長年、シドニーの日系コミュニティーで活躍し、現在はNPO団体の理事として貧困国の若者支援を行う山口正人さんが現在、シドニーを発ちポーランドでウクライナの難民支援のボランティアを行っている。山口さんから届いた現地レポートを紹介する。
<プロフィル>
山口正人
高島屋・大阪支店、パリ支店勤務などを経た後来豪。1987年オーストラリア経営大学院経営学修士号取得。ウエストパック銀行、ドミンゲス・バリー・サミュエル・モンタギュー証券を経た後、日本ブレーンセンター・オーストラリアを設立。2014年、貧困国の若者の教育を支援する非営利団体「World Scholarship Organization」を発足、理事長に就任。著書に2万部のベストセラーとなった『自分がいなくてもまわるチームをつくろう!』(明日香出版、2008年)など
ロシアがウクライナに2022年2月に侵攻してから早6カ月以上が経ちました。ウクライナでの悲惨な映像やニュースを見ていて大変につらい思いをしているウクライナ難民の方々に何かできないものかと私も考えました。そこでウクライナ難民を400万人受け入れているポーランドでボランティアをする決心をし、8月4日にポーランドンの首都ワルシャワに入りました。いくつかの難民支援センターでボランティア募集の問い合わせをしましたが、ウクライナ語、ポーランド語、ロシア語ができない私はワルシャワではボランティアを見つけるのは難しいことが分かりました。
そこで毎日平均2000人が通過すると言われているポーランドとウクライナの国境の町メディカ(Medyka)に行くことにしました。私のレポートはメディカとその隣の大きな町プジェミシル(Przemysl)のボランティア体験レポートです。
ちなみにポーランドの人口は3800万人、そしてウクライナの人口は4400万人。ウクライナから国外に避難した難民は600万人と言われ、そのうち約400万人がポーランドに避難しています。
ポーランドとウクライナの国境の町プジェミシルでウクライナ難民の支援ボランティアを最初に始めました。そこではワルシャワやドイツやチェコ、カナダ、英国に行くウクライナ人難民支援のために無料の電車やバスが用意されています。この街に留まるウクライナ難民はほとんどいません。そして多くのボランティアはウクライナ人の若者です。
ウクライナ難民の多くは女性と子どもで数多くの重たい旅行かばんを持って来ます。プジェミシル駅にはエレバーターがないので多くのボランティアの仕事は荷物運びが中心です。
私がボランティアをしにバスで通っていたメディカは人口2800人の国境の村。そしてホテルがあったプジェミシルという町の人口は約6万人、歴史のある古い町です。
旅行かばん
ウクライナとポーランドのパスポート・コントロールのある町、メディカでボランティアを始めました。そこには世界中からの多くの支援団体が来ています。国連の難民支援団体やユダヤ人団体、ロシア人団体、キリスト教団体などです。ウクライナ語、ロシア語、ポーランド語ができないので私ができるボランティアは平均4~5時間待ちのパスポート・コントロールが終わった後のウクライナ難民の重たい旅行かばんを運ぶことだけです。それでもウクライナ難民の皆さんが少しでも楽になればと思い頑張りました。
半年前にポーランドやドイツやチェコに難民としてやむなく避難された方たちが、少し安全になってきたウクライナ西側地域に戻り始めています。その理由は女性と子どもだけを、とりあえず生命を守るために国外に避難させたものの、言葉の問題や仕事、慣れない生活、そしてご主人やご両親や友人から離れていることによる孤独や不安に耐えられないというものです。ポーランドにいた400万人の難民のうち200万人はすでにウクライナに帰国したとのことです。
そして、ウクライナ難民支援ボランティアを始めて11日目。数日前より腰が痛み右足にしびれが出てきたためボランティアを中断して腰の様子を見ることにしました。昨年、腰痛で一時期歩けなくなったこともあったので様子見です。ユダヤ人収容所があったアウシュビッツのあるクラコフに行き、休養させてもらいました。休養のかいあって少し腰が楽になりました。
復帰の際、改めてワルシャワ中央駅(日本で言えば東京駅)のウクライナ難民センターでボランティアの申し込みをしたところ、メディカでのボランティア実績が評価されたためか、ウクライナ難民のカナダと英国への英文での申請手続きアドバイスのボランティアのオファーをもらいました。これからボランティアに行ってきます。どんなボランティアなのか楽しみです。