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涙の議事録/セクレタリーの“ヒショヒショ話”

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第11回:涙の議事録

 役員秘書として採用されたものの、金融庁での仕事は大変だった。日本企業よりも進んだPCプログラムが使用され、スケジュール管理や会議アレンジなど全てこのプログラムで行われていた。

 仕事初日、上司に「明日の午後2時にチームミーティングをするから、出席者のカレンダーに時間を確保するように」と言われ、一体どうやってミーティング時間のお知らせをしたら良いのか全く分からなかった。

 「経理部のグレッグに明日の会議書類を届けて」と言われても、700人が働いている金融庁内で誰がグレッグなのか?「来週メルボルンに出張だから、フライトとホテルの予約を」と言われ、前に働いていた日系旅行会社ではアウトバウンドの人がやっていたこと、一体どうやって予約するのだろう?単純な謎の積重ねだった。

 新入社員は、ある程度の時間が経てば仕事の手順はどうにか分かるようになるもの。私も時間が経つと共に仕事のやり方を1つずつ学んだ。だけど、それでも1つだけどうにもならないことがあった。それは、役員会議の「議事録」だった。

 毎週水曜日に2時間の役員会議があった。議長の上司は、私が入庁するやいなやこの会議の議題と議事録を管理する役に私を任命した。この会議では、金融データ収集とシステム、データ出版とその関連プロジェクトに関する提議、決定が行われる専門用語が飛び交う難しい内容で、金融機関での職務経験のない私には太刀打ちできないものだった。

 シニア金融アナリストが前任の議事録係で、最初の会議は2人で議事録を取ることになった。会議が始まって、私の頭の中は真っ白、何が何なのか、一体みんな、何を話しているのかも分からないまま会議が終わってしまった。手元のノートを見たら、なんと2行しか書いていなかった。冷や汗が出た。

 翌週から1人で議事録を取った。2時間その場に座っているだけでも辛かった。議事録の第一原稿は、翌日までに議長に提出することになっていて、会議がある日はいつも私は遅くまで帰れなかった。何週間経っても、議事録のページを埋めることができず、上司の赤の書き直しで一杯の原稿を見ると、情けなかった。きっと、他の役員もなんでこんな秘書が雇われたのかと苦情を言っているに違いない。みんなにとって当たり前のことが私には全く分からない。夜更けのオフィスで議事録の原稿を書いていると涙がこぼれた。

 20年近くセクレタリーをしてきて築き上げてきた私の自信はあっけなく崩れていった。どうしてもできないことはあるもの。だけど、できないことをできないと言えない。議事録は秘書のメイン業務であったから。私は、頑張って行きたいという気持ちと、やっぱり無理かもしれないという気持ちでどうしたら良いのか分からなかった。

ミッチェル三枝子

ミッチェル三枝子

高校時代に交換留学生として来豪。関西経済連合会、マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社に勤務。1992年よりシドニーに移住。KDDIオーストラリア及びJTBオーストラリアで社長秘書として15年間従事。2010年からオーストラリア連邦政府金融庁(APRA)で役員秘書として勤務し、現在に至る

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