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日本文化に魅入られ40年 州政府代表として日本で豪州の魅力を伝える─ 対談 マイケル・ニューマン X 作野善教 

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【第20回】最先端ビジネス対談

 日系のクロス・カルチャー·マーケティング会社doq®の創業者として数々のビジネス・シーンで活躍、現在は日豪プレスのチェア・パーソンも務める作野善教が、日豪関係のキー・パーソンとビジネスをテーマに対談を行う本連載。今回は、オーストラリア、ニュー・サウス・ウェールズ州政府の駐日事務所代表のマイケル・ニューマン氏にご登場願った。
(撮影・監修:馬場一哉)

PROFILE

Michael Newman
シドニーの日系証券会社勤務を経た後、1997 年、日本の証券会社への転職と同時に日本に移住。その後、ヨーロッパの銀行からヘッド・ハンティングを受け、日本におけるセールス・デスクを担当。HSBC銀行勤務を経て、2007年、マッコーリー銀行に入行。2015 年にマッコーリー銀行退職後、自身の会社立ち上げなどの経歴を経て、現在、NSW州政府・インベストメントNSW駐日事務所代表

PROFILE

作野善教(さくのよしのり)
doq®創業者・グループ·マネージング・ディレクター。米国広告代理店レオバーネットでAPAC及び欧米市場での経験を経て、2009年にdoq®を設立。NSW大学AGSMでMBA、Hyper Island SingaporeでDigital Media Managementの修士号を取得。移民創業者を称える「エスニック·ビジネスアワード」ファイナリスト、2021年NSW州エキスポート・アワード・クリエティブ産業部門最優秀企業賞を獲得


作野:NSW州政府の駐日代表として活躍するマイケルさんですが、初めて日本に来られたのはいつごろでしょう。

ニューマン:1983年と、40年前までさかのぼります。父の仕事の関係で日本を訪れ、その間に家族で日本中を旅行したのです。その滞在がきっかけで私は日本の文化をこよなく愛するようになり、シドニーに戻った際、学校で日本語のクラスを選択するなど日本語の勉強に取り組みました。キャンベラのオーストラリア国立大学でも経済学を学びながら、2年間日本語を勉強しました。またこの時期、一橋大学への交換留学にも1年ほど行きました。

作野:日本の文化の特にどこに魅入られたのですか。

ニューマン:日本の文化は長い年月を掛けて築かれてきたものです。京都などを訪れた際、着物や袴など日本の伝統的な衣装を着た人びとに優雅さを感じましたし、時代を逆行したかのような特別な気分になったことを思い出します。古い文化を大事にしながら新しい文化を作り出していくというのは、まさに日本社会の構造そのものだと思いますし、そこに私は共感しました。

作野:日本に魅入られ、長く日本の地で過ごされておりますが、マイケルさんのキャリアの大半は金融畑にあります。仕事として金融業界に興味を持たれたのはなぜでしょう。

ニューマン: 父が金融関係の仕事をしていたことから、夕食の席でもよく金融関連の話をしていたのです。若いころからマーケットを理解していましたし、自然に金融業界に目が向きました。

作野:興味深いですね。私の父も同じように一橋大学を卒業し、金融の仕事に従事していました。マイケルさんのご家族と同様、食卓を囲んで金融関係の話をよくしましたが、それを私自身はキャリアとして追求しませんでした。

ニューマン:私の場合、金融のバックグラウンドを持つことが、社会生活において有益だと考えたのです。インベストメント・ニュー・サウス・ウェールズは、州政府の商業部門であり、貿易と投資の仲介をすることが主たる役割です。私の投資銀行における25年の経験の利点は、企業がどのように運営されているのか、その方法を理解できた点にあります。これまでの経験が非常に生かされていると感じます。

作野:なるほど。金融業界に従事されてきた中で印象に残っている出来事はございますか。

ニューマン:2007年から勤めたマッコーリー銀行での経験が印象に残っています。起業家精神にあふれた社内カルチャーを持っており、やりたいことに責任を持つ限り、サポートしてくれる会社でした。ある日の早朝、東京にいるCEOのホテルのドアをノックして、医療分野でのビジネス・チャンスについて提案したのですが、それが受け入れられ、更に5年後、10倍のリターンとなり返ってきました。その努力が認められマッコーリー・アウォードという賞を2つ受賞しました。一連の取引から、大きな成果を得るためにはさまざまなチームとの協働が重要だと学びましたし、ビジネスの継続的な改善を推進するためには他人を効果的に説得すること、そして強い信念を持つことの大切さを学びました。


作野:マッコーリー銀行での成功体験が大きなターニング・ポイントとなったわけですね。

ニューマン:ええ、私はよく「経験とは厳しい教師である」と話すのですが、だいたいにおいて人生ではテストが先にあり、レッスンはその後に体験することになります。例えば2011年の東日本大震災、あれは間違いなく私の人生において最も衝撃的な経験でした。地震が発生した時、私は東京のオフィス・ビルの20階にいました。天井の一部が崩れ、コピー機が床の上で踊っている非現実的な光景を目にしました。荒れ狂った海の上を、マンリー・フェリーで航海しているような感覚でした。そして混乱の中、多くの人が恐怖に襲われ涙を流しましたし、同時に大きなストレスが掛かった時に人びとがどのように行動するかということを理解しました。この経験によって、私は自身のレジリエンス(耐久力)のレベルを知ることができました。この経験は、ストレスの多い状況に直面した時、今でもよく思い出します。





作野:1995年に阪神淡路大震災が発生した当時、私は17歳で神戸に住んでいました。高校は倒壊、家は傾き、住めなくなってしまいました。幸いなことに私の家族は軽傷ですみましたが、生存者として、私にとっても地震は深い学習経験でした。

ニューマン:いつ何が起こるか分からないということを理解しているからこそ、人は人生をより大切にできるようになります。震災後、「ずっと欲しかったハーレー・ダビッドソンを買った。死んでしまったら買えないからね」と言っていた知人もいましたよ。

「同じ1日は二度とない」

作野:日本におけるNSW州政府の代表であることに加え、金融業界で成功を収めて来られたリーダーとしては、やはり徹底した時間の管理をされているのではと推察します。

ニューマン:おっしゃる通り、私はたいへん早起きで毎朝午前4時45分に起床します。私の体内時計は30年間その時間に固定されています。起床後の2時間は金融市場のチェックを行い、事業運営に影響を与える可能性のある変化を特定、その日の午前中にはその変化が取引にどのように影響するかチームと話し合います。ただそれ以外の予定は状況により大きく異なります。先週はシドニー・フィッシュ・マーケットの方々に東京に来て頂き豊洲市場を案内、その運営方法を視察してもらいました。同じ1日は二度とありません。私たちの1日が影響力のあるものになるよう、チームに目標を共有し、彼らの知性と経験を仕事に活用してもらうよう全力で取り組んでいますが、一方でマイクロ・マネジメントは行っていません。チーム内で強い信頼関係を築けているからです。ただ、チーム・メンバーごとに強みが異なっている点は理解しておかなければならないですね。

作野:NSW州と日本の関係性において最大のビジネス・チャンスはどこにあると考えますか。

ニューマン:水素、アンモニアなどのクリーン・エナジーの分野です。NSW州は、豪州国内で人口が最も多くしっかりとしたインフラが構築されており、更に石炭産業、金属加工、アルミニウム生産などをサポートしている何万人もの経験豊富な労働者がいます。これらの背景から、大規模なクリーン・エネルギー・プロジェクトへの移行リスクを軽減できると共にコストも減らせます。日本の企業や政府機関には、ぜひニュー・サウス・ウェールズ州を将来のエネルギー安全保障を支える未来として考えて頂ければと思っています。

作野:日本とNSW州は、既にこの分野でも強固な関係を築いていますが、両国の一般の人びとがこの重要なつながりをより明確に理解するには、更なる発展の余地がありますね。そのためにはマイケルさんも私も、一般生活者への更なるアプローチが重要だと考えます。

ニューマン:ええ。そして信頼関係を支えるためには文化的な側面でのつながりも大切です。日本と州政府の間では、スポーツ交流や学生同士の交流などの取り組みにも力を入れ始めています。

作野:それは素晴らしいことです。

ニューマン:コロナ・パンデミック前は、約8万人の日本の高校生が修学旅行でNSW州に来ていたというデータもあります。そのような交流を始め、より多くの日本人観光客がオーストラリアに滞在してくれることを願っています。また、日本社会のサラリーマン文化が、旅行における滞在日数を制限してしまっているのでそこは変わって欲しいと思います。日本の大手旅行会社のウェブサイトには4泊5日のヨーロッパ旅行などの商品が並んでいますが、機内で過ごす時間を考えると現地滞在はわずか。それでは全くリラックスできませんよね。

作野:1時間しか時差がないということで、リモートワーク先としてNSW州を提案するというのはどうでしょう?

ニューマン:良い考えですね。似たようなビジネス・モデルを持っている企業同士であれば、研究開発で協力することもできますしね。R&Dでのコラボレーションにより、1つではなく 2 つのエンド・マーケットへのアクセスが可能になります。

作野:なるほど。

作野:長年、日本で働いてこられたわけですが、日本人ではないことによる難局などはございましたか。

ニューマン:日本語を流暢に話せない、それが最も大変なことでしたね。7年ほど勉強はしたので、文法や単語は頭に入っていたのですが、まとめて話す場がそれまでなかったためです。ただ一橋大学に通っていた時に、誰も英語を上手に話せない日本人寮に住んでいたことが幸いし、私の日本語能力は大幅に向上しました。大きなチャレンジでしたが、没頭することで言語に対する自信と習熟度を高めることができました。

 また、マッコーリー銀行で働いていた際には、日本の金融サービスの序列を理解し、当時の自分たちの立ち位置をしっかりと把握することに努めました。マッコーリー銀行が、例えばトヨタやパナソニックなどの主幹事になることはあまり現実的には考えられないため、私はどこの投資銀行もターゲットにしていなかった、多くの中堅企業に集中的に投資をしました。良い投資先を見つければやがて大手企業になるかもしれません。彼らの最も困難な時期を助けられれば長期的で持続可能な関係を築くことができます。日本でビジネスを成功させるためには、既成概念にとらわれずに考える必要があります。

作野:なるほど。では、日本とオーストラリアのリーダーシップのスタイルや文化の違いについてはどのようにお考えでしょう。

ニューマン:日本企業は非常に構造的で規則正しい運営をしているように思います。一方、オーストラリア企業は、より柔軟でリスク許容度が高い傾向があります。これは一般論であり、どちらが優れているということではありません。貿易投資事務所としては、競合他社とは違うことを常に心掛けて欲しいと思っています。また、製品のための顧客を見つけるのではなく、顧客のための製品を見つけることが重要です。

作野:日本はオーストラリア人にとって働く場として魅力的なのでしょうか。

ニューマン:そう思います。日本の食事や温泉、交通インフラは最高ですし、日本で働くのは素晴らしいことだと思います。日本は、高齢化による労働力の長期的な減少を食い止めるために、もっと外国人労働者を獲得する必要があると思います。昔からよく冗談混じりに口にしているのですが、日本は法人税や所得税を下げるべきかもしれません。人口減少を止めるために、適切なバランスを取ることが大事です。もし、日本の法人税や所得税を香港やシンガポールに近付ければ、日本は一気にアジアのグローバル・キャピタルになるでしょう。日本には外国人に提供できるものがたくさんあるという自信をもっと持たなければならないかもしれませんね。東京や大阪のような都市で外国からの投資が爆発的に増えれば、日本のオフィス・ビルに人が入り、飲食店への投資も増え、日本はポジティブに変化していきます。そうなれば人びとの給料も上がります。たとえ税率が低くなったとしても、経済を維持するために賃金が上がれば必ずしも納税額が少減るとは限りません。日本にもインフレは存在しますが、それは同じ値段で製品のサイズを縮小するという形で行われる傾向があります。

作野:おっしゃる通りですね。

ニューマン:いずれにせよ日本は働く場所としては魅力的です。私は22年もここで働いていますし、ここを故郷と思っています。

作野:素晴らしいコメントをありがとうございます。最後に日豪プレスの読者に向けて、アドバイスがあればお願いします。





ニューマン:最も重要なことは、日本の幹部をオーストラリアに長く留めておくことだと思います。多くの組織や企業がおよそ3年サイクルで人を入れ替えますが、新しいリーダーは人間関係を築くのに1年、関係性を深めるのに更に1年、そして3年目に初めてスタート地点に立つことになります。特に規模の大きいクリーン・エネルギーの分野では、一部の幹部を10年間は国内に留め、深い関係性を構築する必要があるのではないかと感じます。長年構築してきた関係性があるからこそ理解できる微妙なポイントなどは容易に引き継ぐことができません。それによって重要な局面を逃してしまうことも少なくありません。オーストラリアにいる日本企業への重要なメッセージの1つだと思います。

 私は長年日本におりますが、私の願いは皆さんと同じで日豪の架け橋となり、若い世代にもそれを引き継いでいくことです。私が見ている世界には、財政問題、金利の上昇、原材料価格の上昇など、多くの課題があります。その課題解決のためにも私たちは信頼できる貿易相手を選ばなければなりません。だからこそ、私は日本とオーストラリア、更に言えばNSW州に投資しています。NSW州がうまく立ち回れば、健全な二国間関係を維持することができると思っていますし、それは運ではなく、適切な関与によってもたらされるのです。

作野:素晴らしいアドバイス、お話をありがとうございました。

(インタビューは2月15日オンライン、撮影は11月15日シドニーで)

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