シドニーから車で約3時間、ジャービス・ベイ内陸部の田舎町で始めた自然と共存するライフスタイル。オーストラリア移住当時から願い続けた田舎暮らしで、ユーカリの木々やカンガルーに囲まれながら、南半球の生態系や文化の「今」と「これから」を考える。(文・写真:七井マリ)
落ち葉と薪ストーブの季節に田舎暮らしを開始
森の間をゆるやかに伸びるハイウェイから蛇行した田舎道に入り、タイヤが小石や小枝を跳ね上げる軽快な響きを聞きながら車の窓を開ける。頰をくすぐる冷気に、草木や土のにおいに混じってほのかに香る薪ストーブの煙は、ブッシュの奥に点在する民家からだろう。
道沿いに並ぶユーカリの樹冠がはるか頭上で触れ合う緑のトンネルが途切れた所で、十数頭の野生のカンガルーが草を食む平地を横目に、乾いた土埃のドライブウェイを上がる。車を降りるとすぐに近づいてきた平飼いの3羽のニワトリは、人間がおいしいものを持っていないと分かるとさっさと諦めて草の茂るほうへと行ってしまう。
シドニーから南下すること約200キロ、サウス・コーストと呼ばれる地方部に移り住んだのは南半球の秋。朝掃いたレンガ敷きの小道を色とりどりの落ち葉や花びらが再び埋め尽くし、干している洗濯物の上にも乾いた葉が舞う。
ヘビやマダニに用心しながら草地で足を止めれば、聞こえるのは鳥の声と虫の羽音、そしてほんの時おり木の幹から剥がれた樹皮や枯れ枝が地面に落ちる音だけだ。人の話し声も車のクラクションも隣人宅のテレビの音もない。黙って草を咀嚼(そしゃく)していたワラビーの親子は、人間の気配に驚いて一目散に跳び去っていく。
この世界は動植物が生活を営む場で、人間も彼らと同じように巣を設ける生物の一種にすぎないことを、ここでは頭で考えずとも実感しやすい。そんな感覚と共に生きたくて、田舎に住むことを決めたのだ。
オーストラリア移住からの「ツリーチェンジ」
10年以上前、旅行で初めて訪れたオーストラリアの生態系の豊かさや人びとと自然との距離の近さに心惹かれた。カラフルな野生のオウムに巨大なトカゲ、日本とは形の違う海岸線や山の尾根、老いも若きも日常的にブッシュ・ウォークを楽しむオージーの姿。毎日の暮らしをこんな国で送れたらと強く願ったことが、日本からのオーストラリア移住の起点だった。
最初に腰を落ち着けたシドニーはかつて住んだ東京のように人が集まる都会ではあったが、電車にすし詰めになることはなく、近所のカフェのコーヒーを片手に始まる1日はずっと穏やか。いつか緑の濃い田舎に移り住むイメージを抱きながら都心まで20分のアパートメントにパートナーと住み、ビーチや緑地でリラックスして過ごすシドニーらしい週末にもそれなりに満足だった。田舎暮らしは私たちにとって夢でも憧れでもなく、数年後に控えた現実的な「予定」だったが、住む地域などの細部はまだ決めずにアイデアを話し合うことを楽しんでいた。
そんな日常に大きく揺さぶりをかけたのは、2020年にオーストラリアでも始まった新型コロナウイルスのパンデミックだ。生活様式が一変し、ロックダウンが敷かれると一時は公園でのんびりと時間を過ごすこともできなくなり、州境や国境をまたぐ移動には長らく制限がかかった。完全なる在宅ワークに移行した生活の中、アパートメントのバルコニーで育てていた果樹やハーブをいっそう手塩にかけ、近隣で見つけた鳥や虫を図鑑で調べる小さな楽しみが、私と将来の田舎暮らしとをつないでいてくれる気がした。
今なおパンデミックは比類ない深さの傷を世界中に与えているが、それに伴う暮らしの変化が、ふと立ち止まって従来の価値観を点検する時間を私たち人間にもたらしたのも事実。家族と過ごす時間が増え、人生のあり方を問い直すきっかけを得た人もいる。通勤を伴わない「ワーク・フロム・ホーム」が常態化し、都市部で暮らす必然性から自由になった人もいる。
オーストラリアも例外ではなく、ロックダウン以降に地方部の住宅や土地の人気が上がっているというニュースを何度も目にした。もちろん都会の便利さは今もって多くの人の心を捉えているが、田舎の海辺に生活拠点を移すことを「シーチェンジ(sea-change)」、山や緑豊かな田舎へ移ることを「ツリーチェンジ(tree-change)」と呼ぶ小さな潮流も生まれた。
この時はまさか自分もとは思わず、イメージしていた田舎暮らしはもっと先のこと。しかし、もともと当時の居住地を選んだ理由の1つだった公共交通が車両トラブルで運行を停止し、再開予定が1年以上先となったことで事情が変わってきた。更に、為すすべもなく続いていた近隣からの騒音や、パートナーの仕事の状況の変化も重なり、自分たちを取り巻く環境に背中を押されるように転居を考え始めた。せっかく引っ越しをするのであればより望む条件に近い環境へ、と地図上で見知らぬ地名を辿りながら考えを煮詰めるうち、立ち現れてきたのはバルコニーや小さな庭付きの都市型の住まいではない選択肢だった。
信号もない田舎町のブッシュ・プロパティー
東京の中心部から200キロというと静岡や新潟、福島辺りだが、シドニーから200キロ離れてもやはり著しい景観の変化に目を見張る。ただ、オーストラリアにおける距離の感覚は日本のそれとはやや異なるようだ。国土の広大さに対して人口が少ないオーストラリアでは日本と比べると1つひとつの街が小規模で、こぢんまりとした都市部を出発すればあっという間に住宅ばかりの郊外に、そしてすぐに緑の多い田舎へと景色が変わる。国内で最も人口の多い都市シドニーからでも、1時間も車を走らせれば広大な国立公園エリアに差し掛かり、その一部では携帯電話の電波も弱いことがある。
シドニーから車で約3時間のサウス・コーストに位置するジャービス・ベイという大きな湾は、まばゆく白い砂浜と水晶のように透き通った海が旅行者にも知られている。しかし、そこから数十分離れた内陸部の私の住むエリアでは、どちらを向いても目に入るのは樹木や草地ばかり。店らしい店は片手で数えられるほどで、信号もないくらいの田舎町だ。それでも幸い衛星インターネットを使う必要はなく歩ける距離に隣家の敷地があるので、田舎であっても僻地(へきち)ではなく、オーストラリアの田舎暮らし初心者には程良い環境だろう。
オーストラリアでは灌木(かんぼく)の茂みから高木の雑木林までをひとまとめに「ブッシュ(bush)」という便利な言葉で表現し、田舎によくある面積の一部ないし大部分を手つかずの自然林が占める土地をブッシュ・プロパティーやブッシュ・ブロックと呼ぶ。私が暮らすのもそのタイプの場所で、端まで見渡せないほど広いブッシュの一角に住居と庭がある。
ブッシュの自然は移りゆく季節そのもの
部屋でパソコンから顔を上げれば、窓から見えるのは草木が作り出す陰影だけ。そこに色彩を足すようにコマドリやミツスイが飛び、カンガルーやワラビーが跳ね、アカシアやユーカリの花が咲いては散り、雨が降って木々の芽を濡らす。一瞬たりとて同じ景色はなく、日が昇ってから沈むまでの移りゆく季節の一刻一刻を見逃さない方法がないことが惜しい。どうすればこの美しい調和を失わずに、同じ世界の中で人間も生きていけるだろうか、と考える。
日没の頃、ニワトリを小屋に入れる。光を失い始めた空は、ブッシュの向こうに幾重かに連なる稜線をぼんやりと青く滲ませ、その境界線を曖昧にしていく。周囲に街灯も家や車のライトもないため、夕食の頃にはもう外は自分の手足も見えないほどの暗さ。黒々とした空を仰げば、想像していたよりたくさんの星が輝く砂粒のように散らばっている。夜目の利かない人間の知らない世界の鳥や虫が鳴き、ポッサムなどの夜行性の小動物が屋根の上を走り回るが、自然界の音に驚きはしても耳障りには感じないから不思議だ。
寒い日には室内の薪ストーブに火を起こす。空気が乾燥しすぎず風が穏やかな日なら、外で小さなキャンプ・ファイヤーを囲むこともできる。ユーカリなどの木々から落ちた枝や倒木がいつか乾いた季節に森林火災の燃料になってしまわないように、その一部を集めて目の届く安全なところで燃やしつつ暖を取るのだ。
朝、起きて最初に鳥のさえずりを聞く。晴天の日に複数種の群れが鳴き交わす声はのどかというよりにぎやかだ。寝室の窓の外に見える濃い緑は朝露で濡れ、レース細工のようなクモの巣が陽光を受けてきらめいている。
著者
七井マリ
フリーランスライター、エッセイスト。2013年よりオーストラリア在住