新年インタビュー 桃井かおりさん

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インタビュー

■来豪独占インタビュー

これからも、新たな方向を目指していきたい

女優 桃井かおりさん

 日本での大女優という地位に甘んじることなく、映画監督、そして国際派俳優 として現在なお、精力的に活動を続ける桃井かおりさん。国際映画祭「アジア・パ シフィック映画祭」の審査員として2011年11月に来豪した桃井さんが、国際映画 賞や、若い監督を応援する熱い思いなどを本紙に語ってくれた。        (インタビュー=本紙編集部)

——ゴールドコーストの印象はいかがですか?

 オーストラリアへはシドニーに、以前に仕事で来ています。その時は忙しくて、ほとんどホテルから出られなくて、でもホテルに「新ばし」ってすごく美味しいお蕎麦屋があって、それが食べたくてまたシドニーに行ったのになくなってて、それが今回ここで再会できて最高です。今回も映画祭の審査員として来ているので、毎日映画を観てミーティングを重ねる毎日で、想像を絶するような隔離状態に置かれています(笑)。

 それでも、仕事の合間に抜け出して美味しい物を食べに行ったりしています。「らんぷ亭」は審査員長のナンさんともう2度も行きました。ラーメンの「一番星」も。とにかくがんばっている日本人がうれしくて!

 今、ロサンジェルスに1年の半分は住んでいるんですが、ロスの私の家の周囲の雰囲気とゴールドコーストの雰囲気が似ていて、居心地が良いので驚いています。運河があって、ウォーターフロントの住宅が並んでいて、船を持っている人たちがいて。

 ロスの自宅でとても親しくしている隣家の方が、実はオーストラリア人なんです。スピルバーグの作品も撮ったカメラマンなんですが、彼からよくオーストラリアの話を聞いていました。だからここへ来た時「こんなによく雰囲気が似てるから彼はロスのあの辺りに住んでいるのねぇ。そっくりじゃない」と納得しました。

インタビュー
コアラへのストレスを気遣いながら写真撮影をする優しい一面も

——今回はアジア・パシフィック映画祭の審査員としての来豪ですが、審査をしてみて感想は?

 今回のような国際的な映画祭の審査員はもう6〜7回経験してるのですが、今回は甲乙つけがたいレベルの高い作品ばかりなので、審査させていただくのも大変です。

 普通、国際的な映画祭って、例えばベルリン映画祭で選ばれたらカンヌはもうノミネートしてもらえないとか、いろいろな規制があるものなんです。だから、賞というのは選ばれるものではあるものの、作る側としては自分の好きな映画祭を選ばなきゃいけないという側面があるんです。でも、今回のこの映画祭には、そんな規制が全くないから、もうどこかで賞を取っているような、かなりレベルの高い作品ばかりが集まりました。

 普通だと1つくらいはあまり出来のよくない映画があるものですが、今回は、きれいごとではなく、もう皆に賞をあげるべきだというくらいの高水準だと思います。

 私は長く俳優として活動してきたので、賞に選ばれるということはどういうことかというのを、身に沁みてよく知っているつもりです。映画祭で賞をもらうと、さらにいろんな映画祭に呼ばれ、また賞をもらって…と、映画が生き物のように育っていく。そして、その映画に関わった者は皆、お金を出した人も含めて、映画が例え興行的に儲からなかったとしても、賞をいただくことで「あぁよかったなー」と思っていただける(笑)。

 特に、お客さんにたくさん来てもらって一般的に受けることを一番の目的としていない芸術的な作品などにとっては、賞は命綱とも言えるものです。そして監督も、俳優も、海外で賞を取れば、ものすごく大きな将来へのチャンスに繋がっていきますし。

 だから、今回の映画祭の審査をさせてもらうなんて、本気にならざるを得ない(笑)。審査のミーティングでも、日本人としてたくさん意見を述べさせていただきました。審査の場は皆、真剣です。誰もなぁなぁでやっていないんですよ。だから、真剣に意見を言い合います。自分の意見をはっきりと拒絶されることもあります。だから、「ノー」と言う強さと優しさがなくては海外での仕事はできません。

——日本と海外の生活では、どんなことが違うと感じていますか?

 海外に住むということは、ちょっと旅行で行くというのとは違って、大変なことがたくさんありますよね。私たちが、その国でガイジンになるわけですから。

 私はもともと、割と「ノー」と言える日本人ではあったのですが(笑)、以前ははっきり「ノー」と言うのは相手に悪いんじゃないかと気を使って、「イエス」「ノー」をはっきり言わずにごまかしていることもありました。でも昔、子どものころにイギリスに住んでたんですが、その時、寮で給仕の人に「マッシュポテトいる?」と聞かれて「ノー」とはっきり言うのが申し訳ないと思って、笑ってたら、どんどんお皿に盛られてしまって(笑)。しかも食べ残すと、ものすごく叱られるんです。それ以来、しばらくマッシュポテトが嫌いになってしまいました(笑)。

 でも、海外でははっきりと意思表示をしないと、事件に巻き込まれてしまうようなこともありますから。「ノー」と言う強さがなければ、海外には住めないですよね。そして、同時に優しくもなければ、そこに住みつくこともできないと思い知っています。オーストラリアに在住の皆さんも、強く優しい方が多いのではないでしょうか。

——海外で仕事をしていくきっかけとなったのは?

 2006年に『無花果の顔』で監督デビューした時に、ベルリン国際映画祭をはじめ、たくさんの海外の映画祭に呼んでいただいて、賞もいただきました。

 それでその時に分かったのですが、映画祭からは、監督1人しか呼ばれないものなんです。女優として呼ばれる時は、大きな映画会社が着物の着付けの人まで付けてくれて、ホテルのスイートを手配してくれるような環境なのですが、監督としてベルリンに呼ばれた時は、エコノミーの航空券が1枚送られて来ただけ(笑)。

 なので、自分でスケジュールを管理して、あれこれ予約しなきゃいけない。これは1人じゃ何もできない日本人は、なかなか来られるもんじゃないなと…(笑)。

 映画祭ではパーティーにも全部出席したんで、新しい友人がたくさんできました。一般の観客の方との質疑応答も好評でした。そしたら、今度は審査にも呼ばれるようになって。それから、20カ所以上の国へ行きました。すると、そこでまた自分の映画を流していただけて。

そうやってどんどんと新しい繋がりができていって、「一緒に映画を作りたいね」なんて言う友人が増えていくうちに、企画書が送られてくるようになりました。中国のリー・チーガイ監督と2009年公開の『昴−スバル』、そしてラトビアのマリス・マルティンソンス監督と2010年公開の『AMAYA』でご一緒することになったのです。

——現在撮影中のイギリス映画『GREATERTHINGS』など、海外映画に積極的に出演されています。

インタビュー
気取りのない、気さくなおしゃべりでインタビューに答えてくれた桃井かおりさん

 海外映画は出ようと言うよりは、ちょうど私自身、今までたくさんの巨匠と呼ばれる名監督たちとお付き合いさせていただいて、黒澤明監督から三池崇史監督まで、ご一緒したいと思えるような監督の作品にはすべて出演させてもらうことができて。普通だったらそろそろ定年を迎えるような年ですし(笑)。今度は若い監督と実験的なことに挑戦してみたい、そう考えるようになった。これからの映画ってどんな風に変わっていくんだろう、それを見届けてみたい、と思ったんですね。

 だから、これから大きくなっていくかもしれないような若い才能のある方と付き合っていきたいと考えています。日本でも若い監督とお付き合いしていますが、日本では私のことを怖がってしまう方が多くて、なかなか難しいんです(笑)。桃井かおりというイメージが邪魔してしまうことがあるんですね。でも、海外の監督は私のことをあまり知らないので、気軽に声をかけてくださいます。今の私を、生き物としてありのままに受け取ってくれるんです。

 でもね、私、こんなに明るい性格なのに、暗い役ばかり回ってくるんですよね(笑)。今度やるメキシコ映画は撲殺される中国人の女性の役です。「中国語もスペイン語もできませんよ」ってお伝えしたんですが「じゃあ、しゃべれるようになっておいて」と言われました。

 国境を越えて仕事をするっていうのは、中国語ができるとかスペイン語ができるとかって問題じゃないんですね。海外の監督さんたちは「自転車に乗れるようになっておいて」とでもいうような感覚で、言葉を習得するのも「できるようにしておいてね」という方が多いので、すごいなぁと感じています。今やってるヴァヒド・ハキームザデー監督が、私が出演した『AMAYA』という映画を観て声をかけてくださったのですが、台本がなくて(笑)。英語でアドリブですし(笑)。

 世界には、字幕を読めない部族の方もいるので、聞き取れないとすぐにアフレコにされてしまうんで、私は日本人として意地でもただただ頑張る、それしかないんです。

——アカデミー賞3部門を受賞したハリウッド大作『SAYURI』への出演はどのように決まったのでしょうか。

 最近、自分のせっかちなところとか、だんだん亡くなった父に似てきたなぁと思うことがあります。父は2004年に亡くなったんです。ちょうど、監督として賞も取ったショート・フィルムの『HOLA!』をスペインで撮影したころでした。

 辛い時期だったので、スペインでサクラダファミリアなどのガウディの建築を見て、エネルギーをもらおうと思ってしばらくスペインにいたんですが、その後で当時のボーイフレンドがいたロンドンに行ったら、大喧嘩してしまって(笑)。

 ひまなんで、以前ロンドンで芝居をした時のスタッフとご飯を食べていたら「今、僕のスタジオで日本人役のオーディションをやってるよ。受けてみれば?」と言われて行ってみたんです。ちょうど、父の死という心の傷を癒すために、もっと辛い状況に自分を置いて傷付いてみようと思って、いろんなオーディションを受けていた時期でした。

 ロンドンでオーディションを受けた時は、どの役のためのオーディションなのか知らされていなかったんです。今思うと、たぶんミッシェル・ヨーのやった役だったんじゃないかな。後で彼女に聞いたら、かなりぎりぎりになって決まったと言っていましたし。でも日本に帰ってきてから、「ぜひ日本人にキャストに入ってもらいたいし、マザーの役でどうか」と打診を受けて、チャレンジしてみることに決めました。

——これからは、どんな仕事を中心に活動される予定ですか?

 もともと私はインディーズ出身の女優なんです。でも、インディーズはスポンサーがつかないから映画が売れない。「だったら、ぶつぶつ言ってないでメジャーになればいい」と、ある監督に言われて、どんどんこの世界に入っていくことになりました。

 だけど、そろそろ自分で作品を選んで、好きな映画をやりたいと思っていたところに、ロシアの巨匠ソクーロフ監督の『太陽』、そしてロブ・マーシャル監督の『SAYURI』をやらせていただきました。そこで、だいたい方向が決まったような気がします。

 この5年ほどは、良いペースで仕事を選び、新しい実験みたいなものにトライしていきたいと考えていました。だから、今回のようなフィルム・フェスティバルに参加できることが、とても嬉しいんです。新しい監督やいろんな人に出会って、新しい刺激をもらっています。

 今後も、どんどんと新しい方向を見つけ、そこに向かって進んでいきたいですね。


アジア・パシフィック映画祭
Asia Pacific Screen Awards(APSA)

インタビュー
審査員として、桃井かおりさんをはじめ世界各国の映画人が集まった

インタビュー
桃井かおりさんがユニセフ賞のプレゼンターとして登場

 2011年11月24日にゴールドコーストのコンベンションセンターで行われたアジア・パシフィック映画祭の授賞式。昨年は19カ国から37もの映画がノミネートされた。

 レッド・カーペットには世界各国から集まった監督や俳優たちが華やかに集まり、審査員の桃井かおりさんをはじめ、アニメーション部門でノミネートされた『星を追う子ども』のプロデューサー、川口典孝さんも登場。

 授賞式では、桃井かおりさんがユニセフ賞のプレゼンターも努めた。そのユニセフ賞は、アイヴァン・セン監督のオーストラリア映画『Toomelah』が受賞。ユニセフ代表がベルトを落としてしまったところ、桃井かおりさんが拾って渡そうとして、今度は自分のスカートにひっかけてしまうというハプニングが起こったものの、独特のパフォーマンスで会場中を笑いに包んだ。

 作品賞はイランの『ナデルとシミン』が受賞した。


桃井かおり◎プロフィル

東京生まれ。12歳で英国ロイヤル・バレエ・アカデミーへ留学。文学座養成所を経て、1971年映画デビュー。第1回日本アカデミー賞『幸福の黄色いハンカチ』をはじめ『もう頬づえはつかない』『神様のくれた赤ん坊』『疑惑』『TOMORROW/明日』『木村家の人々』『東京夜曲』などで主演女優賞を多数受賞。監督作品『HOLA!』は「ショート・フィルム・フェスティバル2005話題賞」を受賞。2006年の自作小説を映画化した初監督作品『無花果の顔』は「第57回ベルリン国際映画祭NETPAC賞」など計5冠の快挙となった。2008年に紫綬褒章を受章。

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