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「被災者のメンタル」─原発問題を考える⑲

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ルポ:シリーズ・原発問題を考える⑲ 拡大版

「被災者のメンタル」

──宮城県出身ジャーナリスト・村上和巳氏に聞く(3)

 世界有数のウラン輸出国として原発産業を支えつつ、自国内には原子力発電所を持たない国オーストラリア。被ばく国であるにもかかわらず、狭い国土に世界第3位の原発数を誇る原発大国・日本。原発を巡る両国のねじれた構造を、オーストラリアに根を張る日系媒体が取り上げないのはそれこそいびつだ。ルポ・シリーズ「原発問題を考える」では、原発を取り巻くさまざまな状況を記者の視点からまとめていく。 取材・文・写真=馬場一哉(編集部)

被災地の視点、電力会社の視点、支援活動家の視点などさまざまな角度から原発問題にフォーカスをあててきた当連載では、前々号よりさらに視点を新たにし取材者の立場から原発問題にアプローチしている。震災より3年、今でもライフ・ワークの一貫として被災地、そして東京電力への取材を続けるジャーナリスト・村上和巳氏の声を前回に引き続きお届けしていく。

被災者の精神面での変化

「被災地とひと口に言ってもその性格は大きく2つに分かれます。1つは津波被災地、もう1つは原発被災地です。津波被災地というのはおおまかに言うと天災という自然現象によって作られたものです。そういう意味で津波被災地の人々は怒りのやり場がない。怒りよりも悲しみが大きく、取材中に感極まる方もたくさんいます。かつて私は戦場を取材してきましたが、被害に遭った方はストレートな怒りを表しました。戦争の場合、敵がいるから怒る対象がいます。しかし、津波被災者には怒る対象がない。3年間を経て諦めに近い感情を持っている人が多いように感じています。思ったように復興が進まない中過ごした非常に長い3年間だったのだと思います。しかし、その中でも前向きな方はたくさんいますし、こちらが勇気付けられることも多々あります。

一方で原発被災地には怒りをぶつける対象があります。それは東京電力であり政府です。また、風評被害にもさらされていますね。そのため、怒りの矛先があっちこっちに向かいます。そんな中、強制避難の方と自主避難の方の間に軋轢が生まれることも少なくありません。強制避難を強いられている福島第1原発近辺に住んでいた方々が『あんたらが原発を受け入れたからこんなことになった』などと詰め寄られたこともあるようです。原発被災地の方々はあちこちに神経を使わねばならず、さらに自分たちの生活が見えてこない。非常に疲弊しているなと感じます。それに加えて東電からの賠償金を当てにしたセールスなど有象無象が群がってくる。仮設住宅の人たちの電話番号リストが漏れているのではないかなどという話も一部にはあります。そういう意味で外部の人に対して根強い不信感を持つ人が年々増えているような気がしています」

果たして「帰還」はできるのか


村上氏が被災地で撮影した写真群。本来、生活感のあるシーンだが、そこに誰1人人間が写っていない

「津波被災地の場合は元の場所に戻るか、集団移転かという選択肢になります。東北には昔ながらの習慣で結婚した奥さんが嫁ぎ先の実家で暮らすケースも少なからずありますが、海側の地域に住んでいた男性がそのエリアに戻って暮らしたい一方で奥さん、子どもが海が怖いと行って戻りたくないなどといった家族間での軋轢なども出ているようです。

しかし、大きな問題は原発被災地です。戻ろうにも戻れませんから。私は半径20キロ以内の旧警戒区域、計画的避難区域のすべてが、人が生活できない地域であるとは思っていません。低線量被爆も問題にならない低線量のレベルのところもあります。ですが、物理的に戻れるということと、そこで生活していくということは別次元のことなんです。人間は家が健全で、かつ電気・ガス・水道が通っていれば生活できるかというとそうではない。日常、普通に暮らしていると意識をしませんが、近くに病院や学校、買い物ができる商店、そういうものがそろっていないと生活ができないんです。人だけが戻ってもそれらが機能していなかったら生きていけない。そのため、戻っても生活ができないというケースは多いと思います。

3年目になって思うのは、避難区域を同心円状に半径20キロに定めたのは本当に正しかったのかということ。空間線量だけ見るとほとんど変わらない近くのエリアでも一方は普通の生活が営まれ、一方は機能していないなどといったケースが現れています。1度避難が決まった地域は、それだけでレッテルが貼られますし、住民は心理的な怖さを抱きます。震災直後の判断はたしかに難しかったでしょうが、あの指示は本当に適切だったのかなと思います。でも、元に戻すのは不可能に近い。除染や減衰により帰れる地域はあると思いますが一度壊れてしまったコミュニティーはそう簡単に回復しません。ただ、それでも帰れない地域がある。それは事実だと思います」

震災後の社会変化に関して

「社会の変化はまさに原発問題に端を発するものに終始しますね。1つには食の安全。福島県産の農産物はすべて危険だという言い方をする人もいます。しかし、私は福島産の食べ物を買うようにしています。農産物の安全性を考えた時には当然西日本の方が安全なのは自明でしょう。一方、東京の場合は流通を考えると東北や東海からくるものが多い。その中でなぜ福島産かというと、福島県産のものの方が原発の問題が起きたことで放射線検査の検出限界値がほかの県よりも低めで、なおかつ検査のサンプル数が多いからです。それに加え、生産者がより敏感に気を使い努力している傾向もあります。つまり、合理的に考えたら福島のもののほうが安全性が高いということになります。福島は農産物が危ないという人には逆に問いたいですね、何が根拠かと」

東京も危ないという噂は本当なのか

「たしかに一時期、放射性プルームが東京にも降り注いだということは分かっています。ですが、今現在の東京が危険というのは行き過ぎた物言いです。東京東部のホット・スポットなどは局所的なものですし、セシウム134、ヨウ素などは減衰も早いですから。東京が危険かといえば私は断固ノーですね。今でも東京が危険ということで、ウェブ上でさまざまなことを書かれている方がいますが、都合よくデータを切り貼りしています。なぜそこまでしてあおるのだろうかと私は思います。原発に賛成なのか、反対なのか、その立場は人それぞれです。私は事故前、原発は必要悪だと思っていましたが、今現在はそうは思いません。ただ、反対の立場の一部がその主張のために非常にラフな議論をしているのを見ると、『あなたがたこそ脱原発社会への最大の障害』と言いたくなります。

最近、福島の大熊町などに置かれている除染で生じた汚染土入りフレコンバッグを仮置きしている写真を私のツイッター上でアップしたのですが、その写真がリツイートされ、その中に『いずれこのフレコンバッグの山は地平線まで続くだろう』と書いた人がいました。私は、あなた、それを望んでるの?とうんざりしましたね。現実的に考えて日本の地平線すべてを埋め尽くすわけないでしょう。そういう極めて非論理的な感情論をぶつけられると、え?ってうんざりすることがよくあります。

もちろん放射線が安全とは言いませんが、過剰に反応して人に不快感を撒き散らして、データを都合よく出している人を目にするといい加減にしてほしいと思いますよ。3年経つと被災地の人々もそれなりの覚悟を持っていますし、福島は全域が危険だから避難しろと騒ぐような人ほど無知ではありません。いまだにそういう人を見ると残念な気持ちになります」

東京電力

「東京電力への取材を続ける中、率直に彼らに抱いた印象は非常に保守的で、そして非常に独特な企業ということです。私はかつて医薬関係の専門誌で企業取材を行っていたため、さまざまな企業の広報担当に会いましたが、東京電力は広報部員が100人くらいいるにもかかわらず、のんびりしており当事者意識が薄い印象がありました。私が取材をしてきた製薬系の企業はほとんど医者を相手に販売している会社でB to Bです。東京電力はB to Cで本来であれば感度は高いはずなのでびっくりしました。かつての東京電力は殿様商売をしており、広報もそういう体質だったのだと思います。しかし事故後、われわれフリーの記者にも対応しなければならないなど、フレキシブルな受け入れ態勢を取るようになったのは進歩かもしれないですね。彼らも変わろうとしていますが、社会が東京電力に要求している変化の速度に全く追いついていないという感じは受けますね」

私たちの生活を支える作業員のたゆまぬ努力

「福島第1原発の元緊急時避難指定区域に事故後、作業員の収束拠点ともなっているビジネス・ホテルができたんです。近辺の取材でそこに泊まると、除染作業の方、収束作業の方をはじめ関連の方々にお会いするのですが、彼らの朝食は朝の4時半くらいから始まるんです。作業の際に陽が高くなると全身防護服なので動きにくくなるからだそうです。一般の人が寝ている時間に起きて、人によっては朝食も取らずに出て行きます。冬ならまだ真っ暗な時間帯です。そういった方が数千人単位でいるんです。

私が特に非被災地の方に知ってほしいのは皆さんがゆっくり寝られている時間に起きて、事故の収束に向かっている人がいるということ。そのおかげでわれわれは何とか暮らしていけているのです。それを時々でいいから思い出してほしい。以前もお伝えしましたが、首都圏の電力の一部は今も福島県の広野火力発電所によって供給されています。今も東京は福島の電力に支えられている。その事実を忘れないようにしてほしいです」

(了)


提供:「震災以降」(三一書房)

東電の体質──村上和巳

震災以来、とにかくストレスがたまる取材現場が1カ所だけある。福島第1原発事故を起こした東電の定例会見だ。私が会見に参加するようになったのは、2012年6月からだが、当時の会見は平日の夕方の週5回、13年からは月、水、金の週3回となっている。

会見では福島第1原発の事故収束作業について説明するため、一般人なら一生に1度も耳にしないだろう珍妙な用語が頻出するのだが、ストレスの原因はそこではなく自らの責任はすべてのらりくらりの官僚答弁を繰り返す東電の対応そのものだ。

代表例が福島第1原発1〜3号機タービン建屋内地下に溜まった汚染水の海洋流出問題。同原発の1〜3号機は水素爆発などで原子炉格納容器や圧力抑制室が損傷し、格納容器の底に溶け落ちた燃料の冷却水は高レベルの放射線を含んだまま漏れ出し、最終的に隣接するタービン建屋に汚染水として溜まっている。東電側はこれをくみ上げてセシウム吸着装置にかけ、タンクに保管をしている。

従来からこの汚染水がタービン建屋で滞留中に海洋へ流出しているのではないかという懸念があった。というのも、タービン建屋地下周辺は毎日1,000トンもの地下水が海に向けて移動し、このうち400トンが今回の地震で亀裂が生じたタービン建屋地下擁壁から内部に流入していた上にタービン建屋から海側へは電線などを通すトレンチという横穴もあったからだ。

13年3月には東京海洋大学の神田穣太教授が福島第1原発付属の港湾内の海水中のセシウム濃度が事故後一定期間低下しておらず、汚染水の海洋流出の可能性が高いと指摘している。当時会見ではこの件に関して東電の尾野昌之・原子力立地本部長代理がその可能性を完全に否定していた。

流れが変わり始めたのは同年6月19日。2号機海側にあった観測用井戸から1リットル当たり約500万ベクレルとい高値のトリチウムが検出された一件だ。しかし、東電は事故直後の11年4月に起きた2号機取水口付近で流出した汚染水の一部が地中に残留していたとの見解を示したにとどまった。

この後、監視体制強化のために周辺に数多くの観測用井戸を掘られるが、そこから採取される水の放射性物質濃度は次から次に過去最高値を更新。原子力規制委員会からも海洋流出の恐れを指摘されたが、前述の見解は変わらず。記者会見では「数値的にどのレベルまで達したら海洋流出と判断するのか」と問われても「データを蓄積して注意深く観測を続けていきたい」を繰り返すのみだった。

私自身も13年7月3日に東電福島復興本社とのテレビ会議システムによる会見で小野明・福島第1原発所長に「海洋流出の蓋然性は高まっているのではないか」と質問したが、「データがまだ少ないので、データを蓄積していきたい」と型通りの返答だった。

だが、7月22日になって東電は海洋流出を認めた。この時東電既に内部で海洋流出の可能性は十分認識していたものの、漁業関連の風評被害に対する不安や懸念があり、リスクを積極的に伝える姿勢よりも、最終的な拠り所となるデータや事実が出るまでは判断を保留すべきとの考えが優先されていたと公表し、謝罪した。要は自分たちが非難を浴びるのを先送りにしただけだったのだ。

この事例は最も典型的な彼らの態度を表しているが、それ以外でも会見内では記者の質問に答えられず「確認いたします」は毎度のこと。この確認も質問した記者が黙っていれば結構な割合でナシのつぶて状態になる。私自身、過去に福島第1原発構内に設置されている汚染水貯蔵タンク設置場所の地盤強度データについて会見で3度尋ねたがいずれも「確認します」で打ち切られ、後日東電が原子力規制委員会に提出した資料の中にひっそりとそのデータが記載されているという具合。「由らしむべし知らしむべからず」的な態度がその根底にあるのだろうと疑わずにはいられないのが実態である。

また、記者会見の在り方も次第に変貌をしている。13年からの週3回への変更理由を東電広報部側は「個別に聴取した一部のメディアのご意見を踏まえて会社として判断させていただいていたもの」と説明した。このことが発表された12年12月21日の会見では、私を含め何人かが決定プロセスが不透明と詰め寄ったが、前述の答えを繰り返すのみ。

最近の会見では「当日説明した内容以外の質問は終了後のぶら下がりでお願いしたい」との要望も口にしている。福島第1原発の収束作業は1〜6号機まで多岐にわたり、その時々で説明される内容は異なる。東電側の意向に従えば、過去に行われた作業は該当のする内容が再び発表されなければ質問は許されないということになる。

この要望の背景を考えるなら1つには会見時間の短縮が考えられる。一般的な記者会見と違って東電の定例会見は質問が出尽くすまで続くのが慣例で、会見時間が2時間超になることも珍しくない。

もう1つは中継との兼ね合いだ。会見はニコニコ動画とインディペンデント・ウェブ・ジャーナルでリアルタイム中継され、東電側が何に答えられないのか、どんな時に口ごもるのかもそれ見れば一目瞭然だ。だがいずれにせよそれは加害者の身勝手な自己都合だ。10万人を超える避難者が発生し、負の歴史として刻み込まれることが確実な過酷事故を起こした東電にそれが許されるのか。

かつて政財界の上位に君臨し、肩で風を切ってきた東電は現在、表面上低姿勢を保っている。しかし、最近のその様子を眺めていると、かつての「傲慢の牙城」に日に日に戻ろうとしているように見えてならない。

※本記事は村上氏が「震災以降(三一書房)」に執筆した記事を提供いただいたものです


村上和巳───ジャーナリスト
宮城県亘理町出身。専門は国際紛争、安全保障、医学分野など。著書に『化学兵器の全貌』『大地震で壊れる町、壊れない町』、共著『戦友が死体となる瞬間─戦場ジャーナリストが見た紛争地』など。最近は東日本大震災に専念。震災関連の最新刊共著『震災以降』(三一書房)。

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