オーストラリアの田舎で暮らせば②ニワトリを飼う意味とフリーレンジの卵

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 シドニーから約200キロ南、サウス・コーストの内陸部で始めた田舎暮らしは人間と自然との距離が近く、自分のライフスタイルが生態系に与える影響を肌で感じる毎日だ。自給自足まではすぐには手が及ばずとも、オーストラリア固有の動植物や自然の循環をできるだけ妨げない暮らし方を選ぶことはできる。人間の食をめぐる社会の形に、ニワトリを飼い卵を採る生活から目を向けてみたい。(文・写真:七井マリ)

食いしん坊のニワトリたち

人間が食べ物をくれることを期待して後を付いてくる3羽のニワトリ

 卵を採るための3羽のニワトリは、小屋の中のわらの上で寝起きする以外は、ユーカリなどオーストラリア固有種の木々に囲まれた自然公園のような庭の内外を歩き回るぜいたくな放し飼い。カンガルーの餌場でもある日当たりの良い草地を闊歩し、時に軒下の乾いた地面で砂浴びをして気持ち良さそうにくつろぐ様子は見ていて思わず頬が緩む。そっと触れてみるまで、ニワトリの羽並みがこんなにもつややかで柔らかいと知らなかった。

 毎日顔を合わせるうちに、3羽それぞれに個性があることも分かってきた。黒いニワトリは一番の食いしん坊で積極的、茶色は人間に対して控えめで足元まで寄って来ないが、白は気まぐれに背中をなでさせてくれることも。彼女たちにとって人間は給餌係に過ぎないと知っていても、3羽連れ立って後を付いて来る小さな姿には家禽の大切さを超えた愛着が湧く。

 ニワトリは日に一度、何食わぬ顔でキッチンの近くに現れる。小屋で食べる家禽用の餌とは別に、人間から果物の皮や芯をもらえるのを覚えているようだ。バナナや洋梨は奪い合うほど好みなようだが、野菜くずは見向きもされないのでコンポストに入れる。

 ニワトリの食料は、青々とした草地や茂み、堆積した落ち葉や朽ち木の下などそこかしこにある。柔らかい草の先をついばみ、根本をつついて種の残りを探し出すだけでは飽き足らず、私がシャベルで地面を掘り返しているとすかさずやって来て、露出した土をくちばしや足で引っかき回す。大好物のミミズがいないかと探しているのだ。

 日が暮れるまで彼女たちのやることといえば、食べること、それに尽きる。だがニワトリを飼うことは、自然の循環の中での人間の居場所を考えるきっかけになると思う。

生き物の一部をもらって生きる

わらはたくさん敷いてあるが、同じ場所に3羽が卵を産むこともある

 午前中、ニワトリが小屋から出た後のわらの窪みにあった卵を採ると、産みたてらしく手にじわりと温かさが伝わった。割らないように注意してキッチンへ持ち帰り、殻に鉛筆で日付を記してから前日までの分と一緒にケースにしまう。スーパーマーケットでは手に入らない新鮮さと、生き物の一部をもらって生きる実感が、大切に食べることを日常にしてくれる。

 ニワトリに快適な住環境や健康的なエサを提供し、産んだ卵をもらうというのはそれなりにフェアな関係だろう。有精卵ではないので無為に命を奪う心配もない。

 私はベジタリアンでもビーガンでもないが、ここ数年の間に肉や魚よりも卵や豆類、穀類を多く食べるようになった。菜食をベースに肉食も禁じないフレキシタリアンという便利な言葉を使っても良い。加えて、捨てるほどたくさんの量を作るために土や水、空気を汚す生産方式の食品から距離を置く食生活に興味を持ったのは、生態系のバランスの悪化を身に迫って感じるようになったからだ。そんなタイミングでニワトリを飼える環境で田舎暮らしを始められたのは、願ってもないことだった。

 食べる分を自分で育てることができれば、大量生産による自然破壊のおそれもなく、農場から加工施設、市場、小売店へと度重なる輸送により鮮度を失って食品廃棄を増やすことや、化石燃料を使って地球温暖化を助長することもなくなる。肥育ホルモンや抗生物質を使う効率重視の農業や水産業の不自然さとも無縁でいられ、動物に幸せな環境を用意することができる。私たち人間のライフスタイルが自然環境を傷つけ、動植物や私たち自身をも傷つけることを考えないようにするのは簡単だが、考えることもまた難しいことではない。今できることを1つずつ習慣にする能力も、ベストな選択ができない時にベターな選択をする自由も、幸い人間にはあるのだから。

フリーレンジの卵が好まれる理由

市販のフリーレンジの卵。「1ヘクタールあたり1,500羽」をうたっている

 広さのある屋外でニワトリを飼うオーストラリアの「フリーレンジ(free range)」は、日本の「平飼い」に近い。フリーレンジの響きにはのびのびと自由な印象が伴い、明るい日の光を浴びて自分の脚で歩き回る健康さは、短い生涯を狭いケージに閉じ込められて過ごすタイプのニワトリと対照的だ。最近オーストラリアではフリーレンジの卵の人気が上がり、ケージで産み落とされた卵を選ぶ人は減る一方だという。その変化の背景にあるのは、2種類の卵の栄養価の違いだけではないだろう。

 大量飼育でなく小規模な採卵を目的とするニワトリの飼育であれば、生態系やアニマル・ウェルフェアへの悪影響は抑えられる。やせた粘土質の地面に落とされたニワトリの排泄物は土の栄養になり、集めて畑や果樹の有機肥料として使うことも可能だ。大型の家畜のようにひづめで地面を踏み固めて植生や土壌を悪化させることもなく、人間の食品ゴミの一部はエサになり、目を見張る勢いで伸びる雑草も食べる。私たち人間は良質な卵の味と栄養を享受でき、殻は砕いて土に返すことができる。

 ただ、メスのニワトリを飼っているからといって、必ずしも毎日卵が手に入るわけではない。生後数カ月はもちろん卵を産まず、老いてもやはり産まなくなる。エサだけ食べて産卵しない成鳥もいる。

 パックを開ければ決まった数の卵が並んでいることに慣れた私たち現代人にとって、本来、動物や植物を食べることは自然と足並みをそろえることだと思い出すのは容易ではない。それでも人間が産卵ペースに合わせ、足りなければ地元産の卵を買うか他のものを食べると柔軟に考えれば良いと思う。

予測できない自然の中の出来事

庭で食事中のニワトリとカンガルー。互いに干渉せず同じ場所にいることも多い

 ある日、いつものように庭を歩き回っていた3羽のうち2羽が白昼に忽然と姿を消した。庭の真ん中に散乱する大量の茶色い羽根だけが見つかり、1羽がそこで何かに襲われたことがうかがえた。この辺りでは、キツネや野生化したネコなど人間がオーストラリアに持ち込んだ外来種が鳥などを殺すと聞く。跡形もなく消えた白いニワトリは樹上に逃げたかとも考えたが、翌日になっても現れず、希望を持つことは難しくなった。黒い1羽だけが後に残され、何カ月もストップしていた産卵を思い出したように再開したのはせめてもの慰めだった。近い内に、人から別の成鳥を譲り受けるかもしれないが、卵を産んでも産まなくても飼うなら最後まで責任を持ちたい。

 自然の中には危険もあり、放し飼いのニワトリが寿命を全うできるかは分からない。それでも、狭いケージに詰め込まれ産卵期の終わりと同時に屠殺されるより、気の向くままに自由に生きる幸せを信じることにする。

著者

七井マリ
フリーランスライター、エッセイスト。2013年よりオーストラリア在住

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