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【原発】それぞれの3.11──日系コミュニティの活動報告

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ルポ:シリーズ・原発問題を考える⑯

それぞれの3.11

──日系コミュニティの活動報告

 世界有数のウラン輸出国として原発産業を支えつつ、自国内には原子力発電所を持たない国オーストラリア。被ばく国であるにもかかわらず、狭い国土に世界第3位の原発数を誇る原発大国・日本。原発を巡る両国のねじれた構造を、オーストラリアに根を張る日系媒体が取り上げないのはそれこそいびつだ。ルポ・シリーズ「原発問題を考える」では、原発を取り巻くさまざまな状況を記者の視点からまとめていく。
取材・文・写真=馬場一哉(編集部)

東日本大震災の発生からいよいよ3年が経った。事態はゆるやかに推移しているが、大勢としては結局、何も解決していないというのが実情だ。そんな中、一見すると、事態は確実に前進していると見せかけているのではないかと疑ってしまうような報道があった。3月25日付毎日新聞によると「東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示の解除予定地域で昨年実施された個人線量計による被ばく線量調査について、内閣府原子力被災者生活支援チームが当初予定していた結果の公表を見送っていた」ことが分かったという。非難解除予定地域の住民の帰還を妨げかねない高い数値が出たため、「関係者間でインパクトが大きい」などの意見が出たためだという。

実際に出た数値のデータに合わせて帰還の時期の調整などといったことならば、避難生活を送っている人にとっては残念なことではあるが自治体が真摯に住民の健康を考慮しながら帰還できるタイミングを伺っている姿勢と見ることができる。

しかし、記事によると「調査結果は、住民が通常屋外にいる時間を短く見積もることなどで線量を低く推計し直され、近く福島県の関係自治体に示す見込み」とのこと。

これが事実であるならば、帰還時期ありきで数字を調整していることにほかならない。記者が持っているのは記事ベースでの情報に過ぎないため、これ以上は私見をはさまないが、いずれにせよこういう問題が起きている。「原発事故」にとって3年とはそういうことが起こり始める時期ということだ。3年という時間は地球規模の未曾有の大震災にとっては全く短く事態はほとんど動かないが、一方で、人々の気持ちにとっての節目としては大きい。この3年という節目にシドニーの日系コミュニティーはどのような動きをしたのだろうか。

支援者の意識の高まり

福島の子どもたちを1年に1度シドニーに呼び、日ごろのストレスを発散してもらうというボランティア活動「レインボー・ステイ・プロジェクト」を主催している平野由紀子さんは有志とともに3.11の直前の週末に映画上映会を開催。上映された映画はアメリカ人の若いボランティア・ジャーナリストが作成したドキュメンタリー「3.11 Surviving Japan」(クリストファー・ノーランド監督)だ。

「監督が普通の日本人だったら躊躇するような質問をどんどんしていく点が見応えありました。ポジティブな映画ではないですが、国外に住んでいるとなかなか見えてこない日本の政府や自治体の対応に驚きの連続でした」(平野さん、以下同)


反核団体ウラニウム・フリーNSWはマーティン・プレイスで折り鶴・キャンドル集会を主催(提供:Uranium Free NSW)

その後、11日の当日にはレインボー・ステイ・プロジェクトも参加している「ウラニウム・フリーNSW」主催によるシドニー市内マーティン・プレイスでの折り鶴・キャンドル集会が行われた。世界中でキャンドルをともして、その写真とメッセージを1つのウェブサイトに投稿する形で東北の人たちにエールを送ろうという活動の一貫として行われた。

「まず、マーティン・プレイスで一般の人たちに参加を呼びかけました。40人くらい集まりましたね。その後、キャンドル集会をパーラメント・ハウスの前で行いました」

1年目、2年目は、大きな会場を借り、ゲスト・スピーカーを呼ぶなどのイベントを行ってきたが今年は少し規模を縮小したという。だが、2年間の活動の成果が現れたのか、草の根的には1〜2年前よりも多くのことが行われているという実感があったそうだ。

「レインボー・ステイ・プロジェクトとして大きな活動はしませんでしたが、たくさんの人々が3.11にからんだチャリティー活動をしてくださいました。あるヨガ教室では3月中のレッスンの半額をレインボー・ステイ・プロジェクトに寄付するチャリティー・ヨガ教室を開催してくださいました。進学校として名高いノース・シドニー・ガールズ・ハイスクールでも募金活動をしてくれました。レインボー・ステイ・プロジェクトは1年目は見向きもされませんでしたが、今は認知され始めている気がします。東北のために何かをしたいと思っていながらも寄付する先に困っていたという人が多かったのだと思います」

実際に福島の子どもたちがシドニーに遊びに来ることを支援する。何に使われるか分からない寄付よりも、実際に彼らの笑顔を見ることで役立っていることを実感として感じられるのが大きい。

「皆さんの気持ちはまだまだ風化してないと感じます。ただ、逆に気がかりなのは、福島の人々が周囲の盛り上がりに反比例するかのように元気を失い始めているように感じられることです」

1年、2年は生きることで精一杯だったが、3年経てば何かが大きく変わっているという期待があったのかもしれない。しかし、3年経っても汚染水の問題は解決の兆しを見せず、復興も遅々として進まず、避難生活は終わりが見えない。

「このまま政府にも社会にも取り残され、私たちはただの犠牲者のままで終わってしまうのではないか」

彼らがそう思ってしまったとしてもおかしくないと平野さんは言う。

「どんな災害にも共通することのようですが、3年目というのは自殺者が一番出る時期だそうです。3年目に前向きな兆しが見えないと気持ちがすさみ、その後5〜10年の間に現状を受け入れられるようになるというのが一般的なサイクルのようです」


豪日協会主催イベントで登壇された高岡正人・在シドニー日本国総領事


ピーター氏の活動は3年目の節目に合わせてTBSでも放映された


豪日協会代表のフィリップ・ミッチェル氏も東北の人々への思いを熱く語った

汚染水対策および被災地の復興をどの程度前向きに動かしていけるか。正念場の年になるに違いない。

日豪の絆

3.11当日には豪日協会主催による、東北地方でチャリティー・ウォーキングを行ったピーター・ギブソンさんの講演会が行われた。当日、会場には高岡正人・在シドニー日本国総領事も駆けつけ、日本政府の復興作業の進捗を説明し、その後ピーターさんの講演が行われた(ピーターさんの活動は2013年12月号の当連載参照)。

講演後、高岡総領事は「ピーターさんの話に感激しました。被災地の皆さんと経験を共有されたことは本当にすばらしいし、ありがたいと思います。改めて震災について思いを馳せるとともに、オーストラリアの方々の日本に対する深い友情を感じることができました」と語った。

また、豪日協会代表のフィリップ・ミッチェル氏も「ピーターさんのように被災地の人々とパーソナル・コネクションを築くのは素晴らしいこと。オーストラリア人と日本人には絆があります。オーストラリア人は東北の人々を忘れないし、これからも勇気付けていきたい」と話してくれた。

日本から遠くオーストラリアの地にも東北の人々を応援している人々がたくさんいることを、ぜひ被災地の人々にも知っていただきたい。それが少しでも彼らの糧になるのならば、微力ながら本紙も彼らの活動を紹介する形で協力していければと思う。

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