第12回:考え方を変えてみる
オーストラリア連邦政府金融庁に入って3カ月経ったころ、私にとって最初の「Performance Review(成績評定ミーティング)」があった。私の気は重く、一体上司のスティーブに何を言われるのか不安でいっぱいだった。
私は、今までやってきたこと、これからやるべきことをリストにして、1つずつ説明した。黙って聞いているスティーブの姿を見ていると、そのうち私はたまらなくなって「スティーブ、ごめんなさい。私は、採用面接であれもできる、これもできると大きなことを言って雇ってもらったけれど、実際は、あなたに助けてもらう毎日で、何ひとつ貢献できていません。私にとってこの職場は今までで一番大きなカルチャーショック、やる気は満々なのに空回りしてしまって何の役にも立っていません。こんな私を雇ってくれたことを感謝しています。だけど役立たずの私のせいで、あなたが他のマネジャーから責められることは、私には耐えられない」と言ってしまった。通常、この成績評定ミーティングでは誰もが自分のポジティブなことしか話さないのに、私はなんと自分の胸の中にあることを何もかも上司に言ってしまったのである。
ずっと黙って聞いていたスティーブが、話し始めた。「金融庁の試用期間はどうして6カ月だと思う?通常企業では3カ月なんだよ」。泣きそうになっている私にはスティーブが何を言いたいのかよくわからなかった。「それは、金融庁の職場環境に慣れて仕事を把握するには、誰もが最低6カ月は掛かるということだ。金融庁はそれだけ厳しいところだから。誰にとっても時間が必要、だから6カ月なんだよ」「それからね、しっかり聞きなさい。誰も何にも責めてはいない。もし責めている人がいるとしたら、それはミエコ、君が君自身を責めているのだ」「もっと自分に寛容になりなさい。やる気があるなら必ずやっていける。君を選んだ私の目に決して狂いはない」
そのスティーブのひと言は、私の中にあった苦しみとこだわりを、見事に粉々に砕いてしまった。彼のひと言に、私は救われた。もうダメだと思っていた毎日が、この日を境に勉強の日々に変わっていった。これまでの秘書経験のプライドなど全部忘れて、新入生として何から何まで学ぶことに徹したのであった。
ミッチェル三枝子
高校時代に交換留学生として来豪。関西経済連合会、マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社に勤務。1992年よりシドニーに移住。KDDIオーストラリア及びJTBオーストラリアで社長秘書として15年間従事。2010年からオーストラリア連邦政府金融庁(APRA)で役員秘書として勤務し、現在に至る