でSRデビュー済み)に豪州で挑戦する心構えを聞くと、その答えにもポジティブさが満ち溢れていた。
「全部が自分のプラスになると思う。ラグビーのこと、それ以外も含めて、とにかくどんなことにでも積極的に自分から参加して、良いものを得ていきたい。受け身だと何もなく帰ることになってしまうから。そうはなりたくない」
福岡の名門ラグビー・スクールから小倉高校を経て、慶應大学に進学、大学卒業後に進んだのはトップ・リーグ(TL)の雄、パナソニック・ワイルドナイツと、児玉のラグビー人生は日本の誇るスター選手と同じ轍を踏んできた。今でも、公私ともども彼に多大な影響力を及ぼす同郷の偉大な先輩である日本代表WTG・山田章仁、その人だ。当然、山田とは腹蔵なく色々な話をしてきた。
「しょっちゅう、ラグビーの話とか、人生の話とか腹を割って話をするんですけど、今回の挑戦に関してはガンガン行けよと。本当に遠慮なんかしていたら、半年のシーズンなんてすぐに終わってしまうので、初めからどんどん積極的にいけ、章仁さんもポジティブな人なんで、とにかく積極性が大事ということですね」と、偉大なる先輩からの金言をしっかり胸に抱いている。
その児玉がラグビー選手として一番脚光を浴びたのは、日本代表初キャプテンとなった2016年4月30日「アジア・ラグビー・チャンピオンシップ2016」の初戦の韓国戦。代表未経験者ばかりのヤング・ジャパンの85-0で圧勝という結果もさることながら、グラウンドを縦横無尽に走り回って5トライをあげた児玉の大暴れに多くの人が日本の次代を担うホープの出現を感じた。そして、同年7月にはセブンス代表に専念するために離脱した山田と入れ違いでサンウルブズに召集され、最終戦シャークス戦でSRデビューを果たした。

このように彼のラグビー人生を字面だけで追うと順風満帆、それこそ「ポジティブ」なものに映るのかもしれない。しかし、彼の歩んできた道のりは、必ずしも平坦なものではなかった。期待されて入学した慶應大学では、1年生からレギュラーとして活躍するも、2年生以降は出場機会を減らした。3年次には、当時の監督の指導方針などに異議を唱えOB会に環境改善を訴える直接的行動に出た結果、半年間の謹慎処分も受けた。その過程で実業団入りの芽も無くなりかけたが、大先輩の山田の推しもあって練習参加していたパナソニックへの入団が実現した。
パナソニック入団後も、選手層の厚いクラブで出場機会に恵まれず、公式戦デビューは15年9月、ラグビーW杯開催の影響で変則開催で行われたTL・プレ・シーズン・リーグまで待たねばならなかった。その後、TLリーグ戦の第4節に出場すると、そこから順位決定トーナメント決勝まで7戦連続出場とチームの優勝に大きく貢献した。しかし、その翌16-17シーズンは一転して我慢のシーズンとなった。年下ながら大学在籍時から日本代表でプレーしてきた福岡堅樹、藤田慶和という超有望選手の入団で攻撃陣の層が厚くなったことで、激しいレギュラー争いに曝され、結果的に出場機会を大幅に減らしてしまった。
それでも腐らずに練習から全力を出し続けてきた児玉は、SR行きというビッグ・チャンスを自ら引き寄せた。その一番の理由も「ポジティブさ」にある。社会人としての1年目には、ロビー・ディーンズHCに週1回は「自分に何が足りないか」を聞きに行ったという逸話もある。そんなどこまでもポジティブな愛弟子の資質を見抜いていたディーンズHCも、今回の児玉のSR挑戦を力強く後押しした1人だ。

「ロビーとは、豪州に行く前から、来季(18年シーズン)の契約も勝ち取るのを最低ラインとして話してきたので、今季、試合に出るのは当たり前として考えている」と、SRをよく知る名将である師匠と決めた目標設定も明確だ。それだけに、挑戦者という立場に甘んじる気はさらさらない。
「『(SRで)頑張ってきました!』ってのは好きじゃない。『SRでこれを手にいれた』って言えるものを得なければ意味がない。もし、それを得られないままに終わってしまったら、本当に何も残らない」
パナソニックの一員として日本からはるばる参戦したブリスベン・グローバル・テンズ(2月11日、12日)では、酷暑のSRでライバルになるワラタズ戦で魅せた。試合後に自ら「合流前にアピールしようという気持ちが強かった」という“名刺代わり”の60メートル独走トライに会場は大いに沸いた。同大会をパナソニックの児玉として終えてから、そのまま同市内のレベルズの宿舎に合流。正式に「レベルズの児玉」が誕生、2月14日、QLDレッズとの練習試合でレベルズのチーム・ポロ姿を初披露とあいなった。
アイランダーが多いレベルズのチームの雰囲気は「とてもフレンドリーで優しく接してくれて親しみやすい」と言う。そもそも、レベルズは日本人選手を多く獲得してきた実績があるので、環境面では問題無い。さらに児玉には心強い援軍がいる。レベルズに今年から加入している「ナキ」こと日本代表のナンバー8、アマナキ・レレイ・マフィだ。
「やっぱり、ナキさんがいるのは大きいですね。すごく良く面倒をみてくれるんで、将来自分が逆の立場になったら、そうありたいなと思わされます」

トンガ出身のマフィは英語話者であり日本語も堪能。そんな日本代表の先輩の存在も大きなアドバンテージになりそうだ。
昨年の五郎丸歩を始め、それ以外の日本人選手も少なからずぶつかるのが言葉の壁。そのあたりの不安はどうなのだろうか。
「英語の準備はしてきたんですが、オージー・アクセントに聞き取りにくさがあります。もうこうなったら、『俺、英語分かんないから』ってのを、逆に強みにしてガツガツ行けたらなと思います。そういう面でもネガティブになっていては絶対にいけない」とキッパリ。さらには、「ミーティングでも、英語が分からなくても一番前に座って試合に出たいってアピールする姿勢。推薦されるのを待つんじゃなくて、自分から立候補するような姿勢じゃないと駄目。いつも『試合出たい』っていうのを、言葉でもグラウンドの内外の振る舞いでもアピールしたい。アピールのための手の上げ方は色々な形があると思うので、上げられるところは全部上げていきたいです」と、どこまでもポジティブだ。
そんなポジティブな姿勢は、プレーにも当然影響してくる。
「ラグビーは気持ちでプレーが全然変わってくるので、遠慮なくアグレッシブにいきたい。今日のトレーニング・マッチは、なかなかいい形ができていなかったけど、そこに自分が入ったときにいい形ができるよう、きちんとコミュニケーション取っていきたい。こじ開けるのはなかなか難しいでしょうが、良いボールをもらえれば走り切れるし、スペースにボールを運んでいければ十分にやれると思う。一発ドーンというのは、コンタクトの強さがあるわけではない日本人には難しいけど、色んなところに顔を出して、チャンスとボールに多く絡むプレーで堅実に走り切るという自分の強みをしっかり発揮していきたい」と、自身のSRでのプレーと活躍のイメージは出来上がっている。
最後に「桜のジャージ」への思いを聞いた。
「2019年(日本開催のW杯)に出たいなら、もう今年がラスト・チャンス。今年、代表に入れなければ、来年、再来年はメンバーは固定されてくる。SR参戦という良いチャンスをもらってモチベーションも高い今年、結果を出さなかったらW杯は無いという気持ちでいます。ジェイミー(・ジョセフ日本代表HC)もきちんと見てくれているはずなので」
ここでは、持ち前のポジティブさだけではなく、自らの置かれた現実を考慮した上での冷静な決意が見て取れた。
SR挑戦のこの半年で児玉は大きく化けるだろう。持ち前のポジティブ・マインドに自信と実績が伴えば、今後の代表入りもあながち夢ではない。そして、大先輩の山田がウエスタン・フォース在籍時(15年)に達成できなかった豪州チームでのSR出場機会獲得、本人曰く「当たり前」の実現の日もそう遠くはないように思う。
日本ラグビー界きっての“ポジティブ・キング”、メルボルンの地で揉まれる日本の若き星・児玉健太郎の頑張りを応援したい。