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オーストラリアの歯科事情~前編~

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興味があるもの何でもリポート!
BBKの突撃・編集長コラム 不定期連載第17回


歯医者は歯が痛くなったら行くというのでは実は手遅れ。数カ月に一度でも予防をかねて行くことが、結果的にはコストも低く抑えることができる(写真はイメージ)

オーストラリアの歯科事情を探る
〜前編〜

子どものころ、矯正歯科医がミスしたことで僕には根が半分溶けてぐらついている歯が1本ある。大人になるころには抜けると言われていたが子どものころからその歯は使わないことを徹底し続け、その結果今でも現役選手として活躍している。そんな経験もあり、歯に対する関心は比較的高いほうだったが、5〜6年ほど前に行ったある仕事をきっかけに僕は歯について非常に詳しい人間になった。今回、思うところあり前後編にわたって歯科事情について書いていこうと思うが、まず僕が歯を強く意識するようになった経緯から書いていきたい。

大学生当時、スキー狂だった僕は、就職に際し、大好きな文章を書くことを仕事にしながら、一方でスキーも本気で続けていける何かうまい方法がないものかなど超絶わがままなことを真剣に考えていた。その思いはスポーツ系の雑誌やムックを発行する出版社でスキー雑誌の編集記者として働くことで実現した。冬になると数カ月にわたり雪山での取材に明け暮れ、夏には海外のスキー・リゾートで取材という贅沢な日々を送っていたが、まあ雑誌の編集記者の仕事というのは不規則で、徹夜仕事も多く、同僚と外で飲んで帰社して仕事を再開し、昼に家に帰ってまた夜に出社するなどめちゃめちゃな状況も少なくなかった。その時期、歯も磨かずにバタンキューとなることも多かったし、何より当時、僕はバリバリのヘビー・スモーカーで(今はノン・スモーカー)、さらに1日何杯もコーヒーを飲むというステレオタイプな編集記者像そのままの生活をしていた。

5年ほどキャリアを重ねたころ、もっと広い世界をのぞいてみたいという次なる思いが高じ、専門誌という見地からではなく広く世の中を見渡しながら情報発信する立場を目指し、あるニュース系ウェブサイトの編集記者に転職した。上司や先輩方に高名なジャーナリストも多く、僕はそこでジャーナリズムの基本を学んだわけだが、一方でそのころの僕は毎日大量のウーロン茶を飲むことにはまっていた。体内の脂を流してしくれるという効果に着目したのだが、どうやらこれが蓄積されてきた歯の着色を思い切り顕在化させてしまったらしい。ある日、鏡で歯を見ると全体的に茶色く変色しているように見えたのだ。このころから僕は歯の着色や汚れを強く意識するようになった。歯が着色していると恥ずかしくて大きく口を開けて笑えなくなるなど、コミュニケーション面でもいろいろと不具合があるからだ。歯医者に通ってホワイトニングなどを始めたのはこのころだった。

その後、同社は親会社の鶴のひと声で開業からわずか数年でビジネスを閉じることとなった。名物編集長の鳴り物入りで話題になった会社だったが、社員のほぼ全員が編集者・記者という偏った布陣でビジネス・プランがしっかりと練られていなかったため、資金回収できる見込みが立たなかったためだ。

窮地は良き転機というわけで今度はメディア業界でのお金儲けの仕組みをしっかり学ぶことを目的に広告代理店に入社。広告ビジネスをベースに、媒体自体の制作も社内で請け負えばいいという考えで編集制作部門を立ち上げそのまま同部門のリーダーとして広告営業、編集制作の2足のわらじで奔走した。そんな中、ひょんなことから世界的に有名な「歯科材料会社」から1,000万円近い広告費をもらうとともに、大手出版社名義の「歯の専門誌」を制作するという仕事が舞い込んできたのである。

その専門誌は、歯列矯正やインプラント、ホワイトニングをはじめとした審美を中心に、先端歯科技術を紹介しながら、歯のきれいな芸能人へのインタビューや有名歯科医の紹介、歯に関するQ&Aといった内容を織り交ぜながら作った。

自身、もともと歯列矯正の経験があり、またホワイトニングも何度か行ったことがあるなど興味を抱いていたこともありかなりの量の取材を行った。いったい何人の歯科医師を取材しただろう。見知らぬ専門用語の意味をどれほど調べたろう。当時はまださほど話題になっていなかった3Dプリンターによる歯の模型作りの現場訪問などコアな取材も行った。

160ページにわたる紙面の制作を1人で請け負っていたことから僕はほぼ3カ月、取材と制作活動に奔走し続け、結果、「めちゃめちゃ歯に精通している編集者」という珍しい称号を手に入れた(ちなみに同じような経緯からほかにもいくつかの業界に通じているが、それはまたの機会に)。

さて、そのような経歴からある程度、歯科事情に関して僕が書く内容も信用してもらえるのではないかと思い、かねてよりオーストラリアの事情について大きく特集してみたいと思っていた。しかし国が変われば事情も大きく変わる。実際にこちらの歯科事情をきちんと記事にするには時間をかけたリサーチが必要なので、今後のためのとっかかりとしてまずはコラムで書いてみたいと考えた。そこで日豪の歯科事情にどのような違いがあるのか、長年シドニーで開業している歯科医師に突撃インタビューを試みることにしたのだ。

歯科技術はオーストラリアのほうが上!?

今回訪問させていただいた歯科医は、シドニー大学歯学部で最初の日本人卒業生であり、シドニーで長年にわたり歯科業を営んでいるR先生だ。早速「こちらの歯科技術のレベルはどうなのでしょう?」と伺う。すると先生は勢い良くレクチャーしてくださった。

「歯学に限ったことではないですが、一般的に日本では大学に入るまでは大変ですが卒業自体はある程度努力すればできるというイメージがあると思います。しかし、こちらの大学は卒業するのがなかなか難しいという側面があります。サティフィケートをもらう段階が、イコール自分の仕事に責任を持てる段階とみなされており、卒業したらすぐに1人前とされる。そのため、在学中に、失業者など困っている人を無料で診察することで実地をしっかりと経験させられることになります。日本では実地に関しては卒業後、実際の医院で勤務しながら学ぶのが慣例なのでそこは大きな違いです。最終学年の5年生では自分が実際に1人の患者の担当として治療方針を考え、患者が治療に来なくても大丈夫な段階まで受け持つことになります」

日豪の歯科医師の教育課程のどちらが良いかということに関して簡単に語ることはできないが、先生の話を聞くに、少なくともキャリアをスタートさせる時点での技術レベルに関しては、実地の経験を早く持つオーストラリアの方が高いというような印象を受けた。続いて、先生は自身が学んだ当時の経験からオーストラリアの歯科医師への門戸について話を続ける。

「今はさらに狭き門になっていると聞きますが、当時もかなり狭かった印象があります。シドニー大学を例に挙げますと、例えば入学人数が120人であっても卒業生用の椅子は60人分しかなく、自動的に落第する生徒が出てくるような状況でした。卒業生のうち半数は前年以前の落第生が占めるため、現役でそのまま卒業できる生徒は1/4程度。同じ学年を2回落ちると退学、同じ科目を2回落ちてもアウト。授業のスピードも早く、1時間の授業で教科書の1小節すべてが終わります。1教科を10時間で終えるので自分でもしっかり勉強しないと全く追いつけません。こうした状況は歯学部に限らず、ほかの学部も概ね同じです。以前、日本の大学の授業を受けたことがあるのですが、その時は結構のんびりとした印象でちょっとびっくりしました」

過去、僕自身が大学生だったころの周囲を思い返すと理系の友人たちは実験やリポート作りにいつも追われていた印象があるが、それでもある特定の短い期間に限定されていたような気がする。仮に先生の言う差異が日豪間の教育現場の常態化した違いなのだとすれば、実際の歯科医のレベルに差が出てくるという可能性は大いにある。

また、別の観点から見るとオーストラリアは歯科に関して保険診療がなく、一度の診療で大きなキャッシュが出ていくため、患者が医師を見極める目が日本より厳しいということは言えるだろう。

「それだけに卒業後すぐに1人前として稼げるようになるためには自身の腕を高めるしかありません。学校で根本的に叩き込まれる内容が、技術、知識が一定以上ないと卒業できないことははっきりしているので卒業時点ではオーストラリアのほうが物理的な面で技術が高い人が多い可能性があります。ただ、日本は例えば携帯電話市場でもガラパゴス携帯など高いレベルで独自の進化を見せるなど、独自の個性を見せるので、結果的にどちらがいいかということは簡単には言えないですね。ただ、英連邦では客観的にオーストラリアの歯科医は技術が高いとされ、どこでもすぐに従事することが可能とされています。また、絶対数が少ないので競争率が高く人気があるということは言えますね」

ちなみに日本の歯医者がオーストラリアで従事する場合は仕組み上、学校に入り実地を改めて経験する必要性が生じるそうだ。あくまで仕組みの問題であるが、例えば発展途上国の歯科医であれば1年生からやり直さねばならないことを考えると優遇されていると言っていいだろう。

さて、僕自身かつては歯に対して大いにこだわっていたとはいえ、来豪からのこの3年間、不安定な生活が長かったこともあり歯のケアもかなりおろそかな状況を続けてきてしまっている。近いうち一度予防のためにクリーニングと検査を兼ねて行ってみようと思う。というわけで、次回は保険制度などさらに深堀りした話に入って行きたい。

<プロフィル>BBK
2011年シドニー来豪、14年1月から編集長に。スキー、サーフィン、牡蠣、筋子を愛し、常にネタ探しに奔走する根っからの編集記者。齢30後半♂。読書、散歩、晩酌好きのじじい気質。

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