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諸行無常/福島先生の人生日々勉強

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 「諸行無常」という言葉は、平家物語の冒頭に出てくる言葉として有名ですね。

 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」(祇園精舎の鐘の音には、万物は流転し、同じ状態でとどまることはないという響きがある。釈尊入滅の時に色を変えた沙羅双樹の花の色は、盛んな者も必ず衰えるという、この世の道理を示している。栄耀栄華に奢る者も、それを長く維持できる者ではない。ただ、春の夜に見る夢のようである。勢い盛んな者も、ついには亡びてしまうというのは、まさに風の前にある塵のようなものである)

 この言葉は、移ろいゆく人の世の儚さを表す言葉として使われています。しかし、本来、諸行無常という言葉は、単に変化して止まることのないこの世の中の性質を事実として述べているに過ぎません。いつまでも今のままで変わらずにあって欲しいという永遠への切望を人が持つがゆえに、それが叶えられない現実に対し、「諸行無常」という言葉に託して人の悲しみを表しているのでしょう。

 人は、心身病苦老衰により、いずれ死を迎えます。科学の進化によって不老不死の世界がいつか訪れるのかもしれませんが、今日を生きる私たちはまだ、この運命から逃れることはできません。まさに諸行無常です。一方で、赤ちゃんが生まれ、大きく成長していくことも諸行無常でなければあり得ないことです。人の世が移ろいゆくものであるからこそ、生命の誕生があり、成長があります。人間にとって都合が良くても悪くても、諸行は無常だということです。

 諸行が無常であるがゆえに、その無常の流れの中でどうすれば自分のベスト・パフォーマンスを行うことができるかということに力を尽くすのが、この世に生を受けた者の自然な姿ではないかと思います。

 草も木も動物も、地球上で生きている生き物たちは皆、そのようにして束の間、授かった命を生きています。私たち人間も、より良い変化を求め、人智を尽くして生きるのが本望です。何事も決めつけず、無常の流れをよく見極めて、柔軟に行動していきましょう。

 諸行無常という言葉は、ただ世界の儚さを表しているだけではありません。この世に生を受けた者に向けられた、生き抜くための重要な教えです。今日がだめでも明日があります。未来の自分は変えられるのです。

このコラムの著者

教育専門家 福島 摂子

教育専門家 福島 摂子

教育相談及び、海外帰国子女指導を主に手掛ける。1992年に来豪。社会に奉仕する創造的な人間を育てることを使命とした私塾『福島塾』を開き、シドニーを中心に指導を行う。2005年より拠点を日本へ移し、広く国内外の教育指導を行い、オーストラリア在住者への情報提供やカウンセリング指導も継続中

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