ルポ:シリーズ・原発問題を考える⑩
被災地の子どもたち、電力会社の言い分
──電力会社・元社員に聞く(中編)
取材・文・写真=馬場一哉(編集部)
「実は今福島から子どもたちが来ていて、今夜お別れ会を行うんですよ。馬場さんも来ませんか?」
8月9日、福島県の子どもたちをシドニーに招致するなど被災地への支援活動を行っている「レインボー・ステイ・プロジェクト」代表の平野由紀子さんから連絡をいただいた。突然のお誘いだったが、近場だったこともあり都合を付けて参加することができた。会場にはたくさんの食べ物や飲み物が用意されており、福島から来た子どもたちは皆興奮した様子で会場内を動き回っていた。
「約1週間の滞在で子どもたちの表情や態度は目に見えて変わった」と日本から子どもたちを引率したレインボー・ステイ・プロジェクト日本事務局代表の木島正博さんは語る(11、43ページに関連記事)。
「到着後、すぐにボンダイ・ビーチを訪れたんですが、それまでおとなしかった子どもたちの顔がパッと輝いたのが印象的でした。真冬で水は冷たかったんですが、皆びしょびしょになるまで遊びました。プロジェクトの後半はブルー・マウンテンズのカトゥーンバにある保養センターに滞在。ブッシュウォーキングや、森で枝や土を拾って小屋を作ったりしました。福島では子どもたちは森にも入れず、土や落ち葉にも触れられない状態ですからひさびさの自然の中での遊びを心から楽しんでいたようです」
今回シドニーを訪れた子どもたちは、福島で被災し、現在も避難生活を余儀なくされている子たちである。記者はその実態を伝えるべく、彼らにインタビューをしようと思うのだが、故郷を離れ、つかの間の楽しみを享受している彼らに、どうして敢えて記憶を掘り起こさせるような残酷なことができよう。逡巡していた記者に木崎さんは言う。
「あまり意識しない方がいいですよ。そういうのは子どもたちも感じますから」
そして、木崎さんに同席してもらう形で何人かの子どもたちから話を聞くことができた。前号からのインタビュー「元・電力会社社員に聞く」の続きに挟み込む形になるが、今回はまず子どもたちへのインタビューを紹介したい。
佐藤貴士くん(貴)、友紀ちゃん(友)兄妹は自宅が津波で流され、現在もまだ、県の借り上げ住宅に住んでいるという。
──津波が来た時にはどこにいたの。
友 ちょうど学校の帰りで津波が来たところは実際は見てないの。
貴 でも後で家がなくなってるのを見て本当にがっかりした。
友 学校帰りで、家にも帰れなくて最初はお兄ちゃん「お父さん、お母さん、死んじゃったかも」って泣いてた。
貴 言うなよ…。
佐藤貴士くん(10歳)、友紀ちゃん(9歳)の兄妹。津波で家が流されてしまい、現在は福島県いわき市小名浜岡小名に避難中
──2年経って避難生活も慣れた?
2人 慣れた。
──楽しい生活を送れてる?
2人 うーん。──2人の将来の夢は?
友 ケーキ屋さん!──貴士くんは?
貴 僕はお父さんの会社を継ぐ。お父さんの仕事は海にもぐって工事をする仕事で、お父さんはそこの社長をやってるんだ。お父さん、去年は原発のある海にももぐったんだ。その時は心配だった……。
──貴士君が社長になったらまた遊びに来てね。次は夏にぜひ。こっちではサンタクロースが真夏のビーチに来るんだよ。
2人 えー、すごい!海にサンタさん!?
──そう。クリスマス・ツリーを見上げながら皆が半そで半ズボンなの。
友 あはは。海だとプレゼントぬれちゃうね〜。
福島第1原発にほど近い双葉郡に住んでいた伊藤真弓ちゃんは事故後、新潟に転校した。しかし、転校先の学校で黒板のチョークの粉が舞った時にクラスメイトが「放射能だ!」と騒ぎ、それに傷付き学校に行きたがらなくなったという。今は福島県に戻ってきている。
──津波が来た時は?
真 学校の音楽室にいたよ。
伊藤真弓ちゃん(11歳)。避難先の新潟県の学校で「放射能」をネタにからかわれ、トラウマに。福島県郡山市小原田に避難中
── 学校もおうちも原発から近いんだよね。
真 分かんない。ふふふ。
──将来の夢は?
真 ないよ。だってまだ6年生だもん。大人になってから決めるよ。
まさに「箸が転がってもおかしい年ごろ」という表現そのままに、彼女はインタビュー中、終始笑いころげていた。しかし記者は、話をはぐらかす時の微妙な表情の変化から、彼女が時に本当は心では笑っていないこともまた感じ取っていた。もしかしたら、彼女は話したくない時ほど、悲しい時ほど、笑ってやり過ごしてきたのかもしれない。
子どもに罪はない。子どもは守らねばならない。彼らの心のケアに大いに貢献しているレインボー・ステイ・プロジェクトの活動を記者はこれからも暖かく見守っていきたい。
原発推進国・日本
さて、以下前号に引き続き、元・大手電力会社社員へのインタビューの続きを紹介していこう(前回、前・後編とお伝えしたが、次回まで3回にわたって紹介する)。子どもたちを取り巻く上記の状況、そして一方で、原発を止めることのできない経済の論理。あまりにも土俵の違う話題を1つに内包してしまうこの巨大な問題に記者は、時に絶望的な気持ちになる。だが、事実を知り、1歩ずつ少しでも先に進むしか道はない。あきらめるわけにはいかないのだ。(代替エネルギーに関する質問のくだりより)
──代替エネルギーの研究も、もちろん進んでいるわけですから、最終的には原発への依存からは脱却するのではないでしょうか。
「立場によって変わりますが、電力会社は原発ありきですね。原発、火力は死守ですよ。電力を使う量は日中は高く、夜は低いんです。電源のベストミックスとして低い部分のベース供給力としては原発を稼働させる必要がある。そこをしっかりと確保した上で、ピークの部分を火力や水力で調整するというのが規定路線です」
──ただ、今はそこも火力でやっているわけですよね。
「だからコスト高になっていて、企業としてはやっていけないんです」
──しかし、長い目で見た時に原子力を捨てるという選択はやはりあるのではないでしょうか。
「いや、それはないです。原発をやめる気はないですね。例えば浜岡原発1つ取っても、そんな気があれば、あんな20メートルもの防潮堤を作ったりはしないですよ。なぜ大金をかけて作るかと言うと、裏には浜岡を動かすという目標があるからですよ」
──しかし、たとえ廃炉にするにしてもその間危険であることに変わりはない。どちらにしても防潮堤は安全のために必要なのでは。
「そんなことはあり得ないですよ。廃炉にするために何千億円もかけたりしません。東京スカイツリーと関連商業施設の建設費に匹敵する事業費で壁を建設しているんですよ。廃炉を前提にそんなにお金をかけることはあり得ないです。間違いなく稼動ありきです」─
─でも、あのエリアの危険性は分かりきってます。
「おっしゃる通りですが、あの周りの市町村にはあまり産業ないので、生活するためには補助金をあてにせざるを得ない。ですから賛成派が少なくないんです。仮に反対派が立候補してもなかなか受からない。リスク対策に関しては、福島が完全に想定を超えてしまったので、それを新しい基準にしてやっているわけです」
──そういう意味だと福島の事故の教訓は生きているとも言えますね。福島の事故は安全神話が崩壊した瞬間でしたから。
「人間が作った建造物だから絶対はないです。自然が一番ですよ」
──日本では今後、再稼動はあるにせよ、さすがに原発自体を推進していくような流れはなくなるでしょう。しかし、一方で、日本も輸出をするであろうトルコやインドなど原発推進を目指す国も少なくありません。そのあたりの世界的なトレンドはどうなるとお考えですか?
「環境問題と同じでしょう。先進国が原発で裕福になり、その後危ないからやめるべきと言ったところで、途上国からすれば、これまでさんざん富を得てきたにもかかわらず、われわれは富を享受してはいけないのかという言い分になります。原発が危ない、作るなと言われても、途上国にしてみれば原発を作らないと発展できない。事故が起きれば止めましょうとなるけど、痛い目に合うまでは分からないですし、やりますよ」
──日本がすごいなと思うのは、広島、長崎、福島という傷口があってなお、原発を推進しているところですね。
「日本国というのは自民党が作ってきており、基本的に原発推進国ですからね」
(次号に続く)