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【原発】日本とオーストラリア、原発をめぐる関係性

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シリーズ・原発問題を考える⑤


左から松岡智広氏、長谷川健一・花子夫妻、川崎哲氏

東日本大震災2周年・特別企画

日本とオーストラリア
原発をめぐる関係性

【緊急座談会】
長谷川健一×川崎哲×松岡智広

 
文・編集=馬場一哉(編集部)
座談会収録・撮影=日豪プレス編集部

 世界有数のウラン輸出国として原発産業を支えつつ、自国内には原子力発電所を持たない国オーストラリア。被爆国であるにもかかわらず、狭い国土に世界第3位の原発数を誇る原発大国・日本。原発を巡る両国のねじれた構造を、オーストラリアに根を張る日系媒体が取り上げないのはそれこそいびつだ。原発を取り巻くさまざまな状況を記者の視点からまとめた「シリーズ・原発問題を考える」第5回では、東日本大震災2周年に際し、シドニーを訪れた飯舘村出身の酪農家であり『原発に「ふるさと」を奪われて』の著者である長谷川健一氏、ピース・ボートの共同代表・川崎哲氏、そして、メルボルン在住のジャパニーズ・フォー・ピース(JfP)所属の松岡智広氏による座談会を開催。貴重な言葉の数々を紙面が許す限り、紹介していく。

2011年3月11日、マグニチュード9.0の規模を記録した東北地方太平洋沖地震によって引き起こされた津波の被害により、東京電力福島第1原子力発電所がメルトダウン。放射性物質の飛散により原発から20キロ圏内はすぐさま非難が必要な「警戒区域」に指定された。当初、飯舘村は地震による被害自体はそれほど大きくなく、また非難区域にも指定されなかったが、地理的要因からほかの地域よりも放射性物質の検出量が高く、約1カ月の間に避難することを求められる「計画的避難区域」に指定された。政府の対応の遅さ、村の「避難」に対する消極的な姿勢による「失われた1カ月」の間、村民は被曝し続けた。

飯舘村前田地区区長であり、福島県酪農業協同組合の理事(当時)であった長谷川健一さんは、その立場から行政の対応のあり方、医療現場の対応など、原発事故を取り巻くさまざまな不可解な出来事を見続けてきた。村民の避難後も氏は村の見回りを続け、そして日本国内のみならず世界をも回りながら、福島の現状、そして人々が気付かねばならぬ不可解な事象の在りようを語り続けている。

震災から2年、福島第1原発で使われていたウランの輸出国という因縁を持つオーストラリアの地を長谷川さんは妻の花子さんとともに踏むことになった。ピースボート共同代表の川崎哲さん、メルボルンの平和団体Jf Pの松岡智広さんとともに、ウラン輸出国としての国のあり方をもう1度考え直してもらうきっかけとして、福島の現状を訴えながら各地を巡る予定なのだという。

2013年3月11日、シドニーを中心に活動する被災地支援団体「レインボー・プロジェクト」代表・平野由紀子さんの協力の下、日豪プレスではシドニーでの講演を目前に控えた彼らに集まってもらい座談会を開催。今、私たちが向き合わねばならないさまざまな問題について貴重なお話を伺った。

福島県内に蔓延する行政・医療への不信感

─ 今日でちょうどあの忌まわしい震災の日から丸2年。何が変わり、そして何が変わっていないのか、思うところをお聞かせください。


牛の刹処分は身を削られるようにつらかったという

長谷川「震災から1年の間はいろいろな出来事が立て続けに起こりました。中でも本当に辛かったのは、育ててきた牛を屠殺しなければならなかったこと、そして友人が自殺してしまったことです。『原発で 手足ちぎられ 酪農家』という書き置きを残し、できたばかりの新しい牛舎で首を吊ったんです。しかし、当時はそれらを1つ1つ振り返っていられないほどいろんなことが同時に起こった。そういう意味では今は落ち着いています。しかし、事故が起きて放射能が飛散しているという根本的な状況は何も解決されていません。私は、自分の地区の放射線量を月に1度計っていますが、1年前の線量と比べ、今の方が高いという場所がいくらでもあります」

─現地の医療に関しても不信感がぬぐいがたいと聞いています。

長谷川「きっかけは震災後、長崎大学から派遣された福島県立医科大学の山下俊一教授です。彼は『年間100ミリシーベルトを浴びても問題ない』『放射能の害はくよくよする人に来る』『放射能の害はタバコの害よりも少ない』などと言って、県民、村民を安心させていました。そんなわけないだろうという声はもちろん当時から多かったですが、その後、福島県内の子どもたち400人以上の甲状腺に異常が出たと発表がありました。しかし、2次検査は人手が足りない、機材が足りないなどといった理由で受け入れられず、その後4人が甲状腺がんになりました。彼はこれに対し、『原発事故との因果関係はない』としています。『チェルノブイリでは4年経ってから影響が出た、今はまだ2年だから因果関係はない』と言うのです。しかし、別の先生によると『4年後に急増したのは確かだが、放射能については感受性があり、チェルノブイリでも1年後から出たというデータがある』とのこと。真実は分かりませんが、恐ろしいのはそういうことがすべて隠されており、それが公然と行われていることです」

─ 行政や医療への不信感を感じながら、また将来への不安を感じながらもそこに住み続ける。そこにはやはりいつか元の生活が戻ってくるという希望があるからなのでしょうか。

長谷川「村は国に早急な除染を求めています。原発は国策でやってきたものだから、国の責任においていち早く除染してもらうのは当たり前。しかし、それで本当に帰れるようになるのか、と私は疑問に思います。帰りたい、戻りたいという思いはもちろんありますが、現実を良く見た方がいいと思います。ですから、村を離れるということも1つのシミュレーションとして計画を立てるべきだと思います。将来、画期的な方法ですべてを解決できればその時には計画を破棄すればいい。私が恐れるのは、国が日数と膨大な予算を除染に費やし、大きな線量低下は見られなかったとしても、『OKです。戻ってください』となること。そんな状態で若い人、子どもたちを戻すわけにはいかないし、実際、私の長男夫婦・孫は戻る意思はないと言っている。老人だけが戻ったところで村に未来はあるのでしょうか」

原発をなくす

─原発推進、原発ゼロなどの議論がさまざまなところで今も行われています。誰もが少なからず、恩恵をこうむっている面がある現状、すぐさまゼロにするのは難しいという意見もあります。

川崎「誰もが少なからず恩恵を被っていたという言い方はやや乱暴でしょう。事故は福島で起きましたが、原発自体は東京電力のもので電力は東京に行っていたわけです。同じエリアには東北電力の火力発電所があって、東北エリアにはそこから電力が供給されています。原発の電力の恩恵を被っていたのは東京の人、しかし被害を被ったのは福島の人だった。そういう意味で言うと、福島第1原発は地元に恩恵をもたらしたというよりも逆の存在だったのではないかと思います。原発をゼロにするのは難しいと言いますが、実際、この2年間はほとんど原発なしでやってきています。昨年の5月に稼動数が0になり、それから2基が再稼働しましたがそれだけです。大飯原発も定期検査に入るのでまたゼロになります。今の世論の状況、政治の状況を考えればそう簡単に再稼働はできないと思います。数機の稼働はあるかもしれませんが、問題があれば節電するなどといった対応で夏を2回越せている。現実が原発なしの社会に近づいているのではないでしょうか」

長谷川「国も電力会社も言っているのは、原発が止まることによって、燃料費が上がるということ。それによって電気代が上がると脅しをかけていますが、それは電力業界、経済界、国の策略に近いと思います。以前、ガソリンの値段が100円から120円に上がった時に騒ぎになりましたが、今では150円を越している。しかし、皆騒ぐことなく、燃料をあまり使わない小さな車に変えたり、外出を控えるなど、各自が努力することで対応しています。電力に対しても同じことができるはずです」

松岡「自民党政権でも民主党政権でもそうだったんですが、やはり原発というのは結局企業や政府にとっては経済問題なんです。再稼働の一番の理由は電力不足ではありません。ではなぜ再稼働を急ぐかというと、今の電力システムの構造では、原発を動かさないと電力会社が財政的に苦しくなるからです。止まり続けることで財政を限りなく逼迫してしまうという状況がある。電力会社は半官半民みたいな構造であり、国も電力会社も原発を止めたくない。国民の命や利益とは乖離した所で物事を考えているわけです。残念ながら自民党政権になって、原発再稼働の姿勢が強くなっているのは確かですが、民主党時代でもこうした経済構造が電力会社や政府を動かしていました。だから、今回の長谷川さんのように被害を受けた方の実態を明らかにし、その声を海外の人にも知ってもらって国内だけではなく、国際世論として広げて行くことが重要だと思っています」

日本国内の報道

─日本人はよく忘れやすい民族だと言われていますが、現在の国内の雰囲気、そして報道はどのような様子なのでしょうか。

長谷川「当時は私が講演を行う会場にはマスメディアが必ずやって来ていました。しかし、今はほとんどいません。仮にインタビューを受けても載ることはほとんどありませんし、マスコミはもう報道する気がないのではと思ってしまいます。核燃料に関する問題も過小に扱われているような気がします。地元紙は引き続き報道をしていますが、距離が離れれば離れるほど、原発関連のニュースは少なくなります。あの事故はもう終わったことになっているというような錯覚にたまに陥ります」

川崎「私も近いことを思います。東京にいても、福島の報道はまあ聞かないですね。原発をどうしたらいいか、と誰かに質問すれば7〜8割の人はなくした方がいいと言いますが、福島で実際、今何が起きているかということに関する情報はどんどん薄くなってきています。実際、長谷川夫妻は今でも仮設住宅に住まれておりますし、事態は継続中なんです。それを知らないことは危険です。これ以上忘れると、原発とも何とか共存していけるのではないかという意見がぶり返してくる気がしますね」

松本「距離に従って関心が薄れるという意見はまさにその通りだと思います。年始に福島に行った際、福島の人たちが一番憤りを感じていることは、『忘れられてしまうこと』だと言っていました。『食べ物、子ども、将来の出産。皆、不安を抱えて生きているのに私たちだけ取り残されてどんどん忘れられている気がする』と。実際に東京で原発の話をすると、社会問題に関心が高い人物でも、日常生活を普通に送っている中で、『もう食べ物は以前ほど注意していない。まあ大丈夫でしょう』となってしまっている。日本のメディアが注意喚起としての役割を果たしていないからこそ、こうして海外で声を上げ、取り上げてもらうことが重要だと思っています」

─こちらのローカルのメディアに取り上げられることも多いのですか?

松岡「もちろん取り上げていただいています。ですが、気になるのは海の向こうの遠い所で起こっている出来事として取り上げられること。そこにオーストラリアが関わっているという印象が皆無なんです。オーストラリアのウランが福島第1原発で使われていることは政府も認めたわけですし、政府は今後もウランを供給し続ける方針です。それどころか輸出拡大、採掘拡大の動きは2年間で大きくなっています。しかし、そういった当事者意識が全くない。そこに憤りを感じますね」

世界の原発産業を支える国、オーストラリア

─ウランの輸出国でありながら、自国に原発はない。オーストラリアはそうしたねじれた構造の中にいますが、そのあたりについてご意見をお聞かせください。


反核運動の際にシドニー市内に掲げられた横断幕

川崎「オーストラリアはウランを採掘・供給している国であり、採掘現場では多くの先住民族の人々が健康被害で苦しんでいると聞いています。採掘し、輸出していくというのは、世界中で原子力産業が拡大して行く前提に立ってのことだと思うんですが、福島の事故によって、世界全体の原発産業の趨勢は不確実な方向に向かっています。その中で、その前提は成り立たない。現実的に考えても新たに採掘を行う、輸出を拡大する路線はそもそもおかしいし、輸出を止めようという運動も大きい。そういう議論が、福島の被害に遭った人々が声を上げることで活発になってほしいと思います。また、今オーストラリアではインドへのウラン輸出の解禁が議論の的になっていますが、これも大きな問題です。インドは核拡散防止条約に加盟しておらず、民生用のプログラムと軍事用のプログラムの境界線が非常にあいまいです。そういう国にウランを輸出することは核兵器を増産することを手伝ってしまう側面があります」

松岡「輸出問題の前に採掘の問題がありまして、この採掘自体も先住民の反対を押し切ってなされています。例えば、今回長谷川さんとともに訪問するレンジャー鉱山。こちらは1980年に採掘を開始したのですが、これまでに何度も放射性物質が漏れるなどといった環境問題が起きています。ですが、そこに関心がいかない。なぜかというと人が住んでいない場所だからです。雇用効果も非常に少なく、資源産業の企業と投資家の短期的利益のためだけのものにもかかわらず、オーストラリアという国は資源産業が強い国なのでこういうことがまかり通ってしまいます。そんな中、現在、原発推進派が声を出し始めている。『原子力も選択肢として考慮すべきだ』と現在の労働党の資源大臣も言っていました。これは安心できない状況だと思うんです。だからこそ、なおさらインドへのウラン輸出解禁は非常に大きな問題だと思います。川崎さんもおっしゃったように核拡散防止条約に加盟していない核保有国に対してのウラン輸出というのは、軍事と民政の境界性が問題になります。インド自身が核保有国へ至った経緯というのはカナダから発電用に重水炉を輸入したことに端を発しています。しかし、それを悪用し核兵器を作ってしまった。民生用のはずの原発を悪用し、核開発した歴史を分かっているのにオーストラリアは輸出を解禁しようとしているわけです。日本もオーストラリアもアメリカの同盟国ということで、核の傘の下にいるという意味では、核兵器廃絶に関して実は積極的ではありません。被爆国なのに核兵器廃絶に積極的ではない。市民は積極的であっても政府はそうではない。こういうところから見えてくるのは平和利用といってウランを輸出するのは欺瞞なのではないかということ。平和利用と言っていても、いったん事故が起これば戦争被害と一緒です。そこに対する意識がオーストラリアという国にはない。日本の原発産業と同じで経済問題になってしまっているわけです。そこはしっかり掘り返していかなければならないと思っています」

オーストラリア在住の日本人に伝えたいこと

─最後に、オーストラリアに住んでいる日本人に伝えたいことがあればお願いします。

川崎「原発問題でもオーストラリアと日本は密接につながっています。この機会にそれを理解し、お互いがいい選択をできるようになってほしいと思います。日本とオーストラリアは再生可能エネルギー分野で協力ができると思うので、そういった視点から役立つ情報を日本、そして福島に情報を送っていただければありがたいと思います」

松岡「日本人は原発事故の被害者ではありますが、特にオーストラリア在住日本人が忘れてはいけないのが、日本はオーストラリアからウランを買い続けてきたこと。福島第1原発以降も日本企業がオーストラリアのウラン採掘事業などに新たな投資をしているケースもあります。先住民も反対しているウラン採掘という面から見れば、実は日本には加害者的な側面もある。それを忘れないでほしいと思います」

長谷川「ウランの恐ろしさを隅々まで伝えたい。私はそういう想いで活動しています。ふるさとを無傷のまま次の世代に残すことはそこに生きるものの責務ですが、福島の場合はそれができなくなった。これを大きな教訓としてオーストラリアの人にも知ってもらいたいです」

座談会では最後に長谷川さんの奥様、花子さんにもメッセージをお願いした。花子さんは控えめに、しかし確信を持った声でこう続ける。

「私はふるさとを追われました。その経験から思うこと、それは第2の福島を作っては絶対にいけないということです。だから皆さんにも私たちの置かれている状況を知っていただき、そして未来に役立てていってほしいと思っています」

シドニーでの講演を終えた彼らはその後、ブリスベン、キャンベラ、ダーウィン、カカドゥ国立公園を巡った。カカドゥ国立公園では、レンジャー鉱山地域の先住民の代表のイボンヌ・マルガルラさんや、隣接地域クンガラの代表で、つい先日国立公園組み入れを勝ち取りウラン鉱山開発を阻止したジェフリー・リーさんと面会。長谷川夫妻もたいへん充実した旅を送られたという。

「一番つらかったのは牛を処分しなければならなかったこと、そして友の自殺でした」

長谷川健一
福島県飯舘村の酪農家。飯舘村前田地区区長。福島県酪農業協同組合・元理事(現幹事)。福島第1原発の事故により、全域が「計画的非難区域」に指定され、仮設住宅生活を余儀なくされる中、住民がいなくなった村の見回りを続けている。村で起きたさまざまな悲惨な出来事を記録し、日本国内はじめ世界各地でその体験を語り続けている。

 
「原発への依存を減らし、
いずれゼロに向かわねばならない流れは既にできている」


川崎哲
国際交流を目的にボランティア・スタッフを募り、世界クルーズや国際協力活動を展開する平和団体ピースボートの共同代表。震災発生後、津波の被害に遭われた人々の人道支援、原発被害の実態を世界の人々に伝える活動を行っている。2012年1月、および11月には脱原発世界会議を開催。

 
「日本もオーストラリアも核兵器廃絶に対して積極的ではない点で共通している」

松岡智広
環境破壊や武器製造など、平和を脅かす企業を調べる社会的責任投資分野の投資アナリストであり、メルボルン在住の日本人有志が中心の平和活動グループJapanese for Peace(JfP)メンバーの1人。オーストラリアに住む日本人という立場から、日本の原発問題、オーストラリアのウラン採掘問題の関連性を掘り下げている。

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