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ご存知ですか? ローマ・カトリック協会に叙せられた豪州唯一の聖人・メアリー・マキロップ─マーベラス・メルボルン

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第65回 聖人メアリー・マキロップ─マーベラス・メルボルン

フィッツロイにあるメアリーの生家

 メアリー・マキロップは、ローマ・カトリック教会によって叙せられた唯一の豪州の聖人である。

 メアリーはメルボルン市の誕生と同じ1842年にメルボルン近郊のフィッツロイに生まれた。両親は英国スコットランドからの移民で、40年に結婚して8人の子に恵まれた。父アレクサンダーはカトリック教会の普及に努力したが、金鉱山などの事業は全て失敗して、家族は困窮した。

 メアリーは家族を養うために、16歳でコリンズ通りの文具店で働き始めた。18歳から2年間、南豪州ペノーラで大地主である叔母夫妻の子どもたちの住み込み教師をして、近隣農家の貧しい子どもたちの教育を始めた。

メアリーが活動の拠点としたペノーラ。クナワラ・ワイナリーで有名

 20歳の時にビクトリアのポートランドに移転し、全寮制の学校を開校。24歳で妹のアニーとレキシーと共に、50人の子どもたちを集めてカトリック教会学校を開いた。メアリーは神への献身を誓って黒い服を着用し、女子修道会「人生のルール」をアデレードに開き、修道女の清貧、独立自尊、個人所有の否定、神が与えた仕事への献身など厳しい規律を掲げた。

 71年には130人以上の修道女がメアリーの元に集まり、南豪州、クイーンズランド・ブリスベンなどで40を超える慈善学校や組織を設立。また、アウトバックや地方に住む貧しい子どもたち、親がいない子ども、危険にさらされている少女に教育を与え、弱者の救済、貧しい高齢者への福祉施設を作った。小作農など低所得者層が対象で、豪州の全ての植民地で多くの信者を得た。

 ところが、メアリーの女子修道会に立ちはだかったのは、既得権益を侵害されたと考える男性カトリック司祭たちであった。彼らは主に富裕層からの寄付金によって豪華な教会組織を維持しており、厳しい規律を守り貧者を対象とする女子修道会を敵視した。司祭たちはメアリーの女子修道会をカトリック教会から破門し、クイーンズランドや南豪州から追放。学校は閉鎖された。

 多くの信者から学校や施設の再開を託されたメアリーは、ローマに向かい教皇に面会。教皇ピウス9世はメアリーに活動を続けるよう鼓舞し、女子修道会を教団として認可した。豪州に帰ったメアリーに賛同する各地の司教も増え始め、活動は豪州全土、ニュージーランドなどへ広がった。

 メアリーは1909年にシドニーで他界したが、多くの敬愛を集め、聖人の候補に推薦された。そして2010 年10月17日、バチカンのサンピエトロ広場でベネディクト16世教皇によって「Saint Mary of the Cross」として聖人に叙せられた。

中央がメアリー。1890年に撮影された

このコラムの著者(文・写真)

イタさん(板屋雅博)

イタさん(板屋雅博)

日豪プレスのジャーナリスト、フォトグラファー、駐日代表。東京の神田神保町で叶屋不動産(Web: kano-ya.biz)を経営。

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