バイリンガル・セクレタリー/セクレタリーの“ヒショヒショ話”

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第8回:バイリンガル・セクレタリー

 大学4回生になり、就職する時が来て、一体何をしたいのか考える必要があった。「バイリンガル・セクレタリー」という職業を聞くようになった、1980年代後半の日本でのことである。日本語と外国語を使って、役員の秘書業務をする仕事。もともと、大使館勤務が希望だった私にとって、英語を使って仕事ができて、会社経営・組織運営のマネジメントの補佐として関われる「バイリンガル・セクレタリー」という職業がとても魅力的でやってみたいと思うようになった。

 大阪で勤務した外資系ビジネス・コンサルティング会社では、社内文書や海外支店とのやりとりは英語であったものの、上司は日本人だったので普段の仕事はほとんど日本語だった。だからある意味では、バイリンガル・セクレタリーとは言えないかもしれない。

 シドニーの日本企業でのセクレタリーの仕事も、社長は東京本社から駐在員として赴任した日本人であったため、日本語での仕事が多かったが、やはりそれでもオーストラリアにある会社、地元の観光業界の人びととのやりとりは英語だった。私のポジションの募集広告も「バイリンガル・セクレタリー」で、私がこの仕事を始めるまで、このポジションはずっとオーストラリア人だったが、何の支障もなく仕事をしていた。

 そんな私の仕事に大きな変化が訪れたのは、2010年にオーストラリア連邦政府金融庁で働き始めた時であった。私は役員秘書(タイトルはEA)として雇われ、上司はオックスフォード大学卒の統計学博士、イギリス人のスティーブ。当たり前の話ではあるが、全てが英語。いつのまにかバイリンガルを超えて、100%英語のみの環境に入ってしまった。そこでの仕事は、何もかもが言葉によるコミュニケーションで成り立っていく。文化背景も、考え方も違う者同志が、チームとして1対1で働くことになってしまったのだ。

 日本人同士なら分かって当たり前のことも、スティーブには何もかもちゃんと言葉で説明しなければならなかった。時には、「どうしてそう思う?」や「言っている意味が分らない」、「イエスなのかノーなのか、どっちだ」とあまりのダイレクトな表現に私は傷つくことが多かった。

 上司をファーストネームで呼ぶのも初めて。「はいはい」でなく、自分の意見をしっかり言わなければならないのも初めて。何もかもが違った環境で働くことになってしまった。

 金融庁職員650人、入庁以来日本人職員は私1人だけ。おかしな話であるが、こんなに日本人らしくない(?)私の振る舞い全てが「日本人は……」と注目を集めていた。日本を代表するかのごとく、また留学生時代のように、日本人として決して恥じることのないよう、何事も一生懸命頑張っていくしかない私であった。

ミッチェル三枝子

ミッチェル三枝子

高校時代に交換留学生として来豪。関西経済連合会、マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社に勤務。1992年よりシドニーに移住。KDDIオーストラリア及びJTBオーストラリアで社長秘書として15年間従事。2010年からオーストラリア連邦政府金融庁(APRA)で役員秘書として勤務し、現在に至る

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