第86回 法廷侮辱罪について
太平洋諸島のフィジーで、著名弁護士に法廷侮辱罪の容疑がかけられています。判事が誤って “injection” (注射)という言葉を使用してしまい、それを揶やゆ揄した弁護士が訴えられ法廷闘争にまで発展しているというお話です。
フィジーの現法務長官が、次期選挙でそのポジションを狙っている著名弁護士(私人)を法廷侮辱罪で訴えたことで争いが勃発しました。このケースは民主主義と司法の独立性、法支配の重要性と密接に関わっており、豪州弁護士連合会によって「豪州の司法行政にも影響を及ぼす可能性がある」と発表されているように、一連の法廷論争は豪州でも注目されています。
問題の発端となった“法廷侮辱罪”とは、例えば、裁判所員や判事に向かって大声で侮辱的な言葉を浴びせるなど、裁判所の権限、尊厳を故意に無視し、反抗的あるいは無礼な態度をとったことに対する罪です。政府は特定のルールを設けて、法廷侮辱罪となる具体的な行為を示しています。法廷侮辱罪で罰することは、裁判所が行う最も深刻な処置と考えられます。
もし裁判の進行が妨げられれば、特定のケースだけでなく世間一般的に、裁判所の役割、権限が害されることから、この罰則は司法行政を守るために存在します。司法制度は裁判所の独立、公平性の上に成り立っているので、その進行を妨げようとする者を深刻に罰する必要があるのです。
法廷侮辱罪につながる行為は、法廷内でも法廷外でも起こり得ます。例えば、法廷内で侮辱的な言葉を大声で叫ぶ、ジャーナリストが進行中のケースに関して法廷外で先入観や偏見のある記事を書く、など。また、裁判所命令の不服従も侮辱とみなされることがあります。公表が禁止されているにもかかわらず、裁判所が出した特定命令の詳細をブログに書いてしまう、などがその例です。その他には、裁判所に提出する書類を不正に作成するといった訴訟手続きの悪用も侮辱罪に問われることがあります。
司法制度の基盤につながる法廷侮辱罪の刑罰は厳しく、12カ月の懲役と/あるいは最高1万2,000豪ドルの罰金が科せられます。更には、判事が懲役に関して「侮辱が消えるまで」といったように刑期を自由に決めて良いケースもあり、その場合、裁判所命令に従うまで、または裁判所に対して深く謝罪し、将来的に裁判所命令に従うことを約束するまで、となることが多いです。
裁判所は、裁判所やそこで働く人たちの尊厳を傷付けたり、裁判所の独立性を妨げたりする行為から守られるべきです。しかしこれは、裁判所が非難を受けるのを逃れられる、という意味
ではありません。
もし裁判所が一般大衆の激しい怒りを買うような判決を下したとしたら? 例えば強姦犯は懲役3カ月、一方で自転車泥棒は懲役3年、といった場合、メディアはそれに対する市民の怒りを報道してもいいことになっています。
偏見のない公平な裁判になるよう、出版・公開には十分に気を付けなければなりません。刑事事件の判決が出るまでの間、容疑はあくまでも“審理中”です。メディアによる特定情報の公開によって裁判の公平性が失われないよう、容疑者の前科などの公開は禁止されています。
さて、話はもとに戻りますが、南国のビーチ、トロピカル・パラダイス、イージーゴーイングといったイメージのあるフィジーで、問題の法廷侮辱罪は一体どのような経緯で発生したのでしょうか。
今年2 月、フィジーで最高レベルの法律事務所のトップ弁護士N a i d u 氏は、フィジー最高裁判所の判決文にスペル・ミスがあったこと(“ injunction=強制命令”であるべき箇所が“injection=注射”になっていた)をFacebookに投稿しました。Naidu氏は“おそらく判事たちは、あらゆるコロナ・ワクチン接種キャンペーンをシャットアウトする必要があるのでは? 差し止め命令の請求者が求めているのは、注射ではなく裁判所命令ですからね”とコメント。裁判所が犯した単純なスペル・ミス、タイプ・ミスを揶揄
したのでした。フィジー法務長官であるSayed-Khaiyaum氏はこれに対し、Naidu氏を法廷侮辱罪で訴えました。
ある意味、この法廷侮辱罪の一件は笑える話でもあるのですが……。しかし豪州は、最も重要な太平洋同盟諸国の1つであるフィジーでこうした問題が起きていることを懸念しています。裁判に法務長官が勝てばNaidu氏は投獄されるかもしれません。例え罰金刑で収まったとしても、11月に行われる政治選挙への立候補資格を喪失する可能性もあります。現法務長官Saye d-Khaiyaum氏の政治的敵対勢力がNaidu氏であり、過去数年間にわたって2人が互いを批判し合っている状況はよく知られています。
フィジーは、英国による約100 年の植民地支配を経て1970年に独立しました。政治形態は豪
州同様、ウエストミンスター・システムという議院内閣制を採用しています。
豪州弁護士連合会は、政府に対する批評・批判を消す方法の1つとして、この法廷侮辱罪が有効なのではないかという観点から、フィジーで起きているこの問題に注目しています。
ミッチェル・クラーク
MBA法律事務所共同経営者。QUT法学部1989年卒。豪州弁護士として30年の経験を持つ。QLD州法律協会認定の賠償請求関連法スペシャリスト。豪州法に関する日本企業のリーガル・アドバイザーも務める。高等裁判所での勝訴経験があるなど、多くの日本人案件をサポート